インタビュー

2016年4月19日

16年度東大入試で著書からの出題 内田樹さん「身体的感覚を大事に」

――東大を含む近年の大学のグローバル人材の育成方針はどう思いますか
 米国モデルに無批判的に追従しているだけで、本当の意味でのグローバル化ではないと思います。合理的に考えたら、大学は、イスラーム圏やアジアやアフリカなど、様々な領域の専門家を育てて、思いがけない状況の変化にも対応できるような知的な準備を行う場だと思います。

 ですから、専門領域が多様で、教育理念・教育方法を異にする先生たちがいて、「百家争鳴」しているのが学問としては健全なかたちだと思います。国の安全保障上も、あらゆる事態に対応しうる各領域の専門家がいることでリスクヘッジできるはず。

 話は個人でも同じ。外交官になりたいから英語だけ頑張るというような一極集中は、短期的には効率的かもしれないけど「どうしていいかわからない状況で、どうしていいかわかる」という危機対処能力に資するとは思えない。効率的に成長するということはできません。こつこつとレンガを積んで堅固な塔をつくるように、ゆっくりだけどバランスよく、揺るがない人間的能力を開発していく方が大事だと思います。

 

――東大が16年度入試で導入した推薦入試についてはどう考えますか。グローバルだけでなく、多様な人材を集めたといえるのでは

 推薦入試制度は、学生が大学の教育理念に対し共感同意するのが前提。入学定員の15%ぐらいは採ってもいいが、あまり多いと大学に都合のいい学生しかいなくなるから、ペーパーテストも必要じゃないかな。ペーパーテストだから僕みたいな不埒な人間も紛れ込める(笑)。それがこれまで学生の多様性を担保してきたのだから、「もののはずみ」で来てしまった、という学生もいた方がいいと思いますよ。

 

――大学の役割とは

 僕が大学教員として学生につねづね言っているのは「できるだけ長い時間大学にいなさい」ということ。鼻をくんくんさせて、「なにか面白いことないかな」と自分の知的センサーの感受性を働かせて欲しい。

 そのような偶然の出会いの機会をできるだけたくさん提供するのが大学の仕事だし、僕も学生時代にある先生の授業で人生を変えるほどの衝撃を受けた。そういう出会いが一つでもあれば、それで十分ラッキーだと思います。

 

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――日比谷高校を1年で中退しています

 高1の秋、不良の友達に「内田君は何で勉強しているの?」「東大行ってどうすんの?」「楽しいの人生?」と無邪気に聞かれて絶句して。そう言われてみると、受験勉強なんてまるで意味がないと思って、高校を発作的に飛び出してしまった(笑)。父は高校を辞めるなら家を出ろと言うので、高2の8月からアパートを借りて働きました。最初は楽しかったけど、高校という「檻」を出た先は、中卒労働者というさらに厳しい現実の「檻」で心身とも疲れ切ってしまって、尻尾を巻いて家に戻りました。大学へ入ると約束して父に謝り、高2の1月に家へ帰りました。

 

――大検を受け高卒資格を得た後、文Ⅲに合格します
 文Ⅲを受けようと思ったのは願書を出す直前で、検事になろうと思っていたから最初は文Ⅰ志望でした。政治犯を責め立てる鬼検事とか、すごく向いていると思って(笑)。

 でも、途中でフランス文学がやりたくなって出願直前に進路変更しました。レヴィ=ストロースやフーコーやラカンなど、1960年代フランスの人文学の知的生産力は圧倒的でしたから。現在の人文諸学の基本的知見はほとんど全てこの時期に出揃ったと言っていい。この知的空間が僕には楽園のように魅力的に映りました。

 

――東大卒業後、大学院へ進学します
 僕は学生運動にも参加していたけど、革命党派を名乗って意見の違う学生たちを殴っていた連中がいきなり髪を切って、スーツ着て就活を始めたのが許せなかった。サラリーマンになる気だったら、初めからそういうことをするなよ、と思って。腹が立って、卒業してそのまま無職になりました。2年後に東京都立大学の大学院に進学しました。修論は自分の書く最後の学術論文になるだろうから納得のいくものを書こうと思い、仕事を辞めて、半年間はそれに集中しました。

 自分の知的能力を限界までフル回転して、つるはしで堅い地面を割っていくような作業が本当に楽しくて、これを一生の仕事にしたいと強く思いました。その修士論文が評価されて、博士課程に進むことができ、その先の研究者の道が開けました。高校中退から現在まで、その場の面白そうなことに惹きつけられると我慢できない性分なんです(笑)。

 

――楽しいことに集中して、将来が不安ではありませんでしたか

 刹那的かもしれないけど「今が楽しい」のは生物として全身の細胞が活性化している状態。生き物は自分の身体に悪いことはしません。だから、身体的感覚をセンサーにして、やることやらないことを判断する、というのはそのころから僕のスタイルでした。

 院生時代も将来研究職に就けるかどうか、まるで見通しなかったけれど、本を読み、考え、描いて、自己の知的限界を押し広げる時間自体が楽しかった。いつでも先行きに不安はあるけど、大学時代も無職の時代も大学院時代も総じて愉快でした。

 

――学生へ向けてメッセージをお願いします

 好きにやってください、としか言えないですね。効率よく生きようとすれば大体いつかは失敗する。大学入学まで効率よく勉強することだけに熟達し、費用対効果のいい生き方をしてきたスマートな学生たちに「その生き方は割とリスキーだよ」と言っても、なかなか聞いてもらえない。

 でも、「こうすれば効率的に成功できる」と思って失敗すると、その後リカバーするのは大変だけれど、「みんなが止めろと言うけれど、自分はこれをやりたい」と思ったことで失敗すると自分について学ぶことが本当に多い。若い人は必ず失敗します。それは若いんだから仕方がない。でも、失敗するなら、そこから多くのものを学び、成熟に資するような失敗をする方がいいと思いますよ。

 

内田樹(うちだ・たつる)さん (武道家・フランス文学者)
 75年東大文学部卒。専門はフランス現代思想・映画記号論・武道論。現在は京都精華大学客員教授・神戸女学院名誉教授・自身の道場『凱風館』館長。『私家版・ユダヤ文化論』など著書多数。

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