タウポの次に訪れたロトルアは温泉地帯である。街中に硫黄の匂いが漂って、まるで箱根のようである。この街では嬉しい再会が二つあった。一つは、この連載では第3回で一言触れたであろうか、ダニーデンという街で出会ったインド人との再会である。実は彼とは連絡を取り合った上で、この街で再会できることが事前にわかっていた。彼とはロトルアの街中をポケモンGOをしながら歩き回った。面白いことにポケモンの名前が英語と日本語では全く違う。だから、「〇〇ってポケモンを捕まえた」「そんなポケモンいなくね?」というように話がかみ合わない。しかし「ピカチュウはやっぱりピカチュウだよな」という一点においてのみは意見の一致を見た。
もう一つの再会は偶然であった。第5回で書いた、ネイピアで出会ったドイツ人の二人組、彼らとホステルで再会したのだ。ニュージーランドは広くはないとは言え、一度別れたバックパッカーにまた会えることはなかなかない。お互いがどのような旅をして来たか、僕らは夕食を共にしながらエピソードを披露しあった。短い再会ではあったが、僕らは次はドイツへ行く、日本へ行くと、互いの国での再会を願って別れた。
ロトルアを発った僕は、ついにオークランドへ帰ってきた。オークランド滞在の時間は1週間ほど用意した。ホストファミリーや語学学校の友達に別れの挨拶をするのが目的だ。語学学校で仲の良かった友達の多くが、僕がニュージーランドを北上している間に卒業してしまっていた。それでも残っていた友達と、僕の元ホストファミリーの家でフェアウェル・パーティーのようなものをやった。嬉しいことに、と言っていいのかわからないが、ルームメイトの中国人(説明していなかったが、語学学校に通っていた時に同じ家にステイしていたのだ)がとても寂しがってくれた。皆「すぐ会えるよ」といって慰めたが、バックパッカーとして2千キロ近くを旅した後だと、彼がどこへ行こうと本当に会いに行けそうな気がしたから不思議だ。
ホストファミリーと中国人の彼が見送る中、1月27日、僕はオークランド発羽田行きの便に乗り、ニュージーランドを離れた。
太平洋を越えながら僕はこの5カ月の滞在を反芻してみたが、不思議なことに、何かを成し遂げた感じはしなかった。もちろん英語力、対話力、行動力などはついただろう。それが将来何に、どこに生きるか、想像ができなかった。実は未だにわかってはいない。僕はそれでいいと思っている。ニュージーランドの旅で何を得たかは将来、いつか、わかることだと思う。「ああ、あの時の経験が生きたな」と思える日が来るのが楽しみでもある。
昨年帰国して、早いものでちょうど1年が過ぎた。この節目で、ニュージーランドでの経験を文章に起こす機会をいただけたのは幸運だった。文章にすることで、自分にとってフライプログラムが何であったか、振り返る良い機会を与えてもらえたと思っている。最後は、今日まで拙い記事を読んでいただいた皆さんに感謝しつつ、締めくくりたい。
(寄稿)=終わり
【世界というキャンパスで】額田裕己さん
この記事は、2018年2月13日号からの転載です。本紙では、他にもオリジナル記事を公開しています。
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