学術

2021年12月12日

投票することの意味を問い直す ~民主主義社会における選挙との付き合い方~

 

 10 月末に衆議院総選挙が行われた。選挙期間中、投票率の低下の問題が指摘される一方で、投票を呼び掛ける運動が盛んに行われた。だが、そもそも投票に行くことにはどのような意味があるのだろうか。投票に行くことは政治にどのような影響があるのか。また、ただ投票に行けばよいのだろうか。今回の選挙を振り返りつつ、投票することの意味について問い直したい。(取材・川田真弘)

 

「投票に行こう」という呼び掛けの意味

 

 今回の総選挙では期間中に「VOICE PROJECT投票はあなたの声」というYouTube チャンネル上で芸能人らが「投票に行こう」と呼び掛けるなど、有権者の投票を促進する運動が盛んに行われた。SNS上では「# わたしも投票します」というハッシュタグの使用が多く見られた。

 

 しかし、政治思想史を専門とする山本圭准教授(立命館大学)は、政策やイデオロギーの中身に触れることなく「とにかく投票に行こう」というメッセージを発することにはどこか空虚さを感じるという。

 

10 月末に行われた第49 回衆議院総選挙の投票率は55.93%だった。そもそも有権者はなぜ投票に行き、それ以外の有権者はなぜ投票に行かなかったのか?

 

 こうした運動は、投票を呼び掛けることで政治を変えようという野党支持層によるところが大きかった。だが、山本准教授は何もないところに呼び掛けても有権者はなかなか動かないのではと語る。

 

 「私の専門は選挙研究ではなく、政治思想なので言いますが、そもそも数年に一回の選挙のときだけ政治に関心を持てと言われて投票率が上がるわけがありません。それはいわば、健康診断の前日だけ節制しても意味がないのと同じことです。健康維持のために健康診断の数値だけ気にしても仕方ないのと同様、投票率ばかりに気を取られる必要もありません」

 

 「そもそも政治において必要なのは明確な対立軸です」。これはベルギー出身の政治学者シャンタル・ムフが言っていることでもある。複数の候補者・政党が同じような公約を掲げていると、有権者はどちらに入れればいいか途方に暮れることだろう。各候補者・政党が対立軸を明確に示すことで、人々に選択肢を提示することが政治には不可欠だという。

 

投票に行くということの意味

 

 しかしながら、そもそも投票に行くことによって政治はどのように変わるのか、あるいは変わらないのか。野党支持層は今回の選挙を通じて政治を変えようと呼び掛けた。しかしながら、政治に大きな変化をもたらすことを投票の動機にしない方がよいと山本准教授は言う。

 

 実際、自分の一票が候補者の当落や政党の勝敗を左右する可能性は限りなくゼロに近い。むしろ、個人の意思の入力の先に集合的な意志が可視化されることに投票の意味がある。つまり、選挙においては有権者「個人」が主役ではない。

 

 そもそも選挙においては現職が有利であり、政権交代のような大きな変化が起きることはめったにない。そのため、投票による政治の変化を強調し過ぎると、変わらなかったときの失望感だけが大きくなると懸念される。

 

 それでは投票に意味はないのか。山本准教授は、権力者をコントロールする手段が人民にあることを確認する点において、選挙には意味があると語る。

 

 フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーは、当時のイギリス社会に関して、イギリスの人民が自由なのは選挙の間だけのことで、選挙が終わると奴隷となり無に帰してしまうと主張した。通常この一節は選挙を批判するために引用されることが多い。しかし逆に、少なくとも選挙の日だけは自由になれると読むこともできる、と山本准教授は言う。選挙は為政者に、権力の源泉が人民にあることを想起させる。たとえ一時的であったとしても、定期的にこうした機会があるのとないのとでは、まったく状況が異なるというわけだ。

 

ジャン=ジャック・ルソー(1712 ~ 78)イギリスの人民が自由なのは選挙の間だけのことで、選挙が終わると奴隷となり無に帰してしまうと主張した

 

 他方で、山本准教授は若い人に対して「投票によってあなた自身が変わる」と話すこともあるという。投票に行くことによって、自分が投票した候補者や政党の選挙結果に関心を持ったり、それについて家族や友人と話をしたり、あるいは自分が投票した候補者・政党の任期中の仕事を観察するきっかけとなったりするということだ。自身の利害が固定化していないため、若年層は長期的なビジョンに基づいて政治を眺めやすい。この意味でも、投票に行くことは個人の価値観の形成にもつながる。

 

 山本准教授は「投票を過大評価する必要もないし、過小評価する必要もない」と語る。確かに、一人一人の投票は選挙結果に影響を及ぼさないかもしれない。それでも意義がないわけではなく、社会的に見ても無視できないといえそうだ。

 

政治が分からないから投票しない?

 

 ここまで、投票することの意義について問い直してきた。そこでは、投票することを善とする価値観が前提になっていたといえるだろう。だが、そもそも投票は無条件に促してよいものなのか。

 

 例えば、政治についてよく分からない状況で投票するのはよくないという声がある。これに対し、山本准教授は「分からなくても投票を控える必要はない」と語る。

 

 確かに、投票に当たっては十分に投票先を考えるということは大事なことだ。政治学の議論には「熟議の日」というアイデアがある。これは、大統領選などの重要な選挙の前に市民らを招集し、候補者や政策について話し合ってもらうことで、よりよい民意を政治にインプットしようといった考え方である。

 

 だが、そもそも政治に関心を持つためには一定のゆとりが必要だと山本准教授は強調する。毎日仕事や家事に追われる生活では、政治や社会について考えを巡らす余裕がない。「政治参加のためには、余暇も含めて、社会のあり方を見直す必要があります」

 

構築主義的な代表論とは何か

 

 一方、政治に関心はあっても支持できる候補者・政党がないという理由から投票に行かないという人も一定数いる。このような投票行動をどのように考えればよいか。

 

 山本准教授は、基本的に自分の意見と完全に一致する候補者はいないので、関心のある争点に着目してより考えの近い候補者・政党に投票してはどうかと語る。

 

 確かに代議制民主主義においては自分の意見がそのまま政治に反映されることは難しい。政治家という代表者を選ぶに当たっては、より考えの近い候補者・政党に投票するといった多少の妥協も必要なのかもしれない。

 

 同時に、候補者・政党に魅力がないという声については、有権者よりも政治家の方が真摯(しんし)に受け止めるべきだと言う。もとより代議制民主主義においては、代表する人と代表される人が存在しており、一般に前者が議員、後者が有権者に当たる。近年の政治学では、代表される人の意見やアイデンティティーはあらかじめ固定的に存在しているわけではなく、代表のプロセスの中で形成されるという考え方がある。これは「構築主義的な代表論」と呼ばれる。この考え方によれば、有権者の考え方は政治家の働き掛けによって事後的に形成される。政治家は有権者の意見を拾うことも大事だが、有権者に向けて積極的なビジョンや政策を提示していくことも重要なのである。

 

(図)構築主義的な代表論

 

 こうした考え方によれば、候補者・政党に魅力がないのは需要側というよりも供給側の問題である。有権者の反応の鈍さは、他ならぬ政治家の課題であると山本准教授は語る。

 

民主主義は選挙だけではない

 

 最後に、我々はどのように選挙や投票と向き合っていけばよいのか。

 

 民主主義と選挙を結び付ける考え方には、経済学者ヨーゼフ・シュンペーターの影響がある。これは、民主主義を選挙による競争として捉える選挙民主主義の議論である。しかし、シュンペーター以降の民主主義論は、選挙の意義を相対化しようとしてきた。例えば参加民主主義や熟議民主主義などがそうであるという。

 

 私たちの生活に政治がどのように関わっているのかが分かれば、人々の政治への関心の向け方も変わってくるのではないか。経済政策や環境問題という大きな争点はもちろんのこと、子育てや介護もまた政治の問題である。そうした生活の先に政治や選挙があるといった認識を持てるようにすることが、時間はかかっても、政治の感度を上げていくために必要なことであると山本准教授は語る。

 

 本来政治は生活と地続きのものであり、選挙は一つの通過点として位置付けられる。「政治の活性化には選挙のない時期こそが重要です。日頃から政治と生活との関わりを意識し、実感できることが必要だと思います」

 

 
山本圭(やまもと・けい)准教授(立命館大学) 11 年名古屋大学大学院博士課程単位取得退学。博士(学術)。岡山大学講師などを経て17 年 より現職。
山本准教授の著書『現代民主主義 指導者論から熟議、ポピュリズムまで』(中公新書)。民主主義という意味の複雑に絡み合った概念が、いかに語られ、理論化されてきたかを、20 世紀以降の政治思想を手掛かりに探る

 

 

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