新型コロナウイルス感染症流行の影響を受け、留学をはじめとする国際交流の機会が激減した昨年。東大の中にも、予定していた留学が中止になった学生や、逆に日本に滞在するのが難しくなった留学生もいただろう。現在、徐々にその状況が変わりつつあるが、実際に日本を出るとどのような世界が広がっているのだろうか。海外での滞在経験がある学生や海外にルーツを持つ学生に話を聞き「東大ワールドマップ」を作成した。今回はシリーズ第1回として、インド・アメリカ・台湾編をお送りする。
(構成・松崎文香)
インド🇮🇳 |多様性を許容する国民性
吉岡 航輝(よしおか こうき)さん ・工学部3年
8歳からの4年間、父親の仕事の都合でインドのバドダラに滞在していました。バドダラでは人々の生活と自然との距離が近く、通っていたインターナショナルスクールのトイレに大きなヘビが詰まったことが印象に残っています。
インドの好きなところは、多様な人種や宗教が混在し、人々が異質な存在も許容する寛容さを持ち合わせているところです。現地の子どもとはすぐに仲良くなり、カバディや町の探検をして遊びました。インドの人は何にでも意欲的に挑戦する一方で、時に場の空気を読むことなく発言する面を持つとも感じました。日本では言わなくても分かってもらえることが分かってもらえず、戸惑うことがありました。
バドダラは道路などがあまり整備されておらず、帰国してから日本のインフラがいかに整っているか実感したのを覚えています。治安の良さや比較的経済格差が小さいことも日本の良さとして再確認しましたが、帰国直後は閉鎖的で独特なコミュニティーの中で過ごしづらさも感じました。
インドの学校では、将来英国や米国で働くことを意識して授業が英語で行われる場合が多く、高等教育まで受ける人の大部分は大学進学や就職でインドを出ます。私も当初海外大学を志望していましたが、学問的な未熟さを克服するためにはまず母国語である日本語で勉強した方が良いと考え直し東大に進学しました。近年東大は留学生の受け入れに力を注いでいますが、留学生支援における言葉の壁をなくしていけば、従来の東大の良さと国際的な要素を兼ね備えたより良い大学になると思います。
日本とは全く違う世界で暮らして、多様な人を受け入れようとする姿勢が身に付きました。今後は自分の可能性を潰さないように幅広い知識や経験を得ていきたいです。
アメリカ🇺🇸・台湾🇹🇼 |外から見つめ直す「日本」
編集部員Aさん
親の仕事の都合で生まれてから日本と海外を行き来する生活でした。11 歳まで計9年間をアメリカ、13 歳から2年間を台湾で過ごしました。
アメリカの好きなところは多様性。まず人が多様です。友達にはインド系、中国系、アフリカ系、メキシコ系、などさまざまなルーツを持った人がいました。人種など気にせず、遊んだり話したりした日々がまさに私の「子ども時代」だったと思います。楽しかったですね。また、アメリカは場所も多様です。グランドキャニオンのような広大な自然があれば、シカゴのような大都会もある。一番長く住んだミシガン州では毎年雪がものすごく降って冬は外に出るのも一苦労でした。対照的にその次に住んだカリフォルニア州は年中温暖な気候でしたね。
アメリカでは現地校に通いながら土曜日や放課後に日本語補習校に通い、日本の学習指導要領に沿った勉強もしていました。現地校はプレゼンテーションやブックレポートなど創造力が求められる課題が多いのに対して、補習校からはワークが何十ページも宿題として出されたりと課題に日米の文化の差が表れていた気がします。
アメリカから帰国し2年弱日本で過ごした後台湾に引っ越しました。台湾は現在進行形で発展していて、日本やアメリカよりも若い、エネルギッシュな雰囲気が魅力的でしたね。また隣に住んでいたおじいさんが流ちょうな日本語で話し掛けてきたり、日本統治時代の建物が多く残っていたりと、台湾が日本の植民地だった名残が各所にあったのが印象的です。日本人としての自分のアイデンティティーや祖国の歴史を見直すきっかけとなりました。
幼い頃の経験からか異文化交流が好きで、東大入学後も各種海外交流・留学プログラムに参加したり、PEAKの授業を受けたりしています。現状隔たりが大きい4月入学の一般生と9月入学のPEAK生の交流を進めるなど「学内の国際化」をもっと推進できれば東大はより良くなるかなと思います。将来は日本から何かを世界に広められるような、世界各地で働ける職に就きたいです。