さまざまな議論を呼んだ東大の国際卓越研究大学申請と落選。背景にあるのは、東大の藤井輝夫総長が掲げる「自律的で創造的な大学モデル」だ。大学運営の在り方が大きく変わろうとする今、東大は何を目指し、何を達成したのか。主に経営や社会連携の面から今年の東大を振り返る。(構成・岡拓杜)
目次
補助金型からの脱却 基金運用高度化へ
東大は公的経費に依存した補助金型の旧来システムを見直し、寄付金基金の運用益などの独自財源を利用したエンダウメント型経営を目指す。今年は制度整備が進むとともに、寄付金の運用益で研究センターが新設されるなど、改革の船出となる1年だった。
藤井総長が21年の就任当初から掲げる基本方針の一つに「経営力の確立」がある。東大はワクチン開発や気候変動対策などの地球規模の課題に自在かつ機動的に対応できる運営や、持続的な投資を目指している。さらに、例えばグローバル入試を導入した世界水準の教育を行う新たな教育組織の設立を始め、世界から学生・教員を呼び込む教育改革を構想している。こうした「自律的で創造的な大学モデル」の実現には、大学独自の財政基盤の確保が不可欠だとされている。その背景には東大などの国立大学法人の収入が、運営費交付金や国からの補助金に依存しているという事情がある。
本年度の東大の予算額でも、学費収入は1割に満たないのに対し、運営費交付金は約3割を占めている(図1)。運営費交付金は文部科学省の予算から大学での教育・研究の安定的な実施を目的に配分されてきた。予算総額は法人化を機に導入された後、緩やかな縮小傾向にあったが、15年以来下げ止まっている。
企業との共同研究費や競争的資金(大学が省庁の公募で競争的に獲得する補助金)など他の外部収入もあるが、企業や国によって用途や方針が左右されたり、年限付きで持続性がなかったりするといった問題があった(解説)。こうした事情もあり、実際に大学の裁量で自由に使える経費はごくわずかだ。
一方、海外では独自基金の運用を通した財源確保が行われる大学が見られる。昨年末時点で57億ポンド(約1.1兆円)の基金を有する英オックスフォード大学では、パンデミックの際に新型コロナウイルスのワクチン開発への迅速な投資が可能となった。藤井総長はこうした機動性の重要さを強調している。
東大は海外大学に倣い、エンダウメント型財務経営への移行を目指す。大学独自の基金への寄付(エンダウメント)に基づく運用のことで、東大は1兆円規模の法定基金新設を計画する。寄付金を消費して財源とする従来の運営方法などとは異なり、寄付金を元本とした運用益により事業を維持(図2)。必要な財源を半永続的に確保しつつ、企業や個人からの寄付など学外からの支援や社会的な要請に応える形での大学独自の先行投資が可能になる。具体的には、機動的な研究組織新設、学部生・大学院生への継続的経済支援、卓越した研究者への世界水準の処遇などが期待される。
基金の財源の一つとして期待されるのは、同窓会・卒業生などさまざまな団体・個人からの寄付だ。507億米ドル(約7兆5500億円)の基金を持つ米ハーバード大学では、今年だけで7億1200万米ドル(約1060億円)の寄付を集めている。東大は、27年の東大創立150周年に向けて寄付金総額150億円を目指すプロジェクトを昨年から始めている。東大は東大基金の窓口整備を進め、寄付の輪を広げる方針だ。関連して、11月には制度の一部を「チアドネ」としてリニューアルしている。申込者が卒業生に限らず自らのコミュニティーの中で寄付を呼び掛け、それに対する賛同者が個別に東京大学基金への寄付を行う制度だ。
「経営力の確立」に向け組織体制の整備も進んだ。財務戦略を経営戦略に取り込み活動をマネジメントするCFO(Chief Financial Officer)とファンドの運用・調査の最高責任者CIO(Chief Investment Officer)の2職を執行部内に新設し、4月にはCIOに福島毅(たけし)氏が、8月にはCFOに菅野暁(あきら)氏が就任した。両者とも資産運用会社などさまざまな金融企業での経歴を持つ。
実際に、東大として初のエンダウメント型研究機関も10月に設置されている。松本大(おおき)氏(マネックスグループ会長)からの10億円の寄付を元金としたものだ。
解説 国立大学法人の会計
国立大学法人の収入は(図1)に見られる複数の資金で構成される。多くの収入項目は用途がある程度定まっており、それぞれに対応する支出項目と対応する予算編成となる(図3)。予算全体においても収支均衡となるよう各年度の予算が算出される。
運営費交付金
自主財源では不足する大学運営にかかる必要経費を補填(ほてん)する。文科省は大学の規模に加え各大学の成果を評価する指標を取り入れているが、大きく変動はしない。施設整備費補助金施設整備の際、各大学からの申請を受け、国の審査を経て交付される。国の財政状況や方針に左右され、特に法人化以降は既存建物の修繕・建て替えに必要な額も十分措置されない場合が多いため、施設整備・維持が難しくなっている。
施設整備費補助金
施設整備の際、各大学からの申請を受け、国の審査を経て交付される。国の財政状況や方針に左右され、特に法人化以降は既存建物の修繕・建て替えに必要な額も十分措置されない場合が多いため、施設整備・維持が難しくなっている。
附属病院収入
大学の附属病院の収入を指し、附属病院の維持・運営に充てられている。
科学研究費助成事業
科学研究費助成事業人文学、社会科学、自然科学の全分野の研究者を対象に日本学術振興会が交付先を公募する。ピアレビューによる審査を経て個別に支給される補助金で、大学が預かり学内の対象研究者に代わって経理を行う形を採っている。
産学連携等研究収入及び寄附金収入等
民間などとの共同研究や、国などからの受託研究、寄付金がこれに当たる。受託研究とは、委託者が提供する経費を用いて学内で研究を実施し、その成果を委託者に報告する制度。
産官学で協創する未来 学問を社会と結び価値創造へ
東大は長年、産学連携・産学共創を推進してきた。近年では産学協創推進本部の下に、さまざまな分野の企業との提携が進んだ。社会の要請に応じて、国内外の企業・機関と共に価値創造を目指す。
五神真・前総長の時代から力が入れられている産学連携・産学共創。社会の中での大学の価値を追求し、「社会との多様な対話」を基に、理想的な未来を目標に社会との交流を活発化させる。民間企業等と経費や設備の共有だけでなく人やプログラムの交流も行い、共通の問題意識を持つ課題に取り組む。今年は国内外の各分野の民間大企業や自治体との連携の他、東大関連ベンチャー創出数の増加など、これまでの取り組みが結実する成果が見られた(表)。
10月には東日本旅客鉄道(JR東日本)、11月にはキヤノン、キヤノンメディカルシステムズとの間で産学協創協定が結ばれた。これにより東大が産学協創協定を結んだ企業は計12社となり、6年連続で新規の協定締結が行われている。
JR東日本との協約は100年間にわたるもので、プラネタリーヘルス(「人・街・地球」全てのバランスに配慮し、人間が暮らす環境全体としての健康を目指す考え)創出に向けた実証研究を進めるとともに、新たなキャンパスを開設予定。シンガポール国立大学やパスツール研究所などもネットワークに加わり、スタートアップの成長を促進するシステムを形成する。
国際的な企業連携も進む。5月にはIBM・Googleそれぞれが東大・米シカゴ大学との間で量子技術の研究領域に関連するパートナーシップを締結。マイクロソフトとも8月に、グリーントランスフォーメーション(GX)とダイバーシティ&インクルージョン(D&I)、AI研究の推進に向けた連携に関する基本合意書を締結している。
民間企業との提携の他、研究機関や省庁、自治体との連携も見られた。仏パスツール研究所と日本拠点(IPJ)の立ち上げに協力する確認書を10月に結んだ。熊本大学とも9月に部局間連携推進協定を締結し、主に半導体技術分野で研究を推進する。
5月末には金融庁との間で初の包括的な連携協定に調印。9月には、東京都とスタートアップ支援などに関する連携協定を、東京大学協創プラットフォーム開発株式会社(東大IPC)も含む三者間で結んだ。
東京都との連携内容からも分かるように、東大は大学発ベンチャー支援に注力している。16年の、起業支援などを担う投資事業会社の東大IPCの設立もその一つ。今年の発表によれば、昨年度までの東大関連ベンチャー企業累積創出数は526社に上り、上場したベンチャー数も累計26社となった。
国際卓越研究大学、申請と落選の後先
東大の藤井総長が「残念」とコメントした国際卓越研究大学(卓越大)落選のニュース。東大はなぜ卓越大認定を必要としたのか。申請からの一連の流れを振り返りつつ、今後の東大経営の在り方を展望する。
文科省が昨年公募を開始した卓越大制度は、研究論文の質・量ともに低調な日本の大学の現状を憂慮し、諸外国の上位大学に倣った世界水準の研究力強化を目的とする。公的支援や産学連携、寄付などに基づく充実した研究環境、世界トップクラスの研究人材の招聘(しょうへい)により、新たな研究人材や民間企業からの投資、寄付が集まる、知的価値創造の好循環を期待。卓越大に対しては、科学技術振興機構(JST)が設置する10兆円規模の大学ファンドによる支援が来年度から行われる予定だ。
昨年12月に始まった卓越大の公募には東大を含む10大学が申請し、東大は7月、文科省の現地視察を受けた。内閣府の会議や文科省の審議会などによる審査を経て、9月には初の卓越大候補として東北大学が条件付きで単独認定された。東大の藤井総長は「選定されなかったことは残念に思います」とコメントしている。
東大はエンダウメント型財務経営への移行に向け、25年後に1兆円超の基金を確保する目標を掲げており、卓越大認定による大学ファンドからの助成金は目標達成に不可欠だ。エンダウメント型への移行は、使途指定なしの寄付金をどれほど集められるかに依存することになる。今年の3月末時点での東京大学基金の残高は158億円程度。うち使途指定なしの金額は残高の約41%に留まる。寄付金でのエンダウメント型移行が困難な中、卓越大認定を逃したことで、当初掲げた25年後での1兆円超の基金達成は困難になる見込みだが、エンダウメント型への移行の方針自体は変わらない。
財政面での切実な必要性が認識される一方、卓越大の基本方針に疑問を呈する意見もある。代表的なものに①ガバナンス体制②「年3%の事業成長」目標③大学間格差の拡大─といった観点からの批判がある。
卓越大認定には、自律と責任のあるガバナンス体制の確立が要件として設けられる。具体的には経営方針の決定や学長を選考する権限を持つ合議体を置き、構成員の半数以上を目安に学外から任命することが求められる(図4)。合議体は大学執行部を一定の緊張感を持って監督し、卓越大の目標遂行のため経営と教学の役割分担を目指す。こうした改革を大学に要求することは大学の自律的な組織運営の否定につながると危惧する声もある。CFOやCIOの執行部内設置も、総長のリーダーシップの下、財政基盤強化を図る卓越大の規定を意識したものだ。
卓越大には諸外国の研究大学の年間実質平均成長率(3.8%)を参考に「年3%の事業成長」が目標として設定される。この目標を達成するには、前述のガバナンス強化を通して、長期的な視点から資金循環の形成と学内の資源配分の検討を行うことが必要だ。収入増につながらない学問分野の軽視や、将来的な授業料値上げを懸念する声もある。
卓越大として認定される大学は数校程度に限定されるため、大学ファンドによる助成金が一部の大学に集中する構図が生じる。国全体での研究力の強化ではなく、大学間の格差拡大につながりかねないという批判もある。
藤井総長は従来から「対話」のプロセスを重視する姿勢を示している。今回の卓越大公募でも、教職員や学生を対象とした2回の総長対話などを実施してきた。東京大学新聞社の取材に対し、東大の担当者は公募に関して部局長との会議なども含め、卓越大申請に関する一定の議論はしてきたという認識を示した。
2回目の公募は来年度中に始まる見込み。現在、卓越大への申請については未定だが、大学の自律的な運営が尊重されるかも含め、アドバイザリーボードからの東北大学に対する伴走支援の状況を踏まえた判断をしていくと東大は明かしている。
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関連して、12月13日に改正国立大学法人法が成立した。これにより、東大を含む「事業の規模が特に大きい国立大学法人」は、運営方針会議の設置が義務付けられる。同会議は卓越大で想定されていた合議体に当たる組織だ。東大の場合、卓越大も意識して検討していたガバナンスの仕組みを改正法の内容に応じて調整することが見込まれるという。
同時に国立大学法人に対する長期借入金や大学債発行の規制緩和の可能性も出てきた。長期借入金は04年の国立大学法人化の際に、附属病院整備など償還に必要な利益が確実に見込まれる事業に限って認められた。しかし翌年および20年に段階的に規制が緩和。20年には先端的な教育研究に必要な土地等の取得を対象とした長期借入金が認められ、業務上の余裕金を償還財源に充てられるとされた。今回の法改正でも、同様の規制緩和が行われ、知的基盤の開発・整備に当たり、債券を用いた資金調達が可能となると予想される。東大は20年と21年に大学債を発行しており、法改正を踏まえ、今後の発行を議論していく。
法改正には、隠岐さや香教授(東大大学院教育学研究科)らが呼び掛けた「『稼げる大学』法の廃止を求める大学横断ネットワーク」が抗議を展開するなど懸念の声もある。