新型コロナウイルス感染症流行の影響を受け、留学をはじめとする国際交流の機会が激減した昨年。東大の中にも、予定していた留学が中止になった学生や、逆に日本に滞在するのが難しくなった留学生もいただろう。現在、徐々にその状況が変わりつつあるが、実際に日本を出るとどのような世界が広がっているのだろうか。海外での滞在経験がある学生や海外にルーツを持つ学生に話を聞き「東大ワールドマップ」を作成した。シリーズの締めくくりとして、ペルー・米国編をお送りする。
(構成・松崎文香)
ペルー🇵🇪 | 自身の核を保持しながらの国際性
ペルーに滞在していた小学生の頃
北川 かれん(きたがわ かれん)さん・文Ⅰ2年
私は小2から小6まで4年間、ペルーの首都リマの日本人学校に通っていました。ペルーの人々は自分にも他人にもおおらかで、その分、時間にはルーズな一面もありました。逆に、時間の正確さが日本の良さであると気付くことができました。
日本人学校は生徒数が少なかったので、学年を超えたつながりがありましたね。生徒の入れ替わりは激しく、転校生も快く受け入れていました。転出した子ともいまだにSNSで連絡を取り続けていて、定期的に会っています。
ペルーは治安が悪く、子どもが一人で外で遊ぶのは推奨されなかったこともあり、現地の子との交流は残念ながら少なかったですね。日系校と交流する機会が年2回ほどありましたが、すごく仲の良い友達が出来るということはありませんでした。
非英語圏に滞在したことで、英語だけが外国語ではないと思うようになりました。それからは、語学はツールの一つであり、何を伝えるのか、その中身を磨くことを心掛けています。
高1の時に留学も考えましたが、受験勉強との両立に不安があったことと、ネイティブレベルにはなれなくても、将来仕事をしながら必要な水準の語学力を身に付けようと考えたことから、留学をせずに受験勉強に専念する決断をしました。最高の環境でハイレベルな人たちと交流することで自分を磨きたいと考えて、東大を志望しました。
東大生の国際性については、海外での活躍が視野にない人が一定数いるなというのが正直な印象です。キャリアプランは人それぞれですが、海外に目を向ける私の価値観もペルーで形成されたと思います。
私は人と話すのが好きで、そんな性格を生かせる仕事に就きたいと思っています。そこで、日本を拠点に、海外でも活躍できる弁護士を目指しています。
米国🇺🇸 | ギターで覚えたDNA
13歳の頃に訪れたモニュメント・バレー
編集部員Mさん
高3の6月まで約4年間、米国に住んでいました。米国の好きなところは「人との距離感のバランス」。多様性を認め、人が変わったことをしていても干渉しない風潮がある一方で、目が合えばフランクに話し始めます。レジの店員さんと世間話をしたり、公園に1人で行けば初対面の人とバスケットボールを楽しめたり。逆に、他人と身内の境界線がはっきりしている日本には少し冷たさを感じることもあります。
学校の先生も多様性に富んでいて、授業の進め方はさまざまです。ギターを弾いて歌いながらDNAの構造を説明する先生や、過去に撮った授業動画を見せるだけで自分では授業をしない先生など。ちなみに教頭先生は精力的なYouTuberでした。今考えると、授業に飽きずに勉強できたのはそのような先生方のおかげかもしれません。東大の授業はレベ ルが高く刺激的ですが、進学選択の影響もあり試験勉強的な側面が強く、たまに高校時代ののんびりした授業も恋しくなります。
仕事観にも日本との違いを感じました。学区で教師の年金受給額減額が提案された際に、私の高校の先生がストライキを起こして数日間休校になったのが印象に残っています。買い物をしていても店員さんがへりくだることはなく、あくまで対等です。商品に不備があっても過度に謝ることはなく、むしろ「誰にだってミスはあるでしょ」といった雰囲気さえ漂います。いいかげんな性格の私には居心地が良かったですが、日本の丁寧な接客やきっちりとした仕事ぶりには感動するばかりです。
将来就きたい職業は定まっていませんが、いろいろな国で仕事をしたいなと漠然と考えています。滞在経験のある日本と米国は、世界のほんの一部にすぎないので。ただ、いつまで経っても卒業後の進路について真剣に考えずにのんびりしているのは、米国で暮らした弊害かもしれませんね(笑)。