最近、東大生の起業が増えてきている。本年度の入学式で藤井輝夫総長が起業を勧めていたのも記憶に新しい。しかし起業についてよく知らず、不安に感じる人は多いだろう。起業に向いているのはどんな人なのか。どうやって起業するのか。メリットとデメリットは何か。自分にもできるのか……。そんな疑問を解消するため、東大生の起業を支援する東大産学協創推進本部スタートアップ推進部長の長谷川克也特任教授と、東大卒業生・現役生・研究者の起業を支援し、彼らの姿を現場で見てきたスタートアップ支援プログラム「FoundX」の馬田隆明特任研究員に話を聞いた。(取材・堀添秀太)
東大生の起業の現在地
現役東大生の起業が多い分野は、専門的な技術があまり必要でないIT・ウェブサービス。身に付けた技術を生かして材料やデバイス、医薬などの幅広い分野で起業している大学院生もいるが、その数はまだ少ない。技術自体が事業の大きな強みであり、かつ短期間で急成長を目指す起業をディープテック起業と呼び、東大ではディープテック起業を支援する取り組みを行っているが、事業の核となるような独自技術の開発には長い年月がかかるので一般的に学生には難しい。
なぜ東大はディープテック起業を推進しているのだろうか。世の中の課題を解決するとき、コアとなる新しい技術があればできることは多くなる。そのため、新しい技術から新しい事業を生むディープテック起業は、社会を変えるのに必要だ。一方で、大企業は既存の事業を大事にしているので、新しい技術が既存の事業の脅威になる場合、その技術を事業に結び付けられないことが多い。2021年9月に東大が公表した行動指針である「UTokyo Compass」では、知識集約・循環型社会を目指すなどの目的でスタートアップが重要視されている。大学の研究成果を社会に実装するためにも大切だという。
東大生の起業が増えてきた原因の一つは大企業の行き詰まりだ。今の日本の大企業は伸び悩むことが多く、環境も良くないと親から感じたり、就職した先輩から聞いたりした学生が「伸び悩んでいる大企業に行くより起業する方がいいかも」と考えるのが起業のきっかけになる。また、東大生の周りに起業家が増えてきており、さらに東大生はスタートアップにインターンで募集されることが多く、それを通じて起業家と触れ合うことができる。そのため、起業を身近に感じ「自分にもできる」と思う人が増えていると、長谷川特任教授と馬田特任研究員は分析する。
東大のサポート体制
スタートアップ推進部は起業しようとする学生や卒業生に対し、事業化までの全ての段階においてさまざまな支援を行っている。
スタートアップ推進部が想定する起業の流れと、それぞれの段階に対する支援は次のようになっている。まず就職するかどうかなど、進路に悩んでいる学生に対しては東京大学アントレプレナー道場というプログラムでスタートアップについて基礎から紹介して、起業に興味を持ってもらうことを狙う。本郷テックガレージという施設では工作機械や作業場所を提供して、東大生が自分の作りたい、特定のターゲット層の課題を解決するソフトウェアやハードウェアを作り、それを実際にターゲットにした層に見せてフィードバックを受け取るというプロジェクトを行う。これによって作ったものに需要があると分かり、起業しようと決めた場合は、ビジネスプランを作るなどの起業準備をする。この段階では、FoundXのプログラムで資金を調達できるようなビジネスプランを検討したり、同じ段階の起業を目指す人たちのネットワークを築いたりする。ベンチャーキャピタルや公的資金に支援されて起業した後は、産学協創推進本部が運営・管理するインキュベーション施設に入居して会計、税務、法務の専門家の紹介などをしてもらう。
大学の支援のメリットの一つとして、長谷川特任教授は中立的であることを挙げる。「民間企業による支援と比べると、中立的な立場にいる大学の支援は色眼鏡で見られにくいです」。物理的に大学の中に施設を持っているため、教員との連携や学生のアクセスがしやすいというメリットもあるという
長谷川特任教授は、起業支援の難しい点は、数値目標が立てづらいことだと語る。「スタートアップは千差万別で、なかなか将来が予想できないものなので、計画を立ててその通りに増やすことは難しい気がします」。また、馬田特任研究員は、数値目標を立てると、その目標の達成に固執して、本来の目標に悪影響を与えてしまうと指摘した。「例えば初期の資金調達額を目標にすると、その目標に注目しすぎて、今の流行に乗っただけのアイデアが増え、大きく伸びるかもしれないアイデアが出てきにくくなるかもしれません」
ディープテック起業について、馬田特任研究員は「研究開発に時間もお金もがかかることが多いです。企業向けのビジネスになることが多いので、技術に加えてその業界の深い知識も必要になります」と言う。この対策として、FoundXでは比較的長い期間支援を続けることで、大きな市場を狙えるスタートアップを育てようとしている。
しかし、この流れ通りに大学の支援を受けて起業する必要はない。起業には多くのパターンがあり、大学の行う援助が常に完璧とは限らないからだ。長谷川特任教授は「フェーズごとに最適な援助を利用すればいいです。その中で大学のプログラムが一つでも役に立てば構わないです」と語る。
起業に大切なこと
起業する上で大事なのはリスクを抑制すること。そのためにはベンチャーキャピタルや投資家にお金を出してもらい、学生ができるだけ借金を負わないようにすることが必要だ。また、馬田特任研究員によると、起業には時間を投資する必要もある。「起業には不確実性があるので、自分が許容可能なリスクを考え、その範囲内でリスクを取りに行くことが大事です」
起業家同士のネットワーク作りも重要だという。自分と同じ段階にいる起業家の仲間を見ることでモチベーションを維持でき、相談もできる。初期のスタートアップが抱える課題は似ていることが多いが、その内容は多岐にわたるのでインターネットでは答えを探しづらい。すぐ他の起業家に相談しに行ける場所では問題解決のスピードが速くなるという。また、少し先のフェーズの起業家から既に経験した課題についてのアドバイスをもらえる。もし起業に失敗しても、起業家の仲間がいれば、中には手を差し伸べてくれる人もいる。FoundXでは、起業家の横のつながりやちょっと先の起業家から学ぶことを最も重視していて、プログラム参加者にも好評だという。
また、東大生が起業をする時は、東大のブランド力は有利に働く。企業や投資家に話を聞いてほしい時などには「東大生であること」はプラスに働くし、起業に失敗しても職を見つけるのは比較的簡単であり、リスクも少なくなるからだ。
学生へのメッセージ
馬田特任研究員によると、起業に向いている人は、新しい経験に対してオープンな人だという。大学で得られる起業に役立つ要素として、知識や経験のほかに、大学での経験を通じてできた対等な仲間を挙げた。また、インターンでスタートアップに行き、起業を身近に感じることも重要だという。
FoundXでは、起業の構想段階や、助成金を取る必要が出てきた時にアイデアに対してフィードバックを行い、自分のアイデアに自信を持てない人を支援している。また、起業家のネットワークを作ることで、単独で強い人でなくても、周りの支援を活用しながら起業できるようにしているという。取り組みの狙いについて、馬田さんは「ポテンシャルと高い志を持った人たちに、少しでも起業の道に進んで頂ければ、と思っています」と説明する。また、東大生がやりがちな失敗を「起業の選択肢が取れるのに、起業しないこと。挑戦しないこと」だと言い、東大生に起業への挑戦を呼び掛けた。
長谷川特任教授は起業に興味のある東大生に対し、次のようなメッセージを伝えた。
「無理して起業する必要はないですが、本当に自分の人生をかけてやりたいことができたときに、起業という道があることを知っていてほしいです。大企業の中ではやりたいことを実現するのに時間がかかります。起業する方が若いうちから自分の力を存分に発揮できる場合が多いのです。起業が自分の道だと思ったら、学生の頃に学んだことを思い出して正しい起業をしてほしいです」
起業家の資質や能力とは? まとめてアンケート
多くの学生起業家を見てきた産学協創推進本部スタートアップ推進部の長谷川特任教授と「FoundX」の馬田隆明特任研究員に、「起業家に求められる資質や能力」とは何かを聞いた。2人が挙げた能力は下の六つ。
①様々な変化や不確実性を見つけ、それを機会として認識できること
②行動することで、新たな機会を創造できること
③人・もの・金・時間などの資源を上手に活用できること
④自分の持っている資源を超えて、外部にある資源を獲得できること
⑤仮説の生成と検証を繰り返す試行錯誤によって学習できること
⑥自ら取れるリスクを選択し、緩和策を講じてそのリスクを管理できること
今回紙面でインタビューを行った3人の起業家は、それぞれの条件に自身がどれくらい当てはまると感じるのか。雪浦聖子さん、前田瑶介さん、石川聡彦さんに、A とてもよく当てはまる、B 当てはまる、C あまり当てはまらない、D 全く当てはまらない、の4段階で回答してもらった。