4年に一度の尊くも儚い祭典、W杯。
特に今大会は日本の歴史的な大躍進、過去類を見ないほどの名ドラマを生んだ決勝戦のおかげもあり、多くの日本人にとって印象的なものとなったであろう。そんなFIFAワールドカップカタール2022を大局的な視点から振り返っていきたい。字数の関係もあり、今大会の総評と日本が欧州列強に勝った要因を簡潔に探る。(寄稿=東京大学運動会ア式蹴球部)
弱点を持たないチームの躍進
今大会の大きなトレンドとしてあげられるのはやはり前回大会に続くクロアチアの奮闘と、アトラスの獅子ことモロッコの快進撃であろう。両チームとも堅牢でコンパクトなブロック守備を武器に、連動したプレスやデザインされたビルドアップを高いレベルで装備している。彼らを筆頭に、決勝で鎬(しのぎ)を削ったアルゼンチンやフランスなど、ボールを持っても相手に持たせても、あらゆる局面に対応できる柔軟なチームが上位に食い込んだ印象が強い。
強固なゲームモデルを持つチームの低迷
全方位に対応できる柔軟なチームが結果を出したということは、敗退するのは自分たちの確固たる型を持つチーム、ということになろう。その代表例は、アジアにおいてはカタール、サウジアラビアである。カタールは自分たちの形を持ったビルドアップとサイドに追い込みボールを奪うプレスに定評があり、サウジアラビアは整った配置でのビルドアップを戦術として装備している。この2チームが早期に敗退したことは個々の選手のクオリティや戦術的な熟練度を考慮すれば理解し難くはない。
しかし衝撃的だったのはドイツとスペインの敗退だろう。どちらもボールを持ち試合を支配することに格別こだわりを持っており、現代サッカーの潮流の一つであるポジショナルプレーを信奉するチームである。特にスペインにおいては緻密な配置、圧倒的な個の技術、極限まで完璧を追求した正確かつ美しいプレーを絶対的な正解としている。しかし、いやだからこそ日本代表の森保監督は、ハイプレスに出てもスペインはロングボールで逃げないと判断し、世紀の大ギャンブルに勝つことができたのであろう。実際にFIFA公式が発表しているデータからは、ボール保持におけるアクションの内、スペインがロングボールを選んだフェイズ及びカウンターアタックに挑んだフェイズは衝撃的にも0%であることが読み取れる(DATA1参照)。このことからも、森保監督の判断は正しかったと結論づけられる。
代表チームの課題と日本の勝因
近年、代表のクラブチーム化と言われて久しい。特にスペインはFCバルセロナの、ドイツはバイエルン・ミュンヘンのサッカーをベースとしている。実際にスペイン代表監督のルイス・エンリケもドイツ代表監督のハンジ・フリックも過去にこれらのクラブの監督を経験している。
テクノロジーが発達し高度な分析が世界中に共有されたことでサッカーにおける戦術の学問化が進んだ。そして従来は感覚でプレーしていた領域にデータが与えられたことでますますピッチにおける事象が複雑化した。サッカーにおける分析の発展それ自体は素晴らしいことであるが、プレーするのはロボットではなく理性と感性の統一体としての人間である。常に合理的な判断ができるわけもなく、常に込み上げてくる情動を制御できるわけもない。個人的には今回のカタールW杯は戦術の学問化が進展するサッカー界にアンチテーゼをもたらしたと感じる。
それは日本も例外ではない。対ドイツ・スペイン戦。どれだけの人が、日本がグループEを首位通過すると本気で信じていたであろうか。実際彼らと10回試合したとして何回勝てるのだろうか。恐らく8、9回は完膚なきまでに叩きのめされるだろう。しかし舞台はW杯である。一度限りの勝負に全てを賭けることができるし、賭けなければならない。そういった意味で、森保監督の緻密なゲームプラン、完璧にハマった名采配、大ギャンブルに出ることのできる大胆な知性が、確固たる戦術を持つ欧州列強と渡り合うことを可能にし、延いては勝利をもたらしたのだろう。
ギャンブルとは言ったが日本が常に絶望的な状況であったわけではない。特にスペイン戦、0-1で負けている状況で日本は後半開始時に久保、長友に代え三苫、堂安を投入し[3-4-2-1]のシステムの両WGを伊東、三苫が担う超攻撃的なスタイルへと舵を切った。しかし実際伊東、三苫はスペインのDFに対し質的優位を保っていた。一見すると、スペインに圧倒的にゲームを支配されていたように見える。確かに日本のボール保持率が14.7%、その他のボール保持時の指標においてもスペインに圧倒的に分がある状況であった(DATA2参照)。
では、日本はスペインに完全に崩されていたのだろうか。DATA3、4を見てほしい。これらは各チームのディフェンスラインの高さとチーム全体の陣形の長さを3つのブロック(高い位置からプレスに行く時、ミドルブロックで構える時、低い位置で相手の攻撃を跳ね返す時)に分けて算出したものである。基本的にディフェンスラインは高いほど相手に押し込まれて失点する機会が減少し、自チームがカウンターで得点するチャンスも増加する。チーム全体の陣形の長さもコンパクトに保たれていた方がライン間が間延びせず、相手のビルドアップを阻害しやすい。その点で日本は主将の吉田を中心として最終ラインを高めに保ち、コンパクトで統率の取れたブロック守備でスペインに決定機を作らせなかった。
さらに衝撃的なのは、攻撃においても日本がスペインよりも優れていた側面があったことだ。それはxGである。xGとは音楽グループのこと、ではなくゴール期待値のことである。ゴール期待値とは各チームがどれくらいの点数が入るパフォーマンスをしたのかを統計的に示す指標である。これは各シュートの位置、使った体の部位、相手の位置など様々な状況を考慮し、膨大な量の分析データに基づいて算出されるものである。DATA5を見ると、スペインが1.12xGなのに対して日本は1.27xGという数値を獲得している。土壇場で決定力の高さを見せつけ、勝利の女神を呼び寄せたのはラ・ロハではなくサムライブルーであった。
神と怪物の対峙
やはり触れずにはいられないのが決勝戦であろう。名だたるタイトルを総なめにしてきたメッシが唯一獲得していないのがこのW杯であった。しかしMessi for all, all for Messiの精神で勝ち抜いてきたアルゼンチンの前に幾度となく立ちはだかったのが、将来のサッカー界を確実に牽引していく存在であるエンバペ率いるフランスであった。しかしフランスにとっては不運なことに、今大会はメッシのためのW杯である。どんなに善良な人間でもきちんと頑張っていれば誰かの物語では悪役となる、とはこのことであろうか。ABEMAの某解説者をはじめに、世界中のサッカーファンの多くがメッシの勝利を祈っていたであろう。絶対的な支柱であるカンテ、ベンゼマ、ポグバ、キンペンベを欠き、決勝当日まで体調不良者が続出した中であれだけの死闘を演じたフランスの前回王者としての底力は目を見張るものがあったが、幼少期にメッシに憧れを抱き、ピッチ上でメッシのために奮闘するアルゼンチンの若き精鋭達の美しき根性には目を潤ませるものがあった。特に得点直後のディ・マリアの涙、優勝後にメッシを肩車するアグエロの姿には感情移入せざるにはいられなかった。
総じて、今大会は歴史的に見ても多くのドラマが生まれ、4年に一度の祭典に相応しいW杯となった。早くも、この輝かしくも刹那的な舞台を見据えた次なる冒険の旅は始まっている。4年後が既に楽しみである。(東京大学運動会ア式蹴球部テクニカルユニット2年 生田健祐)
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