『世界の中心で愛を叫ぶ』『JIN—仁—』『ごちそうさん』『天皇の料理番』など数々のヒットドラマを生み出してきた脚本家の森下佳子さん。東京大学文学部のOGでもあり、TBSドラマ『わたしを離さないで』や来年度NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の脚本も手がけるなど、日本中が注目している脚本家だ。後編では森下さんご自身の経歴や生活について伺った。
前編はこちら→ 『わたしを離さないで』脚本家 森下佳子さんはストーリーをこう創る
――森下さんは、どういった学生生活を送られていたのでしょうか?
小学生の頃、宝塚系のこどもミュージカル劇団に所属したりして芝居が好きだったこともあり、大学では演劇サークルに入ったんですよ。そこで演劇にのめり込んで、自分でも劇団を立ち上げ、脚本と演出を行う作演を担当していました。作風はごちゃごちゃでいろんな劇団の良い場面をごった煮みたいに取り入れた作品ばかりでしたね。
学業の方では、“人”を学問したかったんですよ。人を見る学問というと心理学とかが思い浮かぶんですけど、心の動きそのものを知りたいわけではなくって、人を動かすものを知りたかったんです。だから文化人類学に行きたかったけど、人気で進学できず。意外と何でも出来るらしいという噂に導かれ宗教学科に進みました。卒論は歌舞伎と宗教というテーマで書きました。
――大学卒業後は一度リクルートに就職されていますよね。どうしてですか?
卒業を控えて、脚本の道でやっていこうかと思ったのですが両親にとりあえずどこかに入って早く自立してくれと言われまして(笑)。当時は就職氷河期でそこしか受からなかったんですよ。コピーとセリフって似ているような気がしてコピーライターとかもいいなって思って。でも、何でかそこで住宅誌の編集部に配属されて……。でも、編集の仕事は好きで一生懸命やっていました。
一度企業に入ったからこそわかることも大きかったです。特に私は世間知らずだったので…。住宅誌担当なのに「金利って何ですか?」みたいな(笑)。他にも社会人としての考え方や振る舞いとか。東大生ってどこか「自分は勉強ができる」と思っているところがあるけれど、世の中は勉強だけで動いているわけではないし、正しかったり鋭かったりすることだけが大切じゃない。世の中には全く別の観点から素晴らしい才能とか人格・センスを持った人がたくさんいるということを体感しました。リクルートには自分が真似できないほどエネルギッシュな人や素晴らしい人がいたのでありがたかったです。
でもやっぱり話を作るということが好きだったので、同時にシナリオスクールに通おうと思いました。会社の上司に「査定は最低でいいから、私に好きなことをやるまとまった休みをください!」と言ったら「そんなことできるわけないだろ!」と言われたので、正社員を辞めてアルバイト待遇にしてもらい、スクールでシナリオの勉強に励みました。
――ええ!会社を辞めちゃったんですか!?それは並大抵のことではないと思うのですが…。
多分ね、何にも考えてなかったんだと思う。「やりたいな」っていう軽い気持ちと、「私何かできるんじゃないかな」っていう若い頃の無根拠な自信を持ってしまったんです。
そして辞めた後に気付くんですけど、とりあえずこの会社で出世する道はなくなったと。編集の仕事をしていたので、じゃあこれから生きていく上でライターや編集のプロで生きて行くか。でもそれをやりながら芝居の方も何とかできないかなと思ったんです。でなきゃ、そもそも何の為に辞めたんだか分からなくなっちゃう(笑)。
ただ芝居をやるって=劇団なんですよ。一人ではできない。芝居仲間はいたけれど、みんなそれぞれ生活があるし、私にはその人たちの人生を背負う責任なんて到底持てないし。そうとなれば一人できるのは脚本。ドラマや映画といった映像分野の脚本だろうと思ってシナリオスクールに通うことを決めました。
――日テレ『平成夫婦茶碗』で脚本家デビューされますが、デビューまでどのような経緯があったのでしょうか?
スクールに通っていた時は、仕事としてなんとかならないかなと思っていました。シナリオのコンクールで賞を取るのも1つだけどすごく通りにくいし回数も少ない。そこで劇団の先輩が日テレに勤めていたのを思い出して、そこで下働きをさせてもらったんです。そこで半年くらい粛々とやっていたら、『平成夫婦茶碗』のコンペがあって書かせてもらえることになりました。脚本家の遊川さんの指導の下、もう最初は「こんなもんで映像化できるか!」「何が言いたいのかわからない!」「字が汚い!」とかそういうレベルでダメ出しをされながらやりましたね。事細かに叱られたし、こういうのが欲しいと言われたら盛り込む形だったので、脚本に自分の名前を入れていいのかわからないぐらい。でもすごく鍛えられましたね。
――それから『世界の中心で愛を叫ぶ』『JIN–仁–』『ごちそうさん』『天皇の料理番』など様々な作品を生み出されてきました。ご自身の中で最も思い入れのある作品は何ですか?
子供に優劣をつけないのと同じで、出来が良くても悪くてもみんなかわいい。その中でも、というなら『白夜行』かな。これは難産だった。
自分が生きていくために殺人を重ねていく、という圧倒的に間違っている人たちが主人公なわけです。モンスターをモンスターとして描くっていう方法もあるけれど、それってただの酷い殺人鬼の話にすぎなくて、それを12話も見せる意味はあまりないと思いました。だから登場人物をモンスターにしないこと、つまりやってることはモンスターなんだけど、心の動きは常人に理解出来る範疇にして描いていくのがすごく難しかったです。プロデューサーともすごく喧嘩したし、役者さんも大変だったと思うし、みんなで苦労しました。その分、ものすごい達成感。視聴率もそんなに行かなかったし、今思えば反省点もあるけれど、終わったときに「これやったぞ」と自分で言えるものができた気がしましたね。
そのあと妊娠して娘を産んでるんですけど、この作品によって踏ん切りがついたというか。子育てってホント予想外な事が起こるというじゃないですか。子供を産んでイロイロあったとして、その結果仕事ができなくなったとしても、もう、それほど後悔しないかなって。私これやったからいいやって思えるモノを感じたんですよね。だから、一人の子の親になれるなって決心がついたというか。
――現在は、一人のお子さんの育児と両立させながらフリーランスで活動してらっしゃいますが、具体的にどのような生活なのでしょうか?
朝、支度をして娘を学校に送り出した後、家で書いたり打ち合わせをしたり仕事をします。娘が帰ってくるまでに終わればそこまでだし、終わらなければ夕方娘の世話や家事をしてからまた取り組む、という感じですね。フリーなのでお金の管理など様々なマネジメントも自分でやります。
フリーランスは向き不向きがあると思いますね。というのもフリーは仕事を介してしか仲間がいないんですよ。いつも周りにいる人が家族以外いない。そこに対する耐性という意味で向き不向きはあると思います。私は人嫌いではないのですが、それほど社交的ではないので向いていますね。でも、たまに会社員に戻りたくなります(笑)。
――将来、どのような展望を思い描いていらっしゃいますか?
降ってくることに手一杯であまり考えたことはないですが、死ぬ前にやってみたいのは、サイレントの脚本がやってみたいです。セリフが一つもない絵だけ。テレビドラマだと「放送事故か」と思われそうなので、映画ですかね。あとはミュージカル!形が違うものをやってみたいですね。
――東大OGとして東大生へメッセージをお願いします!
最高学府に入れた自分には自信を持って欲しいと思います。でも自分に自信を持つということは、他人と比べて自分が優れていると思うことではないと思うんです。私は自分が東大に入るために頑張ってこられたことは誇りに思ってるし、唯一の強みだと思ってます。頑張ることに関しては人一倍できるはずだってことですかね。分かりやすく能力を誇るのではなく、そういう自信の持ち方もあるんじゃないかなぁと思います。
《編集後記》
「自分の描きたいものを書くか、ウケるものを書くのか」という質問に対して、「ウケるものを書くのは正義だと思う」という回答が心に残っている。表現するということはそれを受けとる相手がいるのが前提であり、相手の心を動かすこと自体が、自分が描きたいものがあるから書くというモチベーションにつながっており二者択一ではないということを、プロである森下さんのお話を伺い改めて認識した。インタビューでは明るく気さくにお話ししてくださる一方で、正確に伝わるように言葉を慎重に選んで回答してくださる姿勢が、人の心を掴む表現者の根幹のようなものを体現されているようで印象的であった。
(取材・文 新多可奈子)