東大総長選考会議は2日、第31代総長予定者として藤井輝夫理事・副学長を選出した。9月30日の意向投票でも過半数の票を獲得しており、投票を尊重した形だ。予定通りいけば文部科学大臣の任命を受け、来年4月に就任する。
今回の総長選考を巡っては、選考過程の透明性や候補者の属性の偏りなどに対して疑問の声が相次ぎ、選考会議に対して複数の質問状や要望書が提出された。選考過程に異を唱える動きは今後も続くと見られる。疑問の声が上がる以上、選考会議はその声を真摯に受け止め、説明責任を果たしてほしい。
東大の法人化以降始まった選考会議による選考では、毎回意向投票でトップだった候補者が総長予定者に選出されてきたが、ここ3回の規則を見比べると意向投票の扱いは徐々に小さくなっている。背景にあるのは政府の意向。投票結果をそのまま選考結果に反映させるのを「過度に学内又は機構内の意見に偏るような選考方法」として否定し、意向投票の影響力を小さくして選考会議が主体的に選考すべきとの見解を示してきた。選考会議が示した「求められる総長像」で経営能力重視が明言されたのも、政府の方針に沿うものである。教授会を主体とした大学自治とは方向性が異なるが、選考会議は内規を変更するなどしてあくまで制度に則った選考を進めてきた。これを踏まえると疑問の声が上がる選考会議の権限強化も選考会議自身の恣意的なものとは断定できない。
ただし、国の意向を反映させた、制度上問題ない選考だったとしても、それは必ずしも皆が納得する選考ではない。まして東大は御用大学などではない。選考会議の小宮山宏議長は4月の談話で「透明性・公平性」を高めるための選考過程の見直しを行うとしたが、前回一般公開した第2次候補者を今回は教職員のみに告示し、氏名について学外に公表しないよう要請。「学外の意見等を取り入れる環境に対応することはない」と判断しての対応だというが、東大構成員は投票権を持つ教員だけではない。また第2次候補者の人数が「5人程度」から「3〜5人」に変更され、かつその最少人数である3人の候補者しか選ばれなかったことにも、十分な説明がなされたとは言い難い。
多様な人材が所属する東大のリーダーを決めるための「透明性・公平性」が誰にとってのものであったのか。その選考は適切だったのか。選考会議はもう一度問い直すべきだ。第2次候補者がいずれも優れた人物で、総長たり得ると判断したなら堂々と発表すれば良いだろう。総長選考の議論の過程を全ての構成員に対して可能な限り公開し、職員や学生を含む幅広い構成員の意見を拾うことが、より良い選考につながるはずだ。東大のリーダーを決める選考が東大構成員にとってより透明、公平なものとなるよう、幅広い東大構成員が選考会議の議論を監視できる、あるいは議論に参画できる制度を熟議の上で整えるべきだ。それこそが選考会議が東大構成員に果たすべき責任であり、東大の学内民主主義を守るための務めである。
一方、疑義が意向投票直前に噴出したことを、我々東大構成員は重く受け止め、反省せねばならない。選考会議の内規変更や総長選考開始の段階で疑念の前提となる変化に気付けていれば、より早い段階で疑問の声を上げられただろう。総長選考であれ改革であれ、全ての東大構成員にとってそれは「自分ごと」である。今回の総長選考は東大の学内民主主義を見直す教訓となったはずだ。
新総長就任まで半年。総長選考を巡り検証、議論すべきことが山積みであり、適切な対応が取られることを期待したい。今回の総長選考が東大の歴史の中で語り継がれることは間違いないが、どのように語り継がれるかは東大構成員のこれから次第だ。決してこのままで終わることがあってはならない。