文化

2024年12月23日

東京×アート×教育 東京から迫るアート教育のこれから

 

本物のアートに触れる機会を

 

 コロナ禍以降、アートはどう変化しているのだろうか。またその変化に合わせて、東大はどのようにアート教育を行っているのだろうか。さまざまな分野が連携しながら、研究と同時に芸術的感性を培い多様な価値観や創造的な発想力を育む教育プログラムを展開する東京大学芸術創造連携研究機構(ACUT)の機構長である岡田猛教授(東大大学院教育学研究科)に話を聞いた。(取材・戸畑祐貴

 

──5年前の2019年にも岡田先生にお話を聞きました。その後コロナ禍を挟みましたがどのような変化があったのでしょうか 

 一つの流れとして、ホワイトキューブ(美術館)の枠組みが再考されつつあると感じています。美術館で展示するのがふさわしいか、その中に入って見るのがふさわしいかに関して、デジタル化してバーチャルな展示を行いオンラインで鑑賞し語り合うことが起きれば、それでもいいのではないかといった議論がありました。アート作品の形態によって、映像作品は現地に行って見ようと思ったらその時間分だけ見なくてはなりませんが、もしネットにアクセスして見られるのであれば、その作品にはその方がふさわしいかもしれない。ビジュアルアート以外の、例えば音楽であれば、若者は電車の中でもイヤホンを着けて音楽を聞いていますし。「アート離れ」が進んでいるというよりも「美術館離れ」が進んでいるのかもしれません。その場にあることに意味があるサイトスぺスフィックを意識した形で作られているパブリックアートは美術館の中に置いてしまっては意味がなくて、場の歴史的な背景や関係が重要です。そうしたアートがさまざまな場所に広がっていることも大きいかもしれません。

 

 また、人工知能(AI)の進歩が著しいです。アーティストや研究者はツールだと思っていますが、AIを使ってぱっと作ってしまえばまずまずの物ができるようになって、私の友人も約30年続けたイラストレーターを廃業しました。いわゆる手の仕事と言われる領域の職が急激になくなっていて。そうした中で、究極の手の仕事であるはずのアートがどうなっていくのかは本当に分からないです。アーティファクト(人工物)にストーリーやコンセプトを付けていきそれがアートと認められればアートになります。AIのデザインした物にもストーリーは付くと思います。

 

──アートの入り口としてのアート教育の現状は

 幼稚園の年長から高校3年生までのアートの授業で考えると、特に小学校から中学校までの間、アートは必修です。ところが徐々に成績評価の数値化や言語化が求められ、デッサンなど上手か下手かがはっきりするものを成績評価のために教える本末転倒な事態も生じています。生徒に何を教えたいか、どういう表現を学んでほしいかをまず考えるべきですが、それが十分なされていない現状を危惧しています。また大学ではアート科目はありませんよね。これは世界的には特殊です。芸術学部を持っている日本の総合大学は少なく、一般の学生向けの手や身体を使った実技を行っているところはもっと少ないです。そうした中で立ち上げたのがACUTです。

 教育目標やカリキュラムや評価の仕方が決まっている学校などのフォーマルな学習環境に対して、誰が来ても良く、何を学んでも良いミュージアムなどのインフォーマルな学習環境は日本も徐々に整備が追いついてきたと感じます。ですが今の日本にないのが、休日の家族の行先となる「子どもミュージアム」です。アートもサイエンスもテクノロジーも家庭科も混ざった、手で触れられるさまざまな展示があり、化学実験の展示を保護者が子どもに説明するなどします。日本にもできると良いと思います。また、都市と地方の美術館・博物館の数の格差も改善すべきで、デジタル技術の活用には可能性があるかもしれません。

 

──東大のアート教育の現状は

 伝統的には工学部の建築のデッサンや、文学部の美学や美術史、教養学部の表象文化論などがあります。実技は元々、教授が研究対象の専門家を招いたりするなど単発での科目が大半でした。より体系的にそうした教育に取り組むのがACUTです。現在は教養学部で約20科目、教育学部で約10科目を開講しています。演劇や音楽、ダンス、美術、書、漫画の授業などが開かれ、来年は詩の授業も予定しています。後期課程でもアートを学べることは特筆に値するでしょう。授業を受けた経験がずっと後に生きてくるはずです。3、4年生の学生は学部を問わず受講でき、実際にアートが何かを体験した上で卒論などに取り組むことで、テーマの見つけ方や深め方が変わったと先生方からも言っていただいています。高校のアートの授業では実際に創作を行っている人に学ぶことは難しいです。本質を学ぶためにも、芸術家が大学のレベルでアートを教えることは重要です。ACUTの設立の際も、大阪大学や名古屋大学では既に小規模ながら取り組んでいて、けれど予算が削られてアーティストの人がその場で教える科目の継続が困難だと聞いて、東大が動き説得していくことが必要でした。

 

 高校までの言葉での学習とは別のクリエーションが必要だと思います。決まったフォーマットでの「報告」ではなく「誰にどう伝えるのか、どうしたら伝わるのか」を自分で考える「発信」のトレーニングです。主体的に何かを発信する人材が必要になっていますが、思考と密接に結びついている身体を使って形にする作業を得意とするのがアートです。

 

 感情や好みについての学習も重要です。それは中高の教育ではほとんど機会がないのですが、自分が何か好きで、それをどう感じるのかを丁寧に考え、自分の価値観に気付く機会が不足しています。大学では表現の結果ではなく、芸術のプロセスを評価することが大事かなと思っています。芸術の授業で、自分の価値を持って表現を選択できればその結果出来上がったものの良し悪しは関係ないと思います。

 

──ACUTに関して詳しく聞きます。ACUT の特徴である部局の連携について教えてください

 数学や医学、教育学など幅広く部局が連携することで、さまざまな催しが開催でき、授業も大々的に開講できています。もともと新しい学部を作るわけではないので、大学から予算はつかず、自力で資金を集めなくてはいけませんでした。なので現在もバーチャルのみの組織で、リアルには活動の施設が無いのが問題です。副機構長の田中庸介さん(東大大学院医学系研究科)が施設の問題に積極的に取り組まれ、11月からは自立式のツリーハウスを工学部の広場で展示しました。本郷キャンパスの通信機械室には東大初のアートセンター「東京大学アートセンター 01_ソノ アイダ」を開設。アートプロジェクトのソノ アイダと連携し12月2日からのオープニングイベントより5カ月間活動するなどの動きも始まっています。東大はいわゆる芸術家を育てる大学ではないので、世界水準の芸術家を育てることは主たる目的とは考えていません。一般の学生さんたちがアートの素養と呼べるような物を身につけ創造的になっていくことはすごく大事で、ぜひ実現しないといけません。未来の世界を生きて行くには言葉の論理だけでは不十分ですが、東大生は言葉で考えることは得意なので、これからは身体を使って考えることのできる発信者を育てる必要があります。芸術大学や他大学、美術館などと連携しながらアートの教養を身につけてもらえるよう東大が動くことが大事でしょう。

 

──ACUTの実技について教えてください

 ACUTが重視する実技は「学ぶ」と「作る」の二つのサイクルを回すためのものです。実際に手を使って技術を経験することで理論や知識を分かったり気付いたりする。実技を通して理解を深めるのもACUTの役割の一つです。アート専攻でない人も、アートの身体性を分かることで考え方は変わってきますし、アートを理解することで世界を新しく捉えられるんです。学生の皆さんに何か特別に要求することはありません。授業に参加したら変わるからです。体育も必修ですが、サッカーと野球のどちらが良いかは好みですよね。同じようにアートも好みなので、演劇系・美術系など、自分にぴったりくるジャンルを発見できる機会になればと思います。社会に出る前に本物のアーティストの本物のアートに触れて、そのエッセンスを体験することが、人生を豊かにするための後押しになるかなと。いろいろな授業があるので学生の皆さんには怖がらないで、ぜひ気楽に試してみてほしいですね。

 

岡田猛(おかだ・たけし)教授(東京大学大学院教育学研究科・学際情報学府)/ 94 年米カーネギーメロン大修了。Ph.D.(心理・認知科学)。名古屋大学助教授(当時)、同大学教授などを経て、08 年より現職。
岡田猛(おかだ・たけし)教授(東京大学大学院教育学研究科・学際情報学府)/94 年米カーネギーメロン大修了。Ph.D.(心理・認知科学)。名古屋大学助教授(当時)、同大学教授などを経て、08年より現職。

 

東京の現代アートの「いま」 アートウィーク東京

 

 独自の企画を通してアートの魅力を追求した「アートウィーク東京(AWT)」をアート普及の試みの例として紹介しよう。

 

AWT のキービジュアル(画像はAWT提供)
AWT のキービジュアル(画像はAWT提供)

 

 AWTは東京の現代アートの「いま」を発信する国際的な催しとして2022年から年に1度開催されている。24年の会期は11月7日~10日の4日間で、過去最多となる都内53のアートスペースが参加した。各アートスペースの多様な展覧会のほか、海外で活動するキュレーターが厳選した映像作品を上映する「AWT VIDEO」や、国内外のゲストを招いた「AWT TALKS」などのAWT独自の企画も開催された。記者も「買える展覧会」がコンセプトの「AWT FOCUS」と、東大周辺のギャラリーを訪れ作品を鑑賞した。

 

 東京メトロ溜池山王駅から徒歩10分、米国大使館の脇を抜けて見える緑青銅の瓦ぶき屋根の建物が「AWT FOCUS」の会場となった大倉集古館だ。本展では気に入った作品があればギャラリーを通じて購入でき、美術館での作品鑑賞とギャラリーでの作品購入という二つの体験を同時にできる。第2回となる2024年は森美術館館長を務める片岡真実氏の監修だ。「大地と風と火と:アジアから想像する未来」と題し、その文化的土壌から多様な価値観を持つアジアに注目する。自然の摂理や不可視のエネルギーを意識することで地球規模の課題と向き合い、複雑なまま共存する枠組みを模索した。宇宙、身体と結びついた祈り、不可視の力、自然界の循環といったアジア的な観念を起点とする展示は、鑑賞者
である私たちにも異なる物の見方を提示する。

 

スカイザバスハウス(根津) 撮影:上野則宏 協力:SCAI THE BATHHOUSE
スカイザバスハウス(根津) 撮影:上野則宏 協力:SCAI THE BATHHOUSE

 

 AWTに参加した、キャンパス周辺のアートスペースにも足を運んだ。本郷キャンパスからほど近い台東区谷中にあるギャラリー、スカイザバスハウスもAWTに参加した。ジョージア出身の現代美術家ヴァ
ジコ・チャッキアーニの個展「Big and Little hands」では彫刻作品群と映像作品を展示する。会場に入るとすぐにスクリーンに映る映像作品が目に入る。ジョージアの首都トビリシの政府による閉鎖が決まった市場で働く果物商人が、過労のために睡魔に襲われ子供を巻き込む自動車事故を引き起こす。緊張感のある音楽によって事故の瞬間は強く印象付けられるがその瞬間そのものは作者の意図で鑑賞者には見えない。車を降りて見えない何かを見下ろす商人、事故現場に集まる群衆、それを捉えるカメラ、そして映像を見る鑑賞者。それぞれの見える物、見えない物、見ているが見えない物が事故のシーンで強調される。会場には焼かれた小枝や古い木の板、小さなログハウスなどの作品も並び、映像作品と相互に関係しあう。社会情勢にも踏み込んだ本作は、権力と非権力の構造を、歴史と自然、不在と存在、家族と経済などのテーマを通じ比喩的に描く。スカイザバスハウスでの本展は12月21日まで開催。

 

コンテンポラリーアートをアートの世界の外へ共有する

 

 コンテンポラリーアートの祭典「アートウィーク東京(AWT)」は、アート普及の試みとして何を目指すのだろうか。AWTの共同創設者・ディレクターでありアートギャラリー「Take Ninagawa」のオーナーでもある蜷川(にながわ)敦子氏に、AWTの今後の展望とともに東大など大学教育への期待を聞いた。

 

──AWTはコロナ禍のプレ開催を経て2022年から年に一度開催しています。きっかけは

 はじめて構想ができたのは2020年末くらい。コロナ禍で移動が減り、コンテンポラリーアートの情報を共有する場所での対面のやり取りが途絶えたことで、もともと国際的なディスコース(言説)から切り離
されがちだった日本のアートシーンがさらに世界から断絶されてしまったんです。また、若手はもちろん老舗のギャラリーも苦境に陥るなか、アートマーケットに健全なエコシステムを作る必要性も国際的に高まっていました。こうした課題を踏まえ、解決の第一歩になるフォーマットを考えたことが AWT の始まりです。もともと海外には1週間を通じてさまざまな場所でアートイベントを開催する「アートウィーク」というイベント形式があり、AWTもそれを踏襲しています。東京都内の多様なアートスペースやアート関係者をつなぎ、コンテンポラリーアートやそれに関する議論をより多くの人に開くことで、東京のアートを国内外に発信するという狙いを持って始めたイベントです。これまで AWT に参加してくださった人たちの高評もあり、認知も反響も年々高まっているように感じています。

 

──AWTの今後の課題や展望は

 より多くの人が参加しやすくなるための工夫は今後も継続していきたいと思っています。またAWTでは食や建築、音楽やファッションといった他の文化産業とのコラボレーションも積極的におこなってきましたが、今後はさらにそうした取り組みを拡大し、東京の幅広いカルチャーを入り口にコンテンポラリーアートに触れる機会も広めていきたいです。また、学生や若い方もアクセスできるシンポジウムやガイド付きツアーなど、参加者がプロフェッショナルと出会える場所を用意しているのですが、そうした教育的な取り組みは今後も継続していきます。加えて、今後は日本の周りの国の人たちにも、「自分事」として参加していただけるようなイベントの作り方を考えていこうと思っています。

 

 欧米に限らずアジアの他の国と比べても、日本はコンテンポラリーアートが社会に向けて開かれていないという実感を私は持っています。日本でもワークショップ以外の座学を行う子ども向けのプログラムなどの取り組みを美術館が始めるなど、業界の人たちがより積極的に学びの機会を作っていったらいいですよね。

 

──蜷川さんは3年間ニューヨークでの活動を経験しています。日本や東京はアメリカやニューヨークと比べてアートの場としてどのような特徴がありますか

 当時のニューヨークは若い人なり新しい考え方なり、新しいものをとにかく広く許容する場所でした。「こういうことをしたい」と言えば場所を提供してくれる人がいて、そこで成果を出せば他からもどんどんオファーが来るような時代です。その意味で、当時のニューヨークは実験に向いている場所でした。渡米以前は京都にいましたが、日本では「出る杭は打たれる」というような風潮は感じました。アートの受け皿があまりなくて、そこで活躍している大人も少なかった印象です。一方、今の日本には昔よりもコンテンポラリーアートに携わる人が増えましたし、何をするにもコストが安いというメリットがあるので、フットワークは以前より軽くなっているような気がしています。

 

 アートの考え方の違いに関して言えば、国際的に繋がりはあると思いますが、ニューヨークはミニマリズム、日本はアーティストの技術への嗜好(しこう)がローカルなディスコースとしてあって、ベースにある物語が全く違うんです。日本の芸術大学ではいまもテクニック、つまり技能に重きがおかれがちですが、アメリカの大学はアートの歴史や論説といった、新しい物を生み出すアイデアに価値が置かれていて、教育から違うように思います。

 

 アートを作るにしても見るにしても、いろいろなものを広く勉強してきた人にはそれゆえの強さがあります。多様なバックグラウンドを持っているアーティストについていくためにはアートを極めるだけでは足りないかもしれません。アメリカが強みとするリベラルアーツのように、コンテンポラリーアートに関わる上では教養が不可欠なのです。

 

 東大のような総合大学は、教養を学ぶには良い場だと思います。現在の日本の教育システムでは高校生のうちに自分が学ぶ専門分野を探すことになりますが、どうせ100歳まで生きるこの時代、もう少しゆっくりと、幅広い教養を身に着ける機会があってもいいのではと、個人的には思います。

 

蜷川敦子(にながわ・あつこ)さん(アートウィーク東京共同創設者・ディレクター/タケニナガワ代表)/2008 年にタケニナガワを設立。新進作家から歴史的な評価の高い作家まで、現代アートの文脈で活躍する日本人作家を国際的にプロモーションする。国外の作家を日本の文脈で紹介する試みも多数企画。アートウィーク東京を主催する一般社団法人コンテンポラリーアートプラットフォーム共同代表理事。「アートバーゼル」バーゼルの選考委員、および、コロナ禍に生まれた国際的なギャラリーイニシアティブ「Galleries Curate」や、グローバルサウスのアートを取り上げるプラットフォーム「SOUTH SOUTH」に参加。22年、アート界で最も影響力のある人物100人を選ぶArtReview Power 100」および、将来のアートマーケットにおいて先駆となる人物 35 人を選ぶ「Artnet News Innovators List」に選出。
蜷川敦子(にながわ・あつこ)さん(アートウィーク東京共同創設者・ディレクター/タケニナガワ代表)/2008年にタケニナガワを設立。新進作家から歴史的な評価の高い作家まで、現代アートの文脈で活躍する日本人作家を国際的にプロモーションする。国外の作家を日本の文脈で紹介する試みも多数企画。アートウィーク東京を主催する一般社団法人コンテンポラリーアートプラットフォーム共同代表理事。「アートバーゼル」バーゼルの選考委員、および、コロナ禍に生まれた国際的なギャラリーイニシアティブ「Galleries Curate」や、グローバルサウスのアートを取り上げるプラットフォーム「SOUTH SOUTH」に参加。22年、将来のアートマーケットにおいて先駆となる人物を選ぶ「Artnet Innovators List」に選出。アート界で最も影響力のある人物100人を選ぶ「ArtReview Power 100」に2022–24年に3年連続で選出。Photo by Katsuhiro Saiki

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