2013年に刊行された『永続敗戦論 戦後日本の核心』(太田出版)は、日本人が先の大戦での「敗戦」の事実を「否認」してきたことが、今日の日本の政治状況に大きな影を落としていることを活写し、刊行当初より大きな反響を呼んだ。著者である京都精華大学専任講師・白井聡さんは、『永続敗戦論』で打ち出した論点を出発点として、明治維新以来の日本近代史全体の分析に向けて全面展開した『国体論 菊と星条旗』(集英社)を4月に公刊した。同書は、戦前には天皇を主権者と定める国家体制を意味した「国体」が、現代に至るまで形を変えて生き残っていると指摘する。現代の国体とは何か。天皇制、あるいは日本の外交を今、どう見るべきなのか。白井さんに話を聞いた。
(取材・日隈脩一郎 撮影・児玉祐基)
──戦前の「国体」が、戦後になっても形を変えて延命されたという見方は、いつごろから持っていたのでしょうか。
アイデア自体は前著『永続敗戦論』執筆当時からありました。日本がアジア太平洋戦争に敗れ、その当然の結果として戦後日本はアメリカの属国になり、政権を担う人々や官僚機構がアメリカに「忖度」しなければならない状況が生まれたわけですが、アメリカに対する態度が戦前の天皇に対する態度とパラレルなのではないかとの気付きが、本書執筆の背景にありました。対米従属の構造を明治時代に形成された「国体」の現代版として捉え直すことで、日本の対米従属の特殊性とその危機があぶり出されると考えたのです。
明治憲法では、天皇は「統治権の総攬者」と規定されていました。ですが、それは万能の主権者を意味したわけではなく、実際には内閣や軍部、後には政党、さらには選挙されない貴族院や制度外的存在である元老といった多様なアクターが政治の動態を決めていました。しかし、建前上では天皇だけが主権者である一方、立憲主義の要素もあるため、天皇の意志はあまり直接的に示されることなくブラックボックス化される。そうすると、為政者たちは、「天皇陛下の大御心」を「忖度」するというかたちで、自らの意志を正統化する。このようにして、明治憲法下における近代天皇制は、有力者たちによって利用されてきたのです。
ところが今、その戦前の天皇のポジションを「星条旗」、つまりアメリカが占めている。戦後日本の政治史を整合的に理解するためには国体、つまり「天皇制の場所」を皇居にいる天皇にではなく、語義矛盾のようですが、アメリカに見定めることが必要なのではないかと考えました。
──第一章は、2016年8月に出された「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」(いわゆる「お気持ち」表明)の分析から始められています。
あの「おことば」を発表する今上天皇を見て「執筆を急がなければ」と思いました。そこには尋常でない危機感が滲んでいたからです。私はあの「おことば」を「日本の皆さんは天皇制をどうするつもりなんですか、もうやめたいのですか」という問題提起だったという風に解釈しています。それは、本書の国体論解釈に引き付ければ「皆さんにとってアメリカが実質的な天皇であるなら、私たちはもう要らないでしょう」ということです。しかしもちろん、今上天皇がそのような結論を望んでいるわけではない。そこで強調されたのが、「祈ること」こそが、国民統合の象徴としての天皇の務めだという考えです。進行してきた国民統合の危機に警鐘を鳴らしたのです。
最近では、天皇制を基本的には批判してきた左派の中にも、天皇をうまく利用できればいいと考え始めた人たちがいる一方、ネトウヨと呼ばれる人たちが「天皇は反日」と言ったりしています。『国体論』の議論は、「お言葉」に込められたメッセージをストレートに解釈し支持しているという意味では誰よりも右で、天皇制批判を正面からやっているという意味では誰よりも左です。
──「対米従属」論自体は左右両派ともに、従来もありましたね。
ソ連が崩壊してからというもの、どんな国でも程度の差こそあれアメリカの顔色はうかがっています。ただし、日本の対米従属構造は、国益の最大化の観点から導かれた妥当な外交方針としてあるわけではなくて、「戦前の国体」の焼き直しとして、永久に続かなければならないものとして観念され、アメリカが精神的な権威にまでなっているという特殊性があるんですよ。
「戦前の国体」の特徴は、家族的な国家観にありました。天皇を中心とした家族国家の中で、臣民は天皇を父とする「赤子」であるとされた。つまり「臣民は天皇に愛されている」というフィクションを前提に、家族の中には支配関係はありえない、という国家観が強制された。つまり、支配の事実が否認されていた。それが戦後になるとどうなったか。「日本国民はアメリカに愛されている」というありもしない幻想が生み出され、政治的なフィクションとして機能するようになったのです。
その起源がどこにあるか。『国体論』の中でも重要な出来事として扱っていますが、昭和天皇とマッカーサーの最初の会談です。あの場面で、昭和天皇が「私の身はどうなってもよいから、国民を助けてほしい」と言い、この言葉にマッカーサーが感動したと言われてきたわけですが、この物語を信じることによって、「アメリカは日本の心を理解した」、だから日米関係の基礎は敵意から真の友情に置き換わったのであって、したがってこの関係は従属とか支配とは関係がない、と観念されるようになったと僕は見ています。それは、言うなれば心の詐術です。
──白井さんはレーニン研究から出発して一貫して、思想史的な方法で著書・論文を発表されていますが、今あえて思想史という方法を打ち出すことについてどう考えますか。
「反知性主義」とも呼ばれる風潮があり、また定量的に根拠を示すことが異様なまでに求められる昨今、いわば文系的なアナロジーによる仕事が大切だと思っています。人工知能が今のところ、膨大な数量的データに基づいたパターン認識しかなし得ないことからも、アナロジーを働かせることは、人間を人間たらしめる仕事だと言えるのではないでしょうか。
『国体論』の中で「国体は二度死ぬ」という命題を私は掲げました。マルクスは「歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は笑劇として」と言っていますが、あれはヘーゲルが元ネタなんですよね。ヘーゲルは、歴史上の類似した事件、とりわけ大きな意味を持つ事件であればあるほど、一度目は偶然として認識されるかもしれないが、二度目は必然的な性格を帯びて認識されると語っています。
近代国家としての日本は、いわゆる十五年戦争で初めて敗戦を経験し、GHQによる占領統治と日本国憲法による国民主権への転換という形で、一度目の国体の終わりを迎えました。しかし、国体は、頂点を天皇からアメリカへと入れ替えることによって、実は生き延びた。「戦前の国体」がたどった道から類推すると、国民統合の装置どころか国民統合を破壊する要因となってしまった今の国体も、崩壊過程に入ったと考えられます。こうして、国体の死も反復されることによって、本当に成し遂げられるのでしょう。
しかし、国体の二度目の死を再び戦争という災禍によって迎えることだけは回避しなければならない。それが現在の最大の課題でしょう。先人たちの仕事を参照することで、そういった現状認識を我々は持てたわけです。こうした大局的見取り図を獲得できることが、思想史という方法の効用なのだと思います。
白井聡(しらいさとし)さん
06年一橋大学大学院博士課程中退。博士(社会学)。日本学術振興会特別研究員などを経て、15年より京都精華大学専任講師。著書に『「物質」の蜂起をめざして ─レーニン、「力」の思想─』(作品社、2010年)、『日本の反知性主義』(内田樹、高橋源一郎ほか共著、晶文社、2015年)がある。