2015年、安保法案反対運動や18歳選挙権の実現が大きな話題になった。1970年代以降、学生が社会運動に参加することが珍しかった状況が変化を迎え、いま再び学生と政治の関係が注目されつつある。そこで今回、元衆議院議員の辻恵(つじ・めぐむ)弁護士に話をうかがい、自身が身を投じた60年代の学生運動を振り返ってもらった。(前編はこちら)
――運動の背景について、社会学者の小熊英二さんは、1960年代の学生運動を分析した『1968 〈上〉若者たちの叛乱とその背景』で、全共闘世代の若者は当時、「現代的不幸」に直面していたと書いています。つまり、厳しい受験戦争を勝ち抜いた末に大学で出会ったのは画一的なマスプロ教育で、アイデンティティ・クライシスや生のリアリティの欠落に悩むようになった。
小学校時代に「民主主義」や「戦争反対」の理念につかって育ったにも関わらず、大学に入る頃には環境破壊を伴って急速に経済成長していた日本、ベトナム戦争の後方基地となって戦争に協力する日本に違和感を持った、と。この点はその通りだと思いますか。
小熊英二さんは大分下の世代だということもあり、客観主義的な後追い分析だと思います。私たちは不幸だという実感は全くなく、私たちが新しく何かを作り出せるという自負心があり希望にあふれていました。無限の可能性を感じることができるのは若者の特権だと思いますが、私たちには68年のパリの五月革命のように、若者に無限の可能性へのチャレンジが開かれていると感じられる時代でした。
平和と民主主義については、むしろまやかしなのではないか、現実は違うじゃないかと批判的に考えていました。平和とか民主主義はうたい文句として語られていましたが、現実は差別や抑圧等の理不尽なことが充満していました。何よりベトナム戦争で日本が潤っているという現状に対し、自分たちの在り方も含めて足元から変えて行く、その戦いによって日本はもちろん、世界も変えて行くことができると信じることができました。
(ベトナムでは)68年2月4日に南ベトナム民族解放戦線(べトコン)が攻勢をかけて、サイゴンのアメリカ大使館を占拠しました。数日のうちに鎮圧されて、全員が殺されました。自分たちは日本で闘おうとしているけど、命を賭けるほどのものではない。なぜ死ぬのが分かっている戦いに、参加することができるのだろうと考え込みました。
ベトナムでは、アメリカの理不尽な戦争によって社会そのものが丸ごと破壊されているから、ベトコンの戦士たちはベトナムの地域・共同体・家族を守るために戦わなければ殺されるという状況の中で、生きることがすなわち戦うことなのに違いないと考えました。
私たちは直接命を賭けるわけではないけど、アメリカのベトナム侵略という世界の理不尽を目の前にして、自分たちの未来を考えたときに「ここで黙っていたら自分は何なんだ」と思うことには、広く共感があったんじゃないかと思いますね。
――運動に参加したことに、意味があったと思いますか。
非常に意味があったと思いますね。子供の頃から保守的な家庭に育ち官僚になろうと思っていたので、きっとそのままでは屈折感のない、上から目線のひどい官僚になったんじゃないかと思います。世の中はもっと複合的だし、考えなければいけないことはいっぱいあると知ることができました。運動の中でいろんな人々に巡り合えたし、いろんな視点があることを教えられました。自分がどんなに狭く、くだらない面があるかを認識させられたと思います。
皆、それぞれいろんな形で壁にぶつかって学んでいくというプロセスの共通体験が私たちの世代にありました。自分を否定し、その上で初めて自分を肯定できる、それはあの時代特有のものでした。
あの頃は、東大がまだ特権階級に近い存在であり得た最後の時代だったかなと思うんだけど、おのれは何になるのかと問われて、官僚や大企業に行かないと決めて、民主的な医者や弁護士や学者になるとしても、結局雇用主の立場になるのだから、労働者じゃないわけだよね。そういう意味では、自己矛盾の中にあるわけじゃないですか。そういう構造を認識して、その中で特権的なものをどう否定して自分は生きていくのかが問われた。そういう戦いだったと思います。
ベトナム戦争の悲惨さに目を向けることは、繁栄する日本経済の下で頻発する公害問題の悲惨さを感じることに繋がります。平和と民主主義の平等な社会であるはずなのに、部落問題や在日朝鮮韓国人への差別,さらには男女差別が厳然と存在する現実の中で、どうすればよいのか。自分たちの生き方を考えないといけないと、突きつけられている雰囲気がありましたね。ここから、市民運動や住民運動も広がっていきました。
1970年代に広がったこの流れは、価値観の多様化と人々の生活や在り方の多様性を生み出し、現在にもつながっていると思います。僕たちは今人生を総括すべき年齢になって、当時持っていた問題意識をどう抱えて生きてきたのか、他の世代の人たち、特に若い世代の人たちに語れることを語る必要があるし、出来れば何らかの形に示すことが出来ればいいと思う。僕は10年余り学生運動に関わった後、弁護士として活動してきたけれど、55歳の時に政治家になろうと考えたのは、学生時代以降の問題意識を僕なりに政治の中で示したいと思ったからでした。
――60年代学生運動の経験を踏まえて、今年の安保法反対運動で学生が中心的に行動したことについてどう思いますか?
現実が変だと思い、それが自分たちにも関係があるということで発言し行動し始めたということは非常にいいことだし、やはり若者には時代の転換期を感じ取る能力があるのだと思います。安保法によって戦後の政治と社会の体制が根本的に転換させられようとしていることに一番影響を受ける世代として、肌で感じるところがあるんじゃないかな。
SEALDsの奥田くんは、9月の『朝まで生テレビ!』で「SEALDsを参議院選挙前までに解散します」と言っていました。安保法案に賛成した議員を落選させる落選運動の話も出ているようだけど、では誰を当選させ、どのような政治を作っていくのか、という問に答えられないと変な現実を変えることはできない。私たちも学生当時は、既存の政党とは違うやり方で社会変革を目指したわけだけど、結局は変革を主導する運動を作ることに失敗したと言わざるを得ません。
SEALDsは「思想、信条、イデオロギー、政治的立場を超えて」と言っていて、これらにこだわってきた既存のやり方では駄目だというメッセージはそのとおりだと思うけど、他にどんな新しい形態があり得るだろうか。彼らの発想と行動に刺激を受けながら、私たちの世代も、もう一遍どうすれば政治の在り方を変えることができるか考えないといけない。そんな思いで、彼らの行動を見ています。
(取材・写真:井手佑翼)