キャンパスライフ

2019年3月1日

19歳が見た中国⑥ 大学生、世代差、対日観、党

ひたすら会って喋って

 

▲フェリーで出会った「先生」とともに。日本の大学院に留学中だという。東アジア言語の音韻学の話で盛り上がった

 

 中国の旅先で出会う人たちは、私にとって皆「先生」だった。中国語によるコミュニケーションの力を高めることこそ、旅の目的だったからだ(19歳が見た中国①)。フェリーや鉄道やユースホステルや街の飲食店で、たまたま出会った人と、昼夜問わずひたすら喋っていた、というのが実情だ(だから観光地にはほとんど行っていない)。大阪港を出て戻るまでの3週間、単なるあいさつを超えた会話をした相手は、老若男女、60名に上る(会話の相手と内容をノートにメモしている)。

 

 中でも素晴らしい「先生」となってくれたのは、中国各地の大学生の友人だ。駒場の中国語の先生方が精力的に催してくださる交流の場で知り合った人が多い。今日は、中国の大学生との打ち解けたお喋りを通して、私が気づいたことをお伝えしたい。

 

中国のキャンパスライフを垣間見

 

 日本と異なり、中国の大学生のほとんどは、キャンパス内の寮で生活する。復旦大学新聞学科の驰蹈(チーダオ)が、特別に男子寮の自室に入れてくれた。自室といっても、4人のルームシェアである。薄暗く、狭く、細長い部屋で、ベッドと机が一体化したロフトベッドが左右に2つずつ並んでいる。プライベートな空間は、もちろんゼロだ。寮の共用トイレは马桶(マートン;中国式のしゃがむトイレ、和式に似ている)で、数も少ない。

 「ここは狭すぎるなあ!僕は下宿住まいだからそう感じるんだろうけど」と正直な感想を言うと、驰蹈は頷きながら

 「そりゃあ俺もずっと住み続けるつもりはない。早く卒業して、いっぱい稼いで、広い家を買いたい。でも寮も悪くはないぜ。お前は、家から大学までどれくらいかかる?」

 「電車に乗って20分。東大生の中では近いほうだよ」

 「遠いねえ!」驰蹈はため息をついた。「俺の寮から歩いて10分の範囲に、教室も図書館も食堂も、全部ある」

 第二回の記事で触れたように、中国の学校の近くには、安くてうまい飯を提供する店が並んでいる。メニューの種類も豊かだ。自炊する必要はない。

 「お腹が空けばちょっと行って食べてくればいい」

 中国の大学生は、寮の中の環境は良いとはいえないが、寮の近くで何でも済ますことができる。私たちに比べて、移動や家事をしない分だけ使える時間が多いのは羨ましい。

 

 武漢大学日本語科の明明(ミンミン)と紫荆(スージン)には、大学図書館の中に入れてもらった。驚いたことに、図書館の至る所で(階段の踊り場でも!)、ヘッドホンを着けた学生が英語のテキストを凝視して、小声でぶつぶつ呟いている。

 「あれは何をやっているの?」

 「テキストを全部暗記しようとしているの。托福(トゥォーフゥー;TOEFL)で良い成績をとるために」と明明が言った。

 「もうすぐ大学院の試験なんだけど、托福が必須でね」と紫荆が続けた。「私も来年はああいう感じでぶつぶつ言っていると思う。全部暗記できるか心配」

 中国の学生の凄まじい努力には脱帽した。そもそも「托福」(福を託す)という訳からして、TOEFLに人生の成功を託すんだ、という気概が伝わってくる。しかし、TOEFLが測るのは英語の活用力であって、暗記力ではない。暗記偏重の勉強法で、最高のパフォーマンスが出せるのだろうか。

 深圳大学でも、芝生に座ってぶつぶつ呟いている学生を何人も見た。一緒に歩いていた星彤(シントン)に上の疑問を投げかけると、彼女は苦笑いした。

「私たちは、小学生の頃から暗記で乗り切ってきた。暗記以外の勉強法ってあるの?」

 

 大学の近隣にはたいていショッピングモールが進出しており、若者たちの遊び場となっている。特に勢い目覚ましかったのは、「一点点」や「Luckin Coffee」のようなドリンクのチェーン店で、いつでも若者の列ができている。テイクアウトしたドリンクを手に持って歩く人もよく見かけた。明明や紫荆によると、10代から20代は、上の世代に比べてインドアを好むという。集団で行動しがちな中高年と異なり、自らの興味や嗜好を優先し、個人で行動するのも、若い世代の特徴だという。紫荆に「中国人は夏でもお湯を飲むのが好きなんだね?」と訊くと、こう返されたものである。

 「中国人は14億人もいるんだよ、そんなの答えられない!『紫荆は夏でもお湯を飲むのが好きなの?』と聞いてくれたら答えてあげる」

 街歩きの最中に、明明は小学校の運動場を指さした。

 「ほら、あのグループ、音楽をかけてダンスしてるでしょ。ほとんどお年寄りだわ。今頃、若い人はソファーに座ってテレビを見ている」

 

 世代交代は進む。「夏の夕方におじさんやおばさんが、外の椅子に座って涼んだり、将棋を打ったり、広場で太極拳を踊ったりしている、ゆったりとした光景が大好きなんだけど、この光景は君がおばさんになる頃には見られなくなるんだろうか?」復旦大学社会科学科の佳丽(ジィァーリー)に悪戯っぽく尋ねると、彼女は頷いた。「そう思うわ。10年後にまた来てみて。中国の街角から、違った印象を受けるはずよ」

 

私たちの世代が、日中協力のチャンス?

 

▲熊本熊(くまモン)のファンだという四川出身の大学生・科奇とともに

 

 対日観も世代間で異なるかもしれない。60代以上の世代では、抗日战争(日中戦争)や南京大屠杀(南京大虐殺)の負のイメージが先行する。南京行きの列車で隣になった元警察官のおじさんに、日本人であることを告げると「1937年の12月から1938年の春にかけて、お前が今から行くところで何が起きたか知っているか?」と尋ねられた。

 改革開放が少年期にあたる40代から50代では、追いつき追い越す対象としての日本、技術立国、サービス立国の日本、というイメージが加わる。さらに、文化大革命後の1980年代、日本の映画やドラマへの門戸が広がったため、高倉健や山口百恵の話で盛り上がるのも特徴だ。

 10代から30代は、より多面的な対日観をもっている。第二外国語として日本語を学んだり、日本に留学したりする人が増えてきたからだろう。若い世代は、日本のアニメやマンガの熱烈な愛好者だ。湖南省長沙の飲食店で隣になった中学生の女の子と、机器猫(ジーチーマオ;ドラえもん)の話で盛り上がることができたのにはびっくりした。広州の宿で出会った四川出身の大学生・科奇(カーチ)は「僕はNARUTO、ワンピース、そして熊本熊(くまモン)のファンだ。アニメがきっかけで、日本に親しみをもち、日本語を独学したよ」と語った。

 世代間の分析から分かることは、少年期に醸成されたイメージが、大人になっても残るということだ。若い世代が日本に親しみを感じているのは、幸運の兆しだ。彼らがリーダー層になれば、ビジネスや文化芸術など多くの分野で日中両国の協力が進むだろう。

 科奇が気がかりだというのが、「10后」(2010年以降に生まれた世代)の対日観である。「10后は中国が小さかった頃を知らない。最近、抗日戦争についての歴史教育が強化された。日本作品の放映も以前より制限され、愛国意識を植え付けるような国産のアニメが流れている。10后が日本を知る機会が少なすぎる」。

 

自由か、安定か

 

 中国滞在中、酒にも乗り物にも酔わなかったが、標語には酔ってしまった。工事現場の外壁に貼られたポスターから銀行のモニターまで、生活のあらゆる場面で党のスローガンが主張している(日本では党のスローガンの代わりに広告が主張しているところだ)。溢れるスローガンによる人々への刷り込み効果は抜群だろう。私の友人などは、中国を10日間訪れただけで「富強 民主 …」で始まる「社会主義核心価値観」を覚えてしまったという。復旦大学の学生二人と夕食を共にしたときに私の標語酔いを打ち明けたら、二人は顔を見合わせて黙り込んでしまった。気分を害してしまったかと慌てていると、一人がぼそりと呟いた。「標語は彼らが言うのに任せる」

 冒頭に出てきた驰蹈は、寮の机の上に届けられていた当日の新聞を私にくれた。

「これお前にあげる。中国語の勉強になるぜ」

「あれ?自分では読まなくていいの?」

「読まなくても、何が書いてあるかはもう分かっているから。特に一面は」と驰蹈は言う。一面の見出しに目を通すと、彼の言葉の意味が知れた。「習近平が○○と述べた」「習近平が○○に会った」「習近平が○○を訪れた」「習近平が…」。

 紫荆はこんな笑い話を教えてくれた。

 「CCTV(中国中央電視台)の記者が、人民の幸福度を調査する番組で、路上でおじさんにインタビューした。「あなたは幸福ですか?」(你幸福吗?)ってね。そしたらおじさん、こう答えたの。「俺の名字は曾だ!」(我姓曾!)」

 「あなたは幸福ですか?」(你幸福吗?)の発音は、「あなたは福さんですか?」(你姓福吗?)の発音にとても近い。曾おじさんは記者の質問を聞き間違えて、珍回答を言ってしまった、滑稽でしょ、と紫荆は教えてくれた。

 「你幸福吗?我姓曾!」は数年前にオンラインで爆発的に流行し、中国の若者ならほとんど誰でも知っているという。この笑い話が「バズった」のは、単に滑稽だという理由だけではないだろう。CCTVは国営のテレビ局であり、その番組は党の宣伝を色濃く反映する。記者は、党の社会福祉政策の成功を裏付けるために「幸福ですよね?」と曾おじさんに念押ししたのだろう。ところがおじさんは記者の質問をはぐらかし、党の宣伝材料にされることを拒否した。多くのネットユーザーがおじさんの切り返しを痛快に感じたから、笑い話が拡散した。そんな見方もできるのではないか。

 ある大学生からは、日本の憲法改正の議論について根掘り葉掘り質問された。「君は、憲法改正の一番の論点は何だと思うか?」「自衛隊を憲法に明記せよという主張をどう思うか?」私があれこれと意見を述べたのち、大学生は言った。「君の話を聞いていて、私と君の意見には違いがあると分かった。でもそんなことはどうでもいいんだ。一番重要な違いは、君は政治の意思決定に参加できるということだ。君が改憲の国民投票で一票を投じられるのが羨ましい」大学生はため息をついて、続けた。「私はこの国の意思決定には参加できない。この国では、知らぬ間に憲法が書き換えられて、国家主席の任期が無制限になっている」

 

 このように、共産党の統治手法を斜めに見る大学生は多い。だが彼らも、根本的には党の指導に満足しているのかもしれない。そう考えさせられるような、次のようなやり取りがあった。私が佳丽に「香港で買った新聞が、大陸の新聞よりも批判的で面白かった」と話を振ったとき、佳丽は真剣な顔で答えた。

 「言論の規制は中国には必要だと思うの。中国は人口が多く、教育格差が大きい。情報を批判的に分析する訓練をしたのは、大学を出た人だけ。もし言論の規制がなければ、政権批判とか、反日とか、極端な言説が出回り、多くの人が付和雷同する。暴動が起き、社会が混乱し、国の勢いが衰える。これは50年前に実際に起きたことよ。香港や日本なら人口が少なく、人々の教育レベルもおしなべて高いから、言論の自由を認めても社会は混乱しないでしょう。でも安心はできないわ。民主主義が最も進んでいるという米国や英国さえ、Fake Newsに悩まされているでしょう。一方この国では、党による言論の規制がうまくいっていると思う」

 「言論の自由より、社会の安定のほうが優先ってこと?」

 「その通り。私たちが大学に通えるのは、社会が稳定(ウェンディン;安定)なおかげなんだから!」

 

文・写真 松藤圭亮 (理Ⅰ・2年)

 

【19歳が見た中国(全7回)】

①フェリーに乗って、ぶっつけ本番中国語

②学校の近くに、安くてうまい飯あり

③石橋を「叩く前に」渡る

④爆走出前バイクに見る「超級」便利社会の裏側

⑤字は書けなくても、スマホは使いこなす ~テクノロジーの都・深圳へ~

⑦あのスピード感を逆輸入しよう

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