昨今の世界情勢の最大の危機ともいえるウクライナ侵攻に関しては、ニュースやワイドショーなどでも多く取り上げられている。しかし、ロシアとウクライナを取り巻くイデオロギー的な問題や文化的な問題について言及されることはあまりない。今回は、近代ロシアの文学や思想が専門の乗松教授(東大大学院総合文化研究科)にインタビューし、人文科学の観点からウクライナ侵攻を読み解く。(取材・近藤拓夢)
乗松亨平(のりまつ・きょうへい)教授(東京大学大学院総合文化研究科) 05年東大学大学院人文社会系研究科欧米系文化研究専攻スラヴ語スラヴ文学専門分野博士課程単位取得退学、博士(文学)。同志社大学助教などを経て、22年より現職。著書に『ロシアあるいは対立の亡霊 「第二世界」のポストモダン』(講談社)など。
───今回のロシアによるウクライナ侵攻に関して、東大をはじめとして様々な学術機関が反対声明を出しています。メッセージをお願いします
いうまでもないことですが、今回の侵攻、そして暴力を正当化することは決してできません。プーチン政権は、発足当初からチェチェン共和国の独立運動を暴力的に抑圧するなど、軍事力の行使に対するモラルがとても低いといえます。今回の侵攻も過去20年のプーチン政権による軍事力行使がエスカレートした結果であり、このような惨劇になる前に国際社会に何かできることがあったのではないかと感じます。また、自分自身の研究に対しても、ロシアの状況を楽観視していたのではないかという忸怩(じくじ)たる思いがあります。今回の侵攻に対して、国際社会が連帯しロシアの国家方針そのものを改めるよう迫らねばならないと思います。
───現在の厳しい状況下でも、ロシアやロシア語を学ぼうという学生は多いかと思います。そのような学生に対するメッセージをお願いします
このような状況の中でロシア語やロシアについて学ぼうとしてくれた学生の皆さんには感謝したいと思います。ロシアがなぜこのような暴力に至ったかを考える上でも、ロシア語というツールを使い、内側から分析することが欠かせません。ロシアのネガティブな面も含めて学ぼうとする学生の意欲に応えられるように努力したいと思います。
───ロシアとウクライナを取り巻く地政学的問題や政治的問題は世間でも触れられることが多いですが、その根底に流れるイデオロギー的な問題、文化的な問題について言及されることはあまりないように思います。今回のロシアによるウクライナ侵攻に関係する範囲で、上記の問題について教えてください
一般的に、ある国の文化について「この国は〇〇だ」といったようにまとめてしまうのはあまりに乱暴です。しかし、今回の件に関係する範囲であえてまとめるならば、近代のロシア文化や政治は「西欧へのコンプレックス」によって駆動されてきたといえるでしょう。そのコンプレックスの一つの結実として、ソ連の社会主義体制による西側諸国への挑戦があります。今のロシアを見ると、ソ連崩壊で一度挫折した西側への挑戦が再び試みられているように見えます。
日本にも西欧を後追いして近代化した歴史や欧米に対するコンプレックスがあり、ロシアと多くの共通点があります。第二次世界大戦に至るまで、欧米への軍事的挑戦を日本も試みましたし、敗戦後はアメリカの軍事保護下に入りながらも、経済分野でその挑戦を続けました。しかしそれもバブル崩壊で挫折し、今の社会全体を取り巻く沈滞した状況や敗北的なムードにつながっていると言えます。ロシアで今起きていることは歴史の歯車が少しずれていたら日本で起きていた可能性もあるのではないか、という視点からロシアについて考えてみることもできるでしょう。
───「西欧へのコンプレックス」がプーチン政権を今回の戦争へ突き動かした一つの要因ということでしょうか
プーチン大統領が昨年発表した『ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について』と題された論文などでは、ウクライナを包摂するルースキー(民族的一体性を持つロシア人)という理念が語られています。そこでは、ソ連崩壊によって失われた一体性を西側(に支援されたウクライナ政府)から取り戻すのだ、という復讐(ふくしゅう)の情念が濃厚です。
プーチン政権はナショナリズムに関して複数のイデオロギーを並行的に有していますが、ウクライナとの関係で重要なのはルースキー・ミール(ロシア世界)と呼ばれるイデオロギーです。ソ連成立以降多数のロシア民族が国外に亡命した上、ソ連崩壊後、かつてのソ連構成国に移住していたロシア民族に対する地元住民の反発が高まりました。このような状況で、国内外のロシア民族を結びつける紐帯(ちゅうたい)として、ルースキー・ミールは考案されました。今回の戦争においてもロシア側の戦争の大義名分として「ウクライナ国内のロシア系住民保護」がありました。
しかし、ルースキー・ミールの概念は非常にあいまいで、拡張性を持っています。ロシア民族だけではなく、ウクライナ民族など非ロシア民族のロシア語話者もルースキー・ミールの一員と拡大解釈できる側面があるのです。さらに、ルースキー(ロシア人)という語には、歴史的にはロシア・ウクライナ・ベラルーシの三民族を区別しない「ルーシ人」を指す用法もあり、これを根拠に三民族の歴史的一体性が主張されたりもしています。
また、今回の戦争においてロシア政府は、自分たちが行っている行為を西側諸国に責任転嫁するレトリックを多用しています。具体的には、ウクライナに内政干渉したり、フェイク・ニュースを拡散したり、ウクライナ国民を殺害したりしているのは、ロシアではなく西側諸国やそれに支援されたウクライナ政府である、といった主張です。これらはあからさまな嘘なのですが、この種の嘘を臆面なく主張できてしまう社会環境がどのように形成されたのかということが重要だと思います。先ほど説明したイデオロギーや思想に関しても、私たちから見れば荒唐無稽なその内容以上に、それがロシア社会においてどのように機能するのか、なぜそのイデオロギーが戦争に直結してしまったのか、といった「イデオロギーの社会的機能」の問題の方が重要です。
───ウクライナ危機に関して、学術機関が果たせる役割はあるのでしょうか
学術機関が果たせる役割は、経済や軍事が果たすそれに比べて限定されています。しかし、研究や教育のリソースを割いたり社会に専門知を提供したりすることは可能です。例えば、ウクライナからの避難民への教育機会の提供や、ロシア語・ウクライナ語を習得した人材の提供などです。また、今の世界に必要なのはウクライナ支援の連帯の輪を広げることです。連帯の場面において、大学はロシアの大学・大学人との連帯という特別な役割を果たすことができます。ロシアの大学は戦争支持を表明したりもしていますが、反戦やリベラリズムの重要な拠点でもあります。彼らへの支援により、ロシアのリベラリズムの火を絶やさないよう努めることは大切です。
───乗松教授は近代ロシアの文学や思想がご専門ですが、そのような人文科学は、一般的には社会科学や自然科学と比べ非力とされることが多いかと思います。ウクライナ危機を通して、人文科学が果たせる役割とは何でしょうか
直近の事態への対応という点で見れば、人文科学にできることは確かに限られています。人文科学の強みは、短期的な視野では捉えられない現象の把握にあるからです。ただ、今回の戦争がなぜ起きてしまったのか、なぜイデオロギーが戦争に直結してしまったのかという問いに対して明確な答えを出すのは、社会科学などの分野でも難しいことだと思います。今回のプーチン政権の決断はロシアにとってもデメリットがあまりに大きく、単純な損得勘定では理解できない選択だからです。なぜプーチン政権がこのような合理的計算から逸脱する行動を起こしてしまったのか、ということを理解するため、そして今回のような事態を繰り返さないためには、文化や歴史、イデオロギーに関する人文知は有用だろうと思います。
───ウクライナ危機に関してロシアの行動は非難されるべきですが、ロシアを理解しようとする人々の好奇心や興味が阻害されることはあってはならないと思われます。今だからこそ伝えたいロシアの魅力はありますか
ロシアという国やその文化全体が、今回の戦争に還元されることはもちろんありません。20世紀における反戦・非暴力運動の火付け役となったのはロシアのトルストイで、ロシアには反戦・反権力の強い流れがあります。ロシアという国を一つのイメージで捉えることはできないのです。トルストイに限らず、文学や音楽、美術、映画など、ロシアの芸術は世界に冠たるものなので、ぜひ時間のある学生時代に触れてほしいと思います。
ただし、文化や芸術を政治的にまったく無垢なもののように捉える姿勢についても、再考の余地があります。19世紀から20世紀にかけてのロシア文化の急激な開花は、先ほど述べたような、西欧へ追いつけ追い越せというコンプレックスと不可分です。例えばドストエフスキーの小説は、人間の歪んだコンプレックスと自尊心を比類ない深さで描いていますが、それも西欧へのコンプレックスと関係があると思います。そのような意味では、ロシアの文化や芸術も今回の戦争と遠くつながっていないわけではありません。文化や芸術の魅力は負の側面を含めて人間を描き出すことにあるのであり、文化自体の負の側面も考えることで、より深い理解が得られると思います。
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