2015年ビジネス書大賞に輝いた『ゼロ・トゥ・ワン──君はゼロから何を生み出せるか』や、世界的ベストセラー作家、WIRED誌元編集長クリス・アンダーソン著『MAKERS──21世紀の産業革命が始まる』をはじめとする、数々の翻訳で知られる関美和さん。
実は翻訳をはじめたのは10年ほど前で、新卒では電通に入社。27歳でハーバードビジネススクールMBAを取得し、外資系投資銀行に勤務、その後は起業をするという多彩なキャリアの持ち主です。
そんな関さんが、翻訳家に転身されたのはなぜだったのでしょうか。また、それぞれのご経験は、どのようにリンクしてきたのでしょうか。これまでの軌跡を振り返っていただきながら、お話いただきました。
(取材・北原梨津子 撮影・中西彩子)
翻訳本は「世界に開かれた窓のような存在だった」
──幼い頃から、翻訳家を目指されていましたか
翻訳家になりたいと思っていたわけではなくて、本が好きで、特に翻訳本が好きでした。アガサ・クリスティーにエラリー・クイーン。それからオスカー・ワイルドは、特に読んでいましたね。
──なぜ、翻訳本が好きだったのですか
おそらくそれは、翻訳本の世界が好きだったからだと、いまになってみれば思います。翻訳本から垣間見える西洋の豊かな世界・異国の香りに、憧れていました。
外国の方とふれあう機会もない、福岡県のとても田舎の方で育った私にとって、翻訳本の世界だけが、唯一世界に開かれた窓のような存在だったのかもしれません。
──大学時代は、どのように過ごされましたか
本を読んだり、映画を観たりしていましたよ。
特に好きだったのは、村上春樹です。わたしが大学生だった1980年代って、ちょうど村上春樹がデビューした少しあとの時代で。『風の歌を聴け』『羊をめぐる冒険』この2冊はとても印象に残っています。なんとなく翻訳本っぽいんですよ、文章が。
たとえば「キュウリのようにクール(as cool as a cucumber)」とか、日本人の方は口にしない言い回しですよね。そういう独特な表現にあふれた世界に魅せられました。
──その体験が、いまのご自身の翻訳に影響していると思いますか
とても影響されていると思いますね。以前『スタンフォードの脳外科医が教わった人生の扉を開く最強のマジック』という本を訳したのですが、読んだ方から「春樹っぽい」と言われました。
すごく初歩的なところでいくと、一人称を「私」ではなく「僕」にすると春樹っぽくなるんです。翻訳本って古いものはほとんど「私」ですが、「僕」にすると現代っぽく、春樹っぽくなる。
──自分のことをどういう言葉で語る人か。そういう微妙な「らしさ」とかニュアンスを、正しくたっぷり伝えていくことって、とても難しそうです
そうですね。私が、翻訳の価値に気付いたのも、原著で読んだときに受ける感じや雰囲気といった、言語化が難しい要素を意識し始めてからでした。
“この感じ”を伝えたい 夜通し夢中になった2冊が転機に
──具体的にはどのようなタイミングで、「翻訳本が好き」から「翻訳本をご自身で執筆される」ように変わりましたか
アリソン・ピアソンの『I don’t know how she does it』とマイケル・ルイスの『Moneyball』の2冊がきっかけです。
この2冊は、たまたま同時期に原著をいただき、夜を徹して一気に読んでしまうほどに夢中になれたんです。特に『I don’t know how she does it』は自分の人生と重なりました。絶対にこれを翻訳したい、と真剣に思いました。ここまで真剣に何かをしたいという気持ちを持ったのははじめてだというくらい、情熱が湧き上がってきましたね。(結局この本は翻訳できなかったのですが…)
──それまでいた、金融業界でのお仕事の影響は…
いま振り返ると、あったのかもしれません。
若くして、大きな声では言えないほど、多額の報酬を得てしまって。一流にならなくても、これだけの報酬を得られるなら、このままでいいと満足してしまいかねなかった。
「このままだと、偽物であることがバレてしまう」──そんな危機感も影響していたのかもしれないですね。偽物ではなく、何かで本物になりたかった。
──逆に、これまでのハーバードや金融業界での経験がポジティブな意味で影響していると感じることはありますか
金融業界の経験がなくても、金融に関する本をうまく訳されている方もいらっしゃいますので、これまでの経験が生きているかは分からないです。
ただ、ハーバードのMBAの威力は明らかに感じます。履歴書にそれがあることで、仕事を得る入り口のところで、チャンスをいただけることが多いように思います。ただし、翻訳の世界は入り口を入ってからが長いので、その後はハーバードの学位は関係ないと思います。
他者の人生の追体験、人とのつながりが醍醐味
──翻訳の仕事の、どのようなところにやりがいを感じますか
私の人生は一つだけど、翻訳するたびに著者に憑依して、新しい人生を生きられることは楽しいですね。やりがいといって良いのか分かりませんが、いくつもの人生を味わえている感じがします。
それから、本を通じて、たくさんの人とつながることができるのもうれしいですね。私の文章を読んで、誰かが何かを、感じてくださるとイメージしながら、文章を書くのが楽しいです。
──これからも、ずっと翻訳をしたいですか
分からないですね、ごめんなさい。
駆け出しの頃は、いただける限りはすべて休みなくしてきました。自分で仕事を選んでいたら、仕事がこなくなりますので。ただ、いまは少し選ぶことができるので、もう少しペースを落とすことも考えているところではあります。
「たまたま得た運」だから、返す生き方をしたい
──翻訳以外にも、アジアの貧困地域の学生に教育の機会を提供する活動に携わるなど、社会貢献活動にも注力されているのは、なぜでしょうか
社会貢献、というのか分からないですが、わたしがこうして知的な経験をしてこられたのも、美味しいものを食べることができているのも、子どもたちが健康に育っているのも、偶然だからだと考えているから、だと思います。
私が頑張ったからとか、偉いからとかではなくて、たまたま運をもらっただけですので、その運は、たまたま運がない人たちに、返さなければという気持ちではいます。
──最後に、東大の学生の読者に向けてメッセージをお願いします
東大の学生さんは、東大に入ったということ自体、勉強ができるということだと思いますし、恵まれている方が多いのではないでしょうか。
恵まれている、というのは、単にお金持ちという意味ではありません。知的水準の高いご家族・ご友人の中で育って、おそらく経済的にも、裕福な家庭の方も多いはずです。また人生のどこかで、周囲の何かの社会資本に恵まれてきたのだと思います。
そういった方たちには、やはり、具体的に何かは分からないですが、それぞれの方に、果たすべき義務があると思います。おそらく卒業後、官僚になったり、いい会社に入ったりして、力を得る可能性が高いと思いますので、そういう方たちにこそ、想像もできないほどに弱い立場にある方のことも分かりながら生きてほしいなと思っています。
夢かなえた自分を想像し バケットリストの作成を
──私は、そういったShould(すべきこと)だけを意識して、苦しくなってしまったことがあります。できれば、自分のWant(したいこと)とつながる生き方ができたら、と思うのですが、自分のWantを知る上で有効な方法があれば、ぜひ教えてほしいです
死ぬまでにしてみたいことを書き出してみることをお勧めします。書き出したあとにリストを眺めてみると、自分がどんな人間か、おのずと分かるかもしれませんので。書き出すことはいいと思います。
このリストは、バケットリストと呼ばれるもので、その夢がかなったときの自分を、こまかくイメージすることが肝です。そのとき着ているもの、手にとっているもの、見えている景色が目に浮かぶくらいに想像できたら、その夢はかなう可能性が高いように思います。
やりたいことが分からなくて困っている方は、ぜひバケットリストをつくってみてください。私はいまも、つくっています。実現できたことはその上に線を引いて消します。その瞬間がたまらなく気持ちがいいですね。そしてまた、新しい挑戦を書き足します。一生のうちでいくつ線を引いて消せるか、楽しみです。