「戦争に突入したのは軍部と為政者が悪かったから」などと、時に単純化して語られることもある日本の近現代史。ベストセラー『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)などで知られる加藤陽子教授(人文社会系研究科)は、一貫して20世紀日本の軍部と外交の実際の姿に迫ってきた。加藤教授に、歴史学のスリリングな一面や学問の面白さを聞いた。
モダンな日本と軍国日本―その総体を史料から描く
――研究者を目指すことにした理由は何だったのでしょうか
高校時代から私は、図書館の蔵書数が日本一だったことを理由に東大受験を決めたほどの本の虫で、とにかく本を読んでいられる仕事に就きたいと。高度成長末期の当時、24時間働けますか、といった夫を毎日支える人間には絶対なれないとの諦念から、自由かつ自立して生きていくしかないと。そうなると、文章を書くのは嫌いではないから、作家か研究者のどちらかを目指そうと思ったわけです。
その後東大に入学すると、ロシア語選択だったのでトゥルゲーネフやトルストイといったロシア文学などを読むようになりました。ロシアの近代化の過程や戦争と社会の変化を描いた作品を読み、人々を動かす歴史の深部の力は何なのだろうかと近現代史に強い興味を持つようになりました。
――博士論文の一部に当たる『徴兵制と近代日本』では日本陸軍の徴兵制に着目し、民衆の支持を取り付けるために「公平・平等」を重視して制度改革を進めていたことを明らかにしました。研究に至ったきっかけは何だったのでしょうか
戦前期は、立憲政治が実現された「モダンな日本」と、丸山眞男のいう、公的領域が私的領域を際限なく侵す軍国的な日本が混在する社会でした。その姿を史料から総体として描きたいとの興味が研究の出発点です。論理とは無縁の存在として描かれる陸軍は、実のところ官僚組織としては、当時の優秀な人材から構成されたエリートでした。その彼らがなぜ「愚かな」選択をしたのか。陸軍と国民との接点である徴兵制の変遷を描き、陸軍がどのような組織であろうとしていたかを捉えようと考えたんです。
明治維新から太平洋戦争の敗戦まで約70年の徴兵制の変遷を概観して面白いと思ったのは、日本という国は軍を組織する上で志願制を本気で検討したことがほぼないという事実でした。だからこそ志願兵ではない兵士を有効に働かせるには、ただ無理やり動員するのではなく、平等だと思われる制度と国民からの支持が必要だと陸軍は考えていたのでしょう。
博士論文のもう半分にあたる、『模索する一九三〇年代 日米関係と陸軍中堅層』では、戦争をしている国から中立を保つために戦争国への武器の輸出を凍結したり、資金調達を困難にしたりする米国の「中立法」という法律に注目しました。中立法の影響という視点から1930年代を概観することで、例えば日中戦争時に日本が中国へ宣戦布告しなかったのは「日本が卑怯だから」ではなく、中立法の存在ゆえの、米国からの物資輸入や国際金融決済の途絶を懸念したからだ、との見方を提示したのです。
「国民の集合知」を支え得る歴史像を作り上げたい
――両論文とも「今では愚か・卑怯とされるような選択にも、当事者からは合理的に思える理由」があったことを示しています。そうした見方は、どういう意義があるのですか
大きいのは、より広い視点で他国と比較できることです。これまでの議論では、日本の体制がファシズムか否かに議論が終始しますが、「各国は自国の利益を最大化するために行動していた」という、当然の尺度で解釈すれば、どの国も同じ観点から比較可能です。例えば、中立法下では自力で貿易するための船舶を多く持つ日本が有利になるので中国側も宣戦布告を躊躇していた、というような事実を発見することもできます。
軍部や天皇など、「◯◯に責任があった」と押しつけてしまうのは簡単です。「満州事変時の多くの労働者や農民は軍を支持していた」との史料を出しますと、「国民に戦争の責任があったと言うのか」と批判されたこともありました。しかし、先の労農関係の史料などは、大原社会問題研究所が残したから利用できる重要な史料。私は労農階級などの側の正直な記録をも、国民の集合的な記憶としての歴史に書き込みたいと思っています。右でも左でもなく居直りでも自虐でもない、国民の集合知を支え得るような歴史像を作り上げることが私の目標ですね。
――これまで研究してきて感じる近現代史の面白さとは何でしょうか
歴史学の中でも近現代史は、史料という「調理する材料」が新たに絶えず見つかるのが魅力です。特に1990年以降世界中で史料の公開が進んでいて、例えば「ドイツ・ソ連・中国など後に第2次世界大戦で敵味方に分かれる国同士が、第1次世界大戦後の時点では米英中心のウェルサイユ体制へ反対するという立場で一致しユーラシア大陸同盟を構想していた」「ナチスドイツと英国は40年5月まで講和を模索していた」など、これまでの見方を覆すような事実が明らかになっています。一方で史料の膨大さは、個別の史料に引きずられると全体像が見えなくなり、かといって話を大きくすると間違いが発生するという課題も突き付けています。
学問はあなたを裏切らない
――そのような最新の学説を、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)などでは高校生との授業の中で紹介しています
高校生と授業をしてみて、参加してくださった方の豊かな発想が印象的でした。著書でも紹介しましたが、私が「英国はどうすれば第2次世界大戦を回避できたのか」と質問すると、ある理系の生徒が「第1次世界大戦で負けておけばよかった」と言ったのです。こうした自由な発想は、専門に分かれる前の高校生ならではのものですね。
――研究者を目指す高校生がやっておくべきことは何かあるでしょうか
自分がとにかく時間を忘れて打ち込めることを見つけてほしいですね。本やテレビで目指す分野の最良のものに触れることも大事だと思います。
もっとも、高校時代までだと勉強のできる人の中には「なんでも得意で特に好きな分野はない」という人も多いと思います。まず文系理系かざっくりと自分のより好きな方を見極め、分野は大学入学後に考えるということでもいいかもしれません。
――受験生にメッセージをお願いします
学問はあなたを裏切らない、ということですね。私の母校は文理の科目を全部やらせるのはもちろん、戦時中の包帯の巻き方まで含めて教えるような変な学校でしたが、今考えると貴重な経験でした。それに今の受験勉強は、特に英語などは良質で本当に役に立つものばかりだと思いますよ。
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加藤陽子教授(かとう・ようこ) (人文社会系研究科)
89年人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。山梨大学助教授(当時)などを経て、09年より現職。著書に『徴兵制と近代日本 1868-1945』(吉川弘文館)、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)、『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(朝日出版社)など。
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この記事は、2017年8月に東京大学新聞社が発行した書籍『東大2018 たたかう東大』からの転載です。
『東大2018 たたかう東大』は現役東大生による、受験必勝法から合格体験記、入学後の学生生活のアドバイス、後期学部への進学、そして卒業後の進路に至るまで解説したガイドブック。東大受験を考えている高校生や中学生の皆さんにお薦めです。大河ドラマ『おんな城主 直虎』脚本家・森下佳子さんへのインタビューなど、読み物記事も充実しています。
【東大2018】