七大陸の最高峰全てに登頂した「セブンサミッター」の山田淳さん。東大在学中の2002年にエベレストに登頂し、当時の七大陸最高峰最年少登頂記録を更新したが、卒業後は一度山の世界を離れ、コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニーで働いた。その後起業し、現在も代表を務めるフィールド&マウンテンを経営する傍ら、ガイドとして山に登り続ける山田さんに、七大陸最高峰へ挑戦した時の思い出や、大学生へのメッセージを聞いた。(取材・安部道裕)
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登山ガイドとして「人の人生を変える」
──卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社して一度登山から離れています
自分はもともと体が弱かったけれど、登山を始めて、そして世界中を回って素晴らしい体験ができました。その経験は登山を始める前には想像もつかなかったものですが「これって誰にでもできることだよな」と思ったんです。体格や環境にすごく恵まれていたわけではない自分でもこんな経験ができた。他の人にも登山の素晴らしさや感動を体験してもらいたいと思い、02年に記録を樹立した後、登山ガイドをしていました。
しかし、ガイド活動を続けて4年ほどたった頃「らちが明かない」と思い始めました。毎週末お客さんを山に連れて行っていましたが、20人ずつでも1年で1000人、ガイドを30年続けても案内できるのは3万人ほどです。当時の登山人口約600万人を0.5パーセント増やして603万人にすることが自分の人生を懸けてやりたいことなのかなと自問しました。違うなと思い、世の中の仕組みや、もっと大きなうねりをつくり出す方法を学ぶ必要があるという結論に至りました。一度企業に入って学ぼうとしたところ、縁があって採用されたのがマッキンゼーでした。
──その後10年にフィールド&マウンテンを設立しています
06年に入社しておよそ3年がたった09年の夏、トムラウシという北海道の山で大量遭難事故が起こりました。その頃私は会社の仕事が面白くて、入社した時の「山の世界に戻ろう」という気持ちが徐々に薄れてきていました。それをはたと思い出させてくれたのがトムラウシの事故で「自分はこういう事故を一件でも減らすためにここで学んでいるのだ」と再認識しました。仕事が一段落ついて辞めることができたのが09年の年末で、その後10年2月にフィールド&マウンテンを立ち上げました。
──事業内容について教えてください
実は起業した時には具体的に何をやるかを決めていなかったんです。自分のやりたいことをまず言語化しようと思い会社のミッション「登山人口の増加」と「安全登山の推進」を定めました。
登山の世界の難しいところは登山人口を増やせば増やすほど事故が多くなってしまうことです。事故の確率は同じでも登山人口が倍になれば事故の数は倍になります。そして事故が報道されると、その度に登山人口が減っていくので登山人口は波のように推移します。野球やサッカーのように、ブームになったら右肩上がりに伸びていく、という増やし方ができない業界なんです。なので「登山人口の増加」に「安全登山の推進」というミッションを加えないと登山の世界を盛り上げることはできません。
登山人口を増加させるため、事故を減らすためにどうしたらいいか。注意喚起をすれば良いと考える人は多いですが、私は登山ガイドとしてお客さんとじかで接する中で、事故を減らすための良い手段は注意喚起ではないなと思いました。注意喚起のために大規模な広告を打つことは難しいし、登山雑誌では発行部数が少なく必要な層に届かない。必要な道具を渡してあげるのが一番簡単です。そのため装備はこれを持っていけば大丈夫、というセットを作ってレンタルを始めました。
他には登山ガイドやフリーペーパーの発行もしています。
──登山ガイドの仕事の面白さはどこにありますか
お客さんの「この山に行きたい」というオーダーをサポートするだけでは、面白さはまだ半分だと思っています。大げさに表現すると「お客さんの人生変える」のが面白い。例えば、私と出会ってなければキリマンジャロに行こうなんて思わなかった人たちをキリマンジャロに連れて行く。
私は自分の知らない国や世界や標高に飛び込むことを楽しんできました。その意味でお客さんより引き出しが多いので、自分の経験を生かしてお客さんを楽しませたい。自分が行くとはまるで思わなかったような場所に連れて行くのは、その人の人生を変えることになります。
──お客さんとの印象的なエピソードはありますか
先月キリマンジャロをガイドしたお客さんの中に78歳の方がいました。その方はおよそ3年前、屋久島で現地のガイドが足りなかった際にたまたま入った私がガイドしたお客さんでした。屋久島に精通した地元のガイドたちと比べると、私は説明に深みが出せません。なので、私はそのお客さんと一緒に登っている最中、屋久島なのにずっとキリマンジャロの話をしていました(笑)。そうしたら彼女はキリマンジャロに興味を持ってくれました。
まずはマレーシアのキナバルから始めて、その後キリマンジャロに行こうとしたら新型コロナウイルス感染症が流行してしまい、ようやく先月に3年越しで登れたんです。この年齢の3年はすごく大きくて、20代で三つ年を取るのと70代で三つ年を取るのは体力的に訳が違います。どんどん体力が落ちていく中で登頂に成功したのは感慨深く、彼女は私と屋久島で出会わなかったら人生でキリマンジャロに登ることなんてほぼ間違いなくなかったと思います。自分にとっても貴重な経験だったので思い出に深く刻まれました。
──山登りをしたことがない人に伝えたいことはありますか
日本には山がたくさんあります。東大の駒場キャンパスからでも、電車に1時間も乗れば高尾山に行けます。上高地だって遠くありません。これだけ山というか自然に恵まれた国はなかなかないので、自然と戯れないのは損だと私は思います。
この国の経済や将来を考えるに当たって自然を抜きには語れません。国土の約7割が森林なんです。この国の将来を担っていく人たちこそ、この国の「自然の遊び」を知っていないといけない。趣味の一つとして登山をした方が良いというレベルではなく、国際社会で生き抜くために英語を学ばなければいけないのと同じように、日本に住む限り自然に触れなければいけない。「この国の自然に触れずに、この国の将来語るなよ」とすら思っています。
──学生におすすめの日本の山はありますか
やはり世界自然遺産を見ておいてほしいです。知床・白神山地・小笠原諸島・屋久島・奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島の五つが日本の世界自然遺産ですが、東京からだと屋久島が最も行きやすいと思います。富士山や近場の山は社会人になってからでも行けますから、慌てて行く必要はないと思いますが、屋久島や小笠原諸島はある程度日数がかかるので、学生の間にぜひ行ってほしいです。登山でなくても良いので「自然に触れる」ということが大事です。
これから先、環境問題に直面したときに、守るべきものに触れたことがないのに「どうあるべきか」を語るのは無理だと私は思います。みな机の上で環境問題を考えたがりますが「何を守らないといけないのか」が抜けているのではないでしょうか。
──今後の抱負について聞かせてください
登山人口を全人口の7割にすることが目標です。そのためにまずは遭難事故を減らしていく。そして「富士山に登ったことあるよ」とか「屋久島に行ったことあるよ」という実体験を持った人が多くなって、環境問題を含めた未来に向けての動きができていったらなと思います。
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