子守唄のような優しい歌声がコンサート会場を包み込んだ。ヴォーカリストの鈴木重子さんは東大法学部の卒業生。大学時代、極限まで自分と向き合いヴォーカリストの道へ進んだ。その時、何を決めたのか、鈴木重子さんにインタビューを行った。
ーーー東大に入ったきっかけは何だったのでしょうか。
『居場所』を見つけるための努力が、予想を超えて実を結んだ、と言ったらいいでしょうか。私は幼稚園の頃、ひどくいじめられていました。クラスで一番のガキ大将に目をつけられて、みんなから追いかけられたり、ぶたれたり。そんな毎日の中で、私の望みは「みんなと友達になりたい」、「安全に過ごしたい」ということだったんです。
そのときの経験は、私の人生に大きな影響を与えたと思います。世界中のすべての子どもが安全であってほしい、という願いは、今の平和活動の原動力になっています。
年長組になったある日、なぜか幼稚園のお遊戯会の園児代表挨拶に選ばれました。驚いたことに、一生懸命練習して上手にスピーチしたら、 翌日からみんなの見る目が変わるようになったんです。前日までは劣等生だったのに。それで気づいたんです。「そうか、こういうふうにすると自分の居場所ができるんだな。」そこからですね。私の人生ががらっと変わったのは。優等生でいれば、大丈夫。そう信じた私は、小学校に入ってから、ずっと優等生でいようとしたんですね。成績も10段階だったらほとんど全部10といった感じでしたね。11年間、風疹にかかって登校してはいけなかった日を除いて、無遅刻無欠席!高2になって、全国共通模試を受けたら、とてもいい偏差値が出たんです。「じゃあ入れる一番のところに入ろう」ということで、文科Ⅰ類に入っちゃった。今思い返してみれば、もっと、本当に興味のあること、やりたいことを見極めて、進路を決められたらよかったなと残念です。でも、高校生はなかなか、そこまでの意識を持てない。入れる一番よい大学だから、学部だから進学した、という私のような人は、東大には多いんじゃないでしょうか。
ーーー大学生活の思い出はありますか。またその頃ジャズを歌い始めたのでしょうか。
大学生活で一番楽しかったことのひとつは、やっぱりバンドのサークル活動ですね。2年生からPOMPという軽音サークルに入ってバンドを組んでいました。スティービー・ワンダーなどののカバーをやっていたけど、歌っているうちに行き詰まってしまいました。スティービーみたいに歌おうとしても、ちっともうまくいかない。それで、基礎を勉強してみたら、自分らしい何かが表れてくるんじゃないかと思ったんです。当時のアメリカのポップス音楽の基礎っていうのはジャズにある、だったらジャズを勉強して みようと。法学部では何かに行き詰まったら『原理原則に戻れ』と言うんですが、こんなところに生かされたんですね。(笑)
私は今は、自分を『ジャズ歌手』とは呼んでいません。肩書きはただの『ヴォーカリスト』。ジャズを始めたのは、どちらかというと勉強のためだったし、私のルーツはそれよりずっと、3歳から弾いていたクラシック音楽に近いところにあります。今のレパートリーは、ポップスやオリジナル、ブラジル音楽、クラシックと、多岐に渡っています。スタンダードナンバーは、そのほんの一部。自分の心の琴線に響くメロディやメッセージを、自分なりのやり方で歌いたい、と願っています。
ーーーどうしてヴォーカリストになったのでしょうか。
歌い手になるとか、なれるとかという考えは、本当に最後まで持っていませんでした。東大を卒業するからには、何か『偉いもの』にならなくちゃと思っていましたね。私の高校から女子で法学部に進学した人は、長い間いなかったので、周囲の期待も並々ならぬものがあったんです。でも私は、何にもなれる気がしませんでした。法律家になろうにも、法律の勉強にちっとも興味が持てない、分からない。といって、お勤めができるような器用さもありません。本当に暗澹たる気分でした。
それまでの私の人生の目的は、競争に勝ち残って偉くなることでした。何しろ、競争に勝つことで、自分の居場所が確保できると信じていたから。だから自分の存在を証明するためにもっとどんどん偉くならなければいけないと。でも、到底無理でしたね。たったそれだけの理由では、競争をし続けるエネルギーが足りませんでした。
司法試験の勉強を希望なく続けながら、留年1年目から、ライブハウスで歌う仕事をするようになりました。アルバイトと気晴らしを兼ねて始めたのですが、ステージに上がって、目を見張りました。急に身体の感覚が呼び覚まされて、匂いに気づくようになったり、感情が感じられたりするんです。「ああ、私は生きているんだ!」と思いました。真っ暗な試験勉強と、いのちの味わえるライブとの間を行き来しているうちに、答えは理屈ではない、もっと奥深いところから、自然に溢れて来ました。これからは弁護士になるのやめて歌で行こうと思ったんじゃありません。意味もない競争に勝つことだけに身に使う人生はやめて、そのとき自分が一番生き生きしてやりたいことをやって生きようって思ったんです。それから数ヶ月後、最初に所属していた事務所の社長さんがライブに来てくれて、気に入ってスカウトしてくださって、とんとん拍子にデビューが決まりました。ラッキーだったと思います。ひとが何かを決意するとき、世界がそれに呼応する、ということがあるのだと、不思議な気持ちになります。
ーーー自分の好きなことを仕事にするのは不安だったり怖くはなかったですか?
決めたときは怖いとか怖くないとかのレベルではなかったですね。本当に死にそうだったから・・・。このまま続けてたら私は死んじゃうって、本当に思っていました。歌手になるって決めるまで2年間くらいはほとんどひきこもり状態だったんですよ。当時、家からほとんど出なくて予備校に行くときと、図書館で勉強するとき、歌うとき以外はずっと家にいました。
ーーー鈴木重子さんにとって東大はどういう場所だったのでしょうか。
私にとっては自分が何なのか、自分が何がやりたくて何をやりたくないかをものすごくクリアにしてくれた場所だったと思います。そこまで突き詰めないで選択をしていたら、私はここまではっきり『自分のやりたくないことをやったら生きていけない』というのがわからなかったかも知れません。だから、生きるか死ぬかのぎりぎりまで、やらなくちゃいけないこととか、人に勝つことを追求したというのはとてもいい経験でした。おかげで、それが私にとって意味がないということがわかったから。
ーーー結構ストイックなんですね。
そうですね。もともとの性格が真面目だということもあるけれど、私が極限まで頑張ってしまったのは、負けたら居場所がないと思っていたからだと思います。優等生になることで、やっといじめから出られたけれど、負けたらそこに逆戻り。それが怖かったんですね。でも、競争から外れて歌い手になっても、別に全然居場所は無くなりませんでした。『負けたら居場所がなくなる』というのは、ものすごいイリュージョンだったな、と思います。本当は競争から外れた方が居場所がたくさんある。レールに乗ってるより、レールに乗ってない方が居場所がたくさんあるんです。けどレールに乗ってるとそれが見えなくなってしまうんですよ。それは今、就職活動している人とかにすごく言ってあげたいです。採ってもらえなかったら人生終わり!くらいの勢いで就活しているんだな、みんな大変だな、と思って。
ーーー進路に悩む人たちに向けてメッセージを下さい。
今すでに確立されている、人生の道筋にとらわれないで、面白いことを考えてほしい!思いもかけなかったようなユニークな道があるかもしれません。いつかこういうことをやりたいっていう夢があったら、企業に入るのであれ、官僚や研究者になるのであれ、心構えや人との関係とかが変わると思います。面白いことをやりたい人にとって、東大はすばらしいワンダーランドです。各分野の最高峰の知恵やスキルが、惜しげもなく与えられるのです。今の自分が持っている、知識やつながりや社会の中での場所が、大きな資源だと思って、何が面白いのか、何をしたらワクワクするのか、最終的にどういう風になりたいのか、楽しんで考えて、どんどんクリエイティブな道を見つけたらいいんじゃないかな。「楽しみ」にも色々な種類があります。例えば家に帰ってTVを見ながらポテチを食 べるのだって楽しいじゃないですか。でもここで言う「楽しみ」は「命が懸けられるようなこと」です。魂が震えるくらい、自分の全部を使ってやれると信じることができ、しかもそれが本当に深い意味で人の人生に貢献するとということがわかるような何か。今日ステージに上がったとき、ここで聴いている人たちはみんな命懸けだと思いました。だから私も命懸けで歌わなかったら多分届かない。そう思って歌いました。そうなって初めて見つかる『楽しさ』があるのです。そういうものが見つかったらいいなあ、と。ゆっくり時間をかけて探してもいいと思います。
(取材・文 東京大学大学院 情報学環教育部研究生 林克樹)
※この記事は、東京大学大学院情報学環教育部の授業の一環で執筆されました。
鈴木重子(すずき・しげこ)、ヴォーカリスト。
1965年10月14日、浜松に生まれる。東京大学法学部卒業後、1995年メジャーデ ビュー。ニューヨーク「ブルーノート」にて、日本人ヴォーカリストとして初のデビュー公演。5thアルバム「JUST BESIDE YOU」にて、2000年度「第15回日本ゴールドディスク大賞 ジャズ・アルバム・オブ・ザ・イアー」を受賞。様々なジャンルの音楽を独自のスタイルで表現するほか、平和活動やアレクサンダー・テクニークのワークショップなど多彩な活動を行う。現在、東京新聞・中日新聞コラム「紙つぶて」を連載中。