我々が日々当たり前のように身を置いている「場」も、そこにあるモノの特性やそれが持つ歴史性などに注目すると、さまざまな意味を持って我々の前に立ち現れてくる。この連載企画では、哲学や歴史学、人類学など幅広い人文学的知見を用いて「場」を解釈する文化地理学者ジェームズ・サーギル特任准教授(教養学部)と共に、毎月東大内のさまざまな「場」について考えていこうと思う。第5回後編は、前回に引き続き駒場Ⅰキャンパスの駒場池を取り上げる。
(取材・円光門)
【前編はこちら】
【サーギル博士と歩く東大キャンパス⑤】駒場Ⅰキャンパス 駒場池【前編】
都度立ち現れる「世界」
前回の記事では、空間(space)が人によって接触され意味を与えられたときに、それは場(place)として生まれ変わることを示した。この観点から考えると、駒場池は空間としては一つかもしれないが、場としては少なくとも二つに分かれるといえる。
前回でも述べたように、駒場池には立ち入り許可区域と禁止区域が存在する。許可区域では人は実際に池の縁まで行くことができるので、空間へと身体的に接触することを通じてその空間を一つの場として認識することができる。
それに対して禁止区域においては、我々は池入口の階段を上がった先からその区域を見下ろすか、あるいは地図を見ることを通じてでないと空間に関与できない。見下ろすといっても、駒場池周辺には木々が生い茂っているため、全貌を把握するには地図に頼ることしかできなくなる。だが「地図とは空間を観念化したものにすぎません」とサーギル特任准教授が話すように、地図上では許可区域におけるような身体的な経験は不可能だ。結果的に両区域は場としては異なるものとなる。
この点は、ハイデガーの「世界」という概念から考えると、より一層明確になる。ハイデガーの主著『存在と時間』によれば、世界は初めから幾何学的空間として与えられているのではない。我々が身の回りのいろいろなものと出会い、その都度それらへの注意の向け方を変えていくことで、世界は毎回異なった形で現象するのだ。
例として池の両岸に架かった橋を考えよう。この橋は直線ではなく、2枚の板をずらしてつないだように真ん中で折れ曲がっている(図1)。橋は細く両側に柵がないので、この橋を渡り始める際は踏み外さぬよう視線を足元に集中させねばならない。この瞬間我々が意識するのは、今まさに水の上を移動しているということであり、この水と私の関係性において一つの世界が立ち現れる(この時運が良ければ向こう岸へと勢いよく泳ぐ蛇を目撃することができる)。
次に、橋に慣れてくると我々の視線は往々にして右側の風景に集中する。というのも、左方向には岩や雑草といったあまり見栄えのしない池の終わり(図2)が存在するのに対し、右方向には形の良い木々に囲まれた奇麗な水面が広がっているからだ。ここにおいても世界が新たに立ち現れることになる。
だが橋の真ん中まで来ると、折れ曲がった方向に応じて我々の視線はいや応なしに左に向けられ、身体も向きを変えざるを得なくなる。その結果、池の終わりという世界が我々と出会うことになる。
ハイデガーの世界概念から考えると、我々が許可区域の多様な現象と身体的に接触する際、その都度世界は異なった仕方で立ち現れるのであり、結果的に我々は実に多くの「場」と出会うことが分かる。そしてこのような「場」との出会い方は、階段を上がった先から見下ろしたり地図で位置関係を確認することしかできない禁止区域においては不可能なことだ。
池の終わりを認識することは、駒場池を池として認識することにもつながるとサーギル特任准教授は指摘する。駒場池は細長く途中でカーブがあるため、橋の上に立って右方向を見ると、池はあたかも延々と続く川の流れのように感じる。だが左側にある池の終わりを目にすることで、我々は初めてこれは有限性、局所性を持った池であり、はるか先まで流れる川ではないことが分かるのである。サーギル特任准教授は次のように語る。「池の終わりを見ることではじめて池そのものが分かるように、存在は不在があって初めて認識し得るのです」
ハイデガー哲学に関する記述にあたっては、宮田晃碩さん(総合文化・博士後期課程)にご協力いただきました。
【英訳版】
Take a Walk through Todai’s Campuses with Dr. Thurgill #5 Komaba Pond, Komaba Campus 【Part 2】
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