今、1人の東大生が角界をにぎわせている。7月に行われた名古屋場所で序ノ口(図1)デビューを果たした須山(25=木瀬部屋、本名・須山穂嵩)だ。角界は勝ち続けなければ給料すらも保障されない厳しい世界。生まれも肩書きも己を守ってくれない究極の実力社会で戦いを続ける、須山の素顔に迫る。 (取材・清水央太郎)
(図1)相撲の番付表。前頭までが「幕内」と呼ばれる。 十両からは月給制
目の前の勝負に集中を
━━9月に行われた秋場所では5勝2敗で見事2場所連続の勝ち越しを決めました。
もちろん勝ち越せたこと自体はうれしいのですが「あと1勝できたのでは」という悔しさもあります。特に3勝1敗で迎えた5日目の一番は楽に勝ちに行こうとして 敗れてしまったので、今後はメンタル面をもっと鍛えていきたいですね。(取材後行われた九州場所では3勝4敗で負け越し)
力士兼東大生・ 須山の生活
━━力士の生活は一般人とは大きく異なっており、謎に包まれている印象があります
普段は木瀬部屋で他の力士たちと寝食を共にしています。ただ僕は入門して間もないので、平日は相撲教習所という新入り力士の教育機関で座学を受ける必要があります。普段は朝に部屋で稽古をし、ちゃんこを食べて、 昼に座学を受ける生活です。これに加えて大学の単位もまだ残っているので、授業に出席しないといけない日もあって大変です。卒論のテーマもまだ決めていません(笑)。秋も頑張らないと。
━━かなりのハードスケジュールですね。相撲教習所では、部屋の垣根を越えた力士間の交流もあるのでしょうか
角界入りの際、報道される機会もあったので、話し掛 けられることは多かったです。教習所は中卒、高卒で角界に入ってくる力士が多いんですが、10歳以上年が離れた彼らに東大についていろいろ聞かれました。「東大王応募しましたか?」とか(笑)。モンゴル人の力士もいましたが、日本語がとても流ちょうで驚きましたね。
国技館で開催された新弟子披露イベントでの1枚(画像は須山さん提供)
━━稽古について、須山さんは鉄砲(柱に向かって突っ張りを繰り返す稽古)や四股といった伝統的な稽古にとらわれないトレーニングを行っていると聞きました
相撲の伝統的な稽古って科学的な検証がほとんどされておらず、あくまで経験的にしか効果が実証されていないんです。でもだからこそ、その経験知が正しいかどうかを自分で検証するために今は四股や鉄砲もちゃんとやっています。特に四股は1日に100回は踏んでいますね。僕自身は筋トレなども大事にしていて「自分が強くなるためには何が必要か」という視点だけはぶらさず、 日々稽古は続けていきたいと考えています。今は試行錯誤の段階ですね。
━━力士について「体重が重い」というイメージしか持っていない人がまだ多い気がしますが、実際はその巨体に隠された筋肉や運動神経がかなりモノを言いますよね
その通りですね。ただの肥満体型の人ができるスポーツでは決してないです。かといって筋肉や身体能力だけで戦えるスポーツでもありません。機動性とパワーを兼ね備えた筋肉の上に、脂肪というよろいを装備するのが大切で、僕もそんな肉体を目指しています。そのためには、日々の稽古で消費されるエネルギー以上の食事量を取る必要があるのですごくキツいですね。具体的には、 毎食米を700g、それにタンパク質を多く含んだおかずとちゃんこを食べるので総重量は軽く2kgを超えます。 体重は130kgを当面の目標として頑張ります。
━━同じ木瀬部屋の出世頭である宇良関(前頭三枚目)はレスリングの経験や高い身体能力を生かして珍しい決まり手を成立させる、独自の戦法で注目を集めています。 参考にしている部分などはありますか
宇良関とは、トレーニング方法などについて話をさせていただく機会もありましたし、学ぶことは本当に多いです。ここまで勝ちを積み上げてきた方なのに謙虚で、 寡黙に我が道を貫いています。木瀬部屋は相撲の世界の中では珍しく、理不尽なしきたりが少なく良い雰囲気なのですが、その一因は宇良関の姿勢にあると考えています。
東大への夢をつないだオードリー春日
━━運動経験は中学時代の野球のみとのことですが、相撲との出会いはいつだったのでしょうか
坊主は嫌だったので高校で野球は続けず、代わりに好きだった格闘技をやりたいなと思いました。でも柔道や剣道はなんか違うな、と。空手部も寸止めルールを採用していたので「何が面白いんだ」と思って部活には入りませんでした。だから大学に入ったら格闘技をやろうとは心に決めていましたね。東大に入るまで時間がかかってしまいましたが(笑)。
東大相撲部の仲間と共に。右下が須山さん(画像は須山さん提供)
━━1年間の浪人を経て、一度は慶應義塾大学に進学しました。その後もう一度東大を受験した理由は何だったのでしょうか
慶應に入学した年の秋にオードリーの春日が東大を受験する企画を始めたんですよ。それを見て、僕も「もう 一回やってみようかな」と思いました。もともと1浪目は0.02点差落ちで、悔しさは少し残っていました。多分「歴史上、最も東大に近づいた男」だったと思います (笑)。でも、4月には気持ちを切り替えて慶應で4年間を過ごそうと思っていましたし、キャンパスライフも楽しみました。だから12月に受けたセンター模試(当時)は600点台とかしか取れず、学習内容がかなり頭から抜けていましたが「やるしかないな」と覚悟を決めてなんとか合格できましたね。
━━紆余(うよ)曲折の末に入学した東大で、数ある格闘技の中から相撲を選んだきっかけは何だったのでしょうか
当時読んでいたある漫画で「相撲最強説」が唱えられていたのがきっかけでした。一度部活動を見学した際も雰囲気が良さそうでしたし、基本的に指導はなく自主性に委ねられているのが気に入って入部しました。
相撲の魅力は、一瞬一瞬の駆け引きにあると思います。 相撲の取り組みは本当に一瞬で、どんなに長くても1分、中央値を取ればおそらく10秒以下の世界です。だから、 行司の掛け声が掛かった瞬間からは一つの動作も失敗できない。そんな極限の集中状態で繰り広げられる激しい 体と体のぶつかり合いこそ、相撲の最大の魅力だと思いますし、相撲を観る時はそういう視点で見ると一層楽しめるのではないでしょうか。
━━ここまでの話を聞いていると、トレーニングなどは論理的に考えつつ、心から相撲を愛し楽しんでいる印象を受けました。角界入りを決めたのも、それが理由なのでしょうか
もちろん相撲は好きですが、角界入りの大きな理由は コロナの影響で、相撲が不完全燃焼に終わってしまったことですね。1、2年で着実に実力を付けられた感触はあったので、3年生以降は学外にも稽古に行きたいと思っていたんです。しかし、コロナの影響で2年間ほとんど稽古が行えませんでした。他の進路も考えましたが 「もっと強くなれたんじゃないか」という思いは捨て切れなくて。自分を納得させるためにも、相撲の世界にチャレンジすることに決めました。相撲部の仲間にも驚かれはしましたが反対はされませんでしたし、両親も「大学さえ卒業してくれたら好きにしていい」と自分の決断を応援してくれました。感謝してもし切れません。
━━最後に須山さんの今後の目標について聞かせてください
東大出身なので、東大関(ひがしおおぜき)になることですね(笑)。これは変わらないっす。