多くの東大生は、東大入学前は学校で一番優秀だった。しかし東大入学後、思うように成果を出せない苦しみを抱え込んでしまい、自分を傷つけてしまうことがある。平安時代の仮名文学、中でも『源氏物語』を研究する高木和子教授(東大大学院人文社会系研究科)は、「古典文学研究には唯一無二の正解がないように、人生も正解は一つではない。大学で多様な価値観を養うことが大切だ」と語る。(取材・葉いずみ、本田舞花)
「正解が一つではない」 古典文学研究の面白さ
──『源氏物語』の魅力は
『源氏物語』の魅力はその愛の豊かさです。「光源氏」という人間が素晴らしいというつもりはありませんが、彼は、後ろ立てがないことや容姿が優れないことが要因で当時の価値観では結婚が困難であった女性も受け入れます。そして、光源氏は一度関わった女性を決して忘れません。多くの女性たちとの恋が始まるため、さまざまな立場や性格の女性たちとの恋愛模様が描かれていて面白いです。
──『源氏物語』で特に好きな登場人物はいますか
若い頃は、不遇でさえない「末摘花(すえつむはな)(容貌が醜く不器用だが実直な女性)」が好きで、自己投影していました。「紫の上(光源氏が養育し最も寵愛した妻)」が好きな人は、幸せになりたい、満たされたいという願望があるかもしれません(笑)。「薫(光源氏の正妻・女三の宮の不義の子。恋した大君(おおいぎみ)は薫を拒んだまま死去。大君に生き写しの浮き舟を愛するが別の男性に奪われる)」は優柔不断で、ずっと放浪していて、どこにも定まれなくて。20代の私はかなり共感していましたが、今思うと本当にダメな男です(笑)。
──平安文学、特に『源氏物語』の研究者を志したのはなぜですか
私は本ばかり読んで育ったので、文学を研究したいなと思っていました。しかし、海外文学を研究するには原典を読む必要がありました。なじみのない言語で研究するのはハードルが高かったです。横着だったのか、大学受験で疲れていたのか、楽をしたい気持ちがやっぱりあって(笑)。小説が好きだったのもあり、日本語で研究できる近現代の文学を専攻することにしました。
駒場Ⅰキャンパスに通っていた頃は古典にあまり興味がなかったのですが、本郷キャンパスで国文学を専門に研究し授業で発表するために自分で調べ物をするようになると、途端に古典を面白く感じるようになりました。教科書に載っている注釈や受験で正解とされる現代語訳が必ずしも正しいわけではないと知った時、「大学での学びは答えがない、正解が一つではない」ということに気がつき、古典文学研究ってとっても楽しいと思ったんです。読むだけである程度内容を理解し楽しめてしまう近現代文学は、自分なりに分かった気になってしまいます。近現代文学の研究者になっていたら、私は何年かしたら飽きてしまうかもしれないと思いました。分からないことだらけの古典文学は、自分の考えだけで理解していては間違いだらけになってしまいます。古典は学び、調べ、自分の考えを修正していけるので、長く楽しめそうだと思ったんです。ちょうどその頃、谷崎潤一郎が現代語訳をした『源氏物語』を読み、その面白さに気がつきました。そして鈴木日出男先生が開講されていた『源氏物語』のゼミに参加し、一気に『源氏物語』に魅了されていきました。
──当初は近現代の文学に関心を持っていたんですね
そうですね。私が学生の頃、近現代文学の先生は、作家や文壇の年譜、住んでいた場所、書簡など、作家の実際の足跡を実証的にたどる手法を重んじていました。しかし私にはどうもしっくり来ませんでした。それよりも、作品自体をいかに読み解くかを考える方が性に合っていましたね。『源氏物語』のような古典は作品研究の対象として適していたんです。古典研究では、研究の前段階として写本や版本を活字にする作業が必ず必要です。『源氏物語』はすでに活字化されていて、内容に関する先行研究の積み上げがたくさんあったので、すでに出来上がった『源氏物語』の活字のテクスト(原文)と向き合えました。私が大学生だった1980年代は、「テクスト論」、つまり「テクストをいかに自由に読み解くか」をみんなで研究し、遊んでいた時代でした。
源氏研究は大体10年ごとに流行り廃りがあります。今はまた文献実証主義に傾きつつありますね。歴史学の研究成果を取り込んだり、源氏物語の研究史自体が研究対象になったり。私はずっと作品そのものを読み解く研究が中心ですが、好き勝手に解釈しているわけではありません。「何が一番適切な解釈か」という論理的な整合性や「この言葉はこのような意味で使われているか」という語義の検証が必要です。特に和歌の言葉は、和歌特有の言い回しを類例を調べて吟味する必要があります。
──特に高木先生が得意とする研究手法は
私は、物語の類型を発掘していくのが好きですね。例えば「継子物語」という形式があって、『シンデレラ』や『落窪物語』が有名ですが、このような物語の類型をもっと微細なレベルで発掘するのが面白いのです。古典文学では、ストーリー自体だけではなく場面でも類型を発掘できます。男性が女性に歌を贈らず、枝を差し出すのはどういう場合の振舞いなのか、贈られた歌に応じる場合、どんなふうに言葉を並べ替えるのが常套的なのか、などといった具合です。当時の社会的な実態を踏まえつつ、物語ならではのパターンもあって、そのあたりの虚実が混ぜ合わさっているところが面白いです。
研究を本として出版することがやりがい 「伝わる表現で書く」ことを大切に
──東大で学生時代を送るのは苦労すると感じることはありますか
東大に来る人のほとんどは、それまで学校で一番だった人です。でも東大に来ると、皆一番ではいられなくなりますよね。そこでつまずき、自分を卑下し、自分の心を傷つけてしまって…東大は入学してから鬱(うつ)になる子がとても多いです。息苦しさから逃げる方法を自分なりに見つける必要があります。
もう一つは、首都圏出身者と地方出身者のギャップです。地方出身者は、東京がなんでも目新しく面白く感じると思いますが、首都圏出身者には、都会に飽きてちょっと擦(す)れてしまったタイプがいると思います。私は後者でした。一方で、地方から来た人は慣れない一人暮らしに戸惑ったり、気後れがあったり苦労が多いです。出身地域やそれまでの背景に関わらず、悩みを自分一人で抱え込まないように、周りの環境が支える必要があります。互いに分かり合うには、私はやっぱり「一緒に食事をすること」が大切だと思いますね。それもあって私は学生をよくご飯に連れていきます。
──大学院生時代に苦労していたことはありますか
ひたすら生活の不安、将来の不安に苛まれていました。将来の保証が何もないですからね。経済的に行き詰まって研究を続けられなくなった仲間たちを思うと、今も胸が痛みます。だから自分が教員という立場になった今、研究にあまり向いていない学生には、まだ別の選択肢を選べる20代のうちに仕事を探すように勧めています。東大は30代、40代になっても定職につけないポスドク(博士号取得後に大学で任期制の研究職に就いている人)が少なからずいるので、なかなか若い学生にチャンスが巡ってきません。私が東大に赴任して最初にやった仕事は、人の流れが滞ってしまわないように、院生たちのお尻を蹴飛ばして、「地域で就職先を選り好みせずに早く就職するように」と出ていってもらうことでした。若い頃の仲間を見て得た教訓です。
──研究者になろうと思ったきっかけは
大学の先生は、朝寝坊ができると思ったんです(笑)。まあこれは、半分冗談で半分本音ですね。私は、男女雇用機会均等法が制定されて1年目の世代でした。女性にとっては企業で働いていても数年で寿(ことぶき)退社するのが理想だった時代です。総合職で企業に就職し、その活躍が新聞にも載ったような才気溢(あふ)れる女性たちが、やはり若いうちに結婚して結局退社していく。そういった矛盾を見ながら、一生自由に働き続けたいと思うようになりましたね。
──当時は東大の女性教員の数も少ないですよね
ほとんどいませんでした。私はそもそも女性が大学で定職を持てるなんて期待していなかったんです。非常勤講師で週に何度か大学で授業をしながら、何か書く仕事がしたいなと思っていました。ライフワークとして、論文でもなんでも文章を書く仕事ができればいいやって思っていたんです。ところが、うまくいかなかった。思ったより研究が大変で、プライドを持って研究を続けようと思ったら片手間では無理でした。
──研究の楽しさは
研究自体は評価されているのかどうか分からず辛いことも多いのですが、自分の研究内容をまとめ上げたものが本になった時は本当にうれしかったですね。最初に出した本『源氏物語の思考』(風間書房)の初刷りは400部で、本屋さんにはあまり並びませんでした。それが悔しくて、みんなに手に取ってもらえるものを書きたいという野心が芽生え始めました。2008年に初めて、新書『男読み 源氏物語』(朝日新聞出版)を出し、書店で平積みになって置かれた時はやりがいを感じて「執筆してよかった!」と心から思いました。でもあまり売れなくて、版元に迷惑をかけてしまって。その後何度かリベンジして、昨年出した『源氏物語入門』(岩波書店)は3刷目までいきました。多くの人が読んでくれているということは、「伝わる表現で書けている」ということですよね。
新書を出しても全然もうからないんですよ(笑)。執筆にかける時間を時給で換算したら500円もいきません。でもね、伝わるものを書いて、書いたものを多くの人が手に取ってくれる。それが私の生きがいです。研究論文も新書も解説もそれぞれ文体が違いますが、役者が色々な役をやりたがるように、私はさまざまな文体で、それぞれの読者に伝わるように書くのが好きです。
──『学習まんが世界の伝記NEXT 紫式部』(集英社)の監修もされましたね
漫画の監修ほど大変なものはないですよ。風俗考証が本当に難しくて。ものすごく勉強になりました。まず、漫画のシナリオの内容をチェックする段階までは自力でできました。次に、シナリオの文章を絵に起こしたラフ画(下書き)を見て、「巻物の開き方が逆」「灯火の灯芯の長さが違う」「机の足が華足(机の足を外側に巻き返したもの)になってしまっている」とか、院生たちが絵巻などをもとに考証してくれました。間違い探しみたいですね(笑)。大学の授業だけではなく、漫画を通して小学生の手に届ける、というのもとても大切だと思います。長年研究してきた成果を色々な形で社会に還元していきたいです。
また、私は学部時代にお世話になった久保田淳先生と、最近まで一緒に『和歌文学大系 古今和歌集』(明治書院)の注釈の仕事をしていました。仕事を通して多くのことを教えてもらったと思います。写本をどのようにして活字の本文にしていくか、異なる見解をどのように紹介しながら、自分の独自な見解を示していくか。今回、私と一緒に監修をした若い院生が何か学び、身につけて、また次の世代に伝えていってくれたら嬉しいです。
大学生活は、将来の模擬練習 正解のない世界で遊んで
──教員として、東大をどのように評価しますか
東大って学生に不親切な大学だと思います。一つは、駒場Ⅰキャンパスに通う前期教養課程の1、2年生と本郷キャンパスに通う後期課程の3、4年生が、キャンパスの立地で地理的に完全に分断されているからです。学生が「大学生活といえばサークル活動だよね」とか「授業より渋谷で遊ぶ方が楽しいよね」とか、1、2年の時期に大学での学びに充足しないまま後期課程に進んでしまいます。少なくとも私はそうでした。本郷に進学すると、少人数での学びの場がたくさんあります。15〜20人くらいの少人数ゼミで調べ物をして、プレゼンテーションをして、さまざまな学年の学生が学び合う環境があります。駒場にももっとそういう場が増えてほしいと思います。
もちろん前期教養課程も悪いわけではありません。文理にかかわらず一通り授業を受けられますよね。1年生から後期課程のようにとにかく関心のある分野だけをやる形が良いとは必ずしも思わないです。ただ、大人数の講義科目が多いじゃないですか。教室で先生と学生が共に和気あいあいと語り合えるような場所が1年生の頃からもっとあったら、大学生活がより豊かになると思います。
もう一つは、教員が大学院生の面倒を見たり、自分の研究をしたりに手一杯で、学部生のことを十分に見られていないからです。私が学生の頃は、研究室の先生がよく食事に連れていってくれたんですよ。今はおそらくどこの研究室の先生も、余裕がないんじゃないかと思います。大学院生の論文指導も昔よりも手間がかかるようになって、その分だけ時間がない。学部生はそのしわ寄せをくらって、先生との関係が希薄になっているのではと思います。
私は、ゼミの鈴木先生がお酒やご飯をよくご馳走してくれたので、大学の先生って一緒にお酒を飲んでご馳走してくれて面倒を見てくれる人だというイメージがあって、今忠実に模倣しています(笑)。今の若い先生は賢いからあまり羽目を外したりはしないけど、私は最後まで無頼(ぶらい)の教師でいたい。好きなことをして、首が飛んだら諦めて辞めますよ(笑)。
──東大という環境に対しては
やっぱりね、文学部の汚れた壁や床を直して、環境をきれいにしてほしい(笑)。内壁が崩れてるじゃないですか。風情なんかいいの。やっぱりきれいな方がいい。研究のために予算を使うのも大事だけど、そこで生活する人たちが気持ちよく暮らせないと、良い研究は育たないし、良い人材も集まりません。研究の質だけじゃなくて、環境の質も上げていって欲しいです。東大が本気で女子学生を増やしたいなら、環境整備にもっと気を配るべきです。
──高木先生は、東大の国文科初の女性教員です。戸惑いや苦労はありましたか
世代的に、「初の〇〇」というのを何度も経験しているんです。他大学の赴任時には「他大から呼んだ初めての日本文学の教員」だったしね。でも全然なんとも思わなかったです。ただ東大に赴任して、同僚が80人くらいの部屋に、女性が私を含めて2~3人だった時には、流石に少ないなと驚きましたけどね。
──現在国文科は女性教員が増えていますね
国文科は元々大学院生に女性が多かったから、女性を優遇して採用しているわけではないと思います。国文科に限らず全学的に女性教員が増えましたね。それ自体は喜ばしいことですが、一つ注意しなければいけないことがあります。東大出身の、特に東大の学部出身で東大の教員をしている女性は非常に少ないんです。一度東大に統計を取ってみてほしいです。東大の女子学生は徐々に増えてきているのに、なぜこんな事態に陥っているのかを考えなければいけません。東大を卒業した優秀な女性の中には、政治家や官僚といった然るべき立場で働き続けている人たちもいるけれど、案外東大卒の女性たちは自分のキャリアを積めていないのではないでしょうか。東大も部活やサークルによっては、女子が代表になれない男性中心主義的なところもあると聞きます。逆境を乗り越えようとする気概がある人もいるけれど、その過程で潰れていく人も少なからずいます。
──なぜ潰れていってしまうのでしょうか
賢いからこそ、「男と対等に張り合っていたら女子としてはモテない」という呪縛を受け入れてしまう人もいます。賢いからこそ、自分の賢さを発揮しなくなってしまうんです。それは今から約1000年前の時代を生きた紫式部が自分の賢さを隠したのとあまり変わりません。今東大が一番抱えている問題は、文学部の床の汚さよりも東大を卒業した女性たちが本当に活躍できているのか、彼女たちを適切に評価し受け入れる社会が構築されているのか、だと思います。だからこそ私は、東大を卒業した男女が同じ比率で東大に勤めるようになった時こそ、本当に東大が「変わった」瞬間だと言えると思います。
私の世代には、会社で見下されたり自分のパートナーに不本意な扱いを受けたりした女性がたくさんいました。東大出身の女性でも、社会でのびのび活躍できなかった人は少なからずいたと思います。私は幸い会社に就職しなかったし、結婚もしないというかなり少数派の選択をしてきたから、そういったことは少なかったです。でも男女にかかわらず誰もが活躍できるように、次の世代の人々は社会全体で、この問題を乗り越えていってほしいです。
──新入生へのメッセージをお願いします
高校までは、一つの正解にたどり着くことが目的だったと思います。受験勉強では、問いに対して答えが一対一で対応していましたよね。だけど、大学に来ると、これまで正解だったものが必ずしも正解ではなくなります。唯一無二の正解はなくて、他にも多様な答え方があると知ることができます。通説を覆すことや、別解を見つけること、これが大学での研究です。
これは研究に限らず人生においても大切です。これまでの人生では、中学校を卒業したら高校に入学し、高校を卒業したら大学に入学する、というある程度決まった道筋がありました。でも大学を卒業すると、そこからの生き方はとても多様になります。さまざまな働き方があるし、特に女性は自分のキャリアと結婚をどう両立させるか、いつ出産するかなどを考える必要があります。生き方の選択肢が増える一方で望んでも思い通りにならないことが増えるんです。人生における選択は何を選んでも正解かどうかはわからない。自分が最終的に幸せだと思えればそれで良いのですが、常識的な価値観に縛られ他者から批判され、自信を無くすことも少なからずあります。一人の大人として多様な生き方を自由に選べるけれど、選択すること自体が苦しくなる。その「自由という不自由」に直面する前のウォーミングアップとして、大学で、正解がない世界で遊ぶことを覚えてほしいです。
大学生活では、自分の人生そのものを危険にさらさずに、将来の模擬練習ができます。古典文学研究で一つの箇所の多様に解釈しても、人と意見が異なっていても、お互い傷つきませんよね。これまで出合わなかったものの見方や考え方に触れ、多様な価値観を養い、他者の価値観を許容できるようになってください。そうすれば、その後の人生で自分自身が選択を迫られた時に自身の将来の可能性の多様さに向き合えますし、他者と考えや生き方が異なったとしても、お互いの価値観を受け入れられるようになります。教室でも部室でも、どこで「練習」してもいいと思います。常識的な既存の「正解」に近づこうとして苦しんで鬱になったり自分を傷つけるよりは、「自分はこれでいいんだ」「こんな生き方もありなんだ」と一息ついて生きていってほしいです。
【記事修正】2024年5月1日午後1時46分 サムネイルを変更いたしました。
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