6月26、27 日に開催された昨年度入学者向けの歓迎式典。1年遅れの歓迎に参加学生の多くがSNSに写真をアップしたり好意的な投稿をしたりするなどの肯定的な反応を見せた。一方、26日の学部生向け第三部では、総長との対話を求める学生が声を上げ、垂れ幕を掲げる場面があった。今回垂れ幕を作成しアピールした学生Aさん(2年)に、なぜこの手段を取ったのか、そして東大の新型コロナ対応をどう考えるかについて話を聞いた。(取材・清水央太郎)
入学式典を「アリバイ」にはしないでほしい
──入学者歓迎式典で垂れ幕を掲げることを決めたのはいつですか
4月末に、当初は4月29日と5月1日に予定されていた入学者歓迎式典の開催延期が発表された時です。大学当局のコロナ対応、そして式典への不満も込めて今回の行動を決意しました。
──式典への不満とはどういったところに あるのでしょうか
式典の開催自体は嬉しいですが、不安や不満もあります。一つは「アリバイ作りにされるのでは?」という不安です。今の昨年度入学者に対する仕打ちは、満足な説明もないままオンライン授業でさまざまな苦労をさせられる、ねぎらいや謝罪の言葉・補償もないまま1年が経過する、緊急事態宣言に連動した大学の方針に1年以上振り回されるなど控えめに言ってもひどいものだったと思います。式典も学生の希望を受け開催しましたが「これで君たちの希望はのんであげたでしょ?」という「アリバイ」を作られてコロナ対応の総括も謝罪もされないままになってしまうのではないかという不安があります。もう一つは開催方法に対する不満です。参加する学生には事前予約やPCR検査に加え、当日は抗原定性検査まで求められました。過剰だという見方もできるし、外部からの批判を意識し過ぎだと思います。体裁を気にし過ぎて内部の学生の意見に耳を傾けない東大の姿勢を象徴していると思います。
──当日の状況に誤算はありましたか
当日は三つ誤算がありました。一つは警備員の数が思ったより多かったことです。警備が厳しく、元々はただ垂れ幕を出すだけの予定だったのですが、垂れ幕を没収さ れて取り押さえられてしまい声を上げることになってしまいました。そして二つ目の誤算は声が思ったより響いたことです。声を響かせ、垂れ幕を下に落としてしまったことで式典を楽しんでいる学生に水を差してしまったことについては謝罪をしたいです。不満はあれど、自分含め多くの人は開催されたこと自体はうれしく思っているはずなので。三つ目は本郷では許可のない立て看板(タテカン)の掲出が禁止されていたことです。垂れ幕も主張を掲げたタテカンの一種と見なされてしまいました。タテカンで主張できるのは駒場のいいところですね。
口先だけの「対話」は要らない
──藤井輝夫総長には何を求めますか
行政や外部と少し衝突しても、学生の声を聞いてほしいです。そして大学の自治という原則を思い出してほしい。今の大学当局は学生が大学の一部であるという意識が欠けていると思います。確かに東大は日本トップの大学として外部へ模範的な姿勢を見せないといけない側面もあるでしょう。 ただ、その外部への意識を気に掛け過ぎて、目標として掲げている学生との「対話」をできていないのが今の東大だと思います。 大学生活は一生に一度しかないものです。 それなのに、対面授業の合間や学園祭などの行事で生まれたはずの交流がオンライン化によって阻害されてしまうのはとても虚しい。こうした学生の思いを「対話」を通じて知ることすらできていないと思います。「対話」という聞こえのいい言葉をスローガンに掲げるだけで、藤井総長は駒場に来ることすらしないじゃないですか。学生をまるで幼児のように扱っている感じで怒りを通り越して「あきれ」に近い感情を覚えます。
──今の思いを教えてください
早く本郷に行きたいという気持ちが強いです。駒場は大人数の講義や同クラ(前期教養課程のクラスメイトのこと)との関わり、そして文科・理科共に同じキャンパスで学ぶことによる交流や「対話」などが魅力だったはずです。それなのに、こうした魅力を味わうことなく大学に振り回され続けた苦い思い出ばかりが残りました。周りの2年生も早く駒場を離れて本郷で心機一転、学びたいと言っています。このように2年生を「駒場嫌い」にさせてしまった事実から大学当局は目をそらさないでほしい。早く藤井総長と「対話」がしたいです。