学術

2023年4月12日

【New Generation】瀬川泰知准教授(前編) 「ホウ素の陰イオン」を合成、研究の面白さを知る

 

 高校化学では、原子が電子を受け入れると負の電気を帯びた「陰イオン」になると習う。元素周期表の第2周期(図1)を見ると、最も陰イオンになりやすいのがフッ素(F)であり、左に進んで酸素(O)、窒素(N)、炭素(C)に関しては陰イオンが見つかっているが、ホウ素(B)の陰イオンは長い間見つかっていなかった。初めてホウ素の陰イオン(ボリルアニオン)を合成したのが、野崎京子研究室(東大大学院工学系研究科)に当時在籍していた修士学生の瀬川泰知准教授(分子科学研究所)。瀬川准教授はこの成果で2006年度の東大総長賞を受賞した 。前編ではボリルアニオン合成に至るまでの話を聞いてみよう。(取材・上田朔)

 

(図1)元素周期表第2周期の元素とその陰イオン。これらの陰イオンはLi(リチウム)の陽イオンと結合したリチウム塩として安定に存在できる

 

物理を志して東大に入ったけれど

 

━━化学との出会いは

 

 入学した時は東大で物理をやろうと思っていました。高校生の頃は物理が一番得意で、暗記せずに体系的に物事を理解できるところが好きだったからです。現在専門としている有機化学も得意ではありましたが、暗記が多く、高校の授業では原理がよく分からないなあと思っていました。ところが入学後は数学と物理の成績がボロボロで(笑)。自信を失っちゃって、1年生の終わりごろには進振り(当時、現・進学選択)を前に「自分はこれから何をして生きていくのだろう…」と思っていました。

 化学に進むきっかけになったのは2年生になってから受けた有機化学の授業です。1年生の物理の授業を受けたときはミクロな理論はミクロな世界で、マクロな理論はマクロな世界で閉じているような印象を受けていました。しかし有機化学の授業で原子・分子レベルのミクロな理論を使ってポリマーなどの手に触れて実感できる物性を理解できると分かり、感動しました。それで進振りでは工学部化学生命工学科に進学したというわけです。

 

━━大学院の所属研究室として野崎研を選んだのはどうしてですか

 

 野崎研は私が学部2年生の時にできた研究室です。当初は何をしている研究室なのか分かっていませんでした。卒業研究の配属先としては超分子ポリマー(小分子が水素結合などの弱い力で接着されてできる分子の集合体)を開発している相田卓三研究室を選びました。

 でも、やってみて初めて分かったのですが、超分子化学って何が起きているのか全然分からなかったんです(笑)。すごく平均化されたボヤっとしたデータしか見えなくて、そこからいろんな話を構築する相田先生はすごいんですけれども、自分はもっと何ができているのかカッチリ分かる研究をしたいと思いました。そんな時に、同じ階にある野崎研で研究している同期を見てみると、どんな構造の分子ができたのかをNMR(核磁気共鳴法)やX線結晶構造解析という方法で調べた上で「分子がこういう形・性質を持っているのでこんな反応をするはずだ」と議論をしていて、面白そうだと思いました。それで、修士課程から野崎研に移ったというわけです。

 そのころ野崎研に新しく加わった山下誠助教(当時、現・名古屋大学教授)が、うまく工夫すれば「ボリルアニオン」という不安定な化学種を作れるのではないか、というアイデアを持っていました。これは野崎研の本家本流の研究とは全然関係ないのですが、めちゃくちゃ面白そうだなと思って大学院生の間は山下先生のもとでこの研究に取り組みました。

 

大学院生の瀬川准教授(右)と野崎教授(左)(瀬川准教授提供)

 

「ボリルリチウムの結晶化」と8カ月間格闘

 

━━大学院生の頃はどのように一日を過ごしていましたか

 

 野崎研は朝9時半に集合でした。僕はよく遅刻するダメな学生だったんですけれども(笑)。終電がお茶の水駅で12時半だったので12時20分くらいまで実験するか、11時まで実験して1時間勉強して帰っていました。

 

 僕は修士から野崎研に入ったので、学部4年からいる同期に知識の面でキャッチアップするのが大変でした。ミーティングの時に他のメンバーの研究について「これどう思う?」って野崎先生に無茶ぶりされるので、修士1年の頃は「その反応はうまくいかないと思う」といったコメントをするために、根拠となる基礎知識を頑張って勉強しましたね。有機合成の体系的な知識は野崎研にいたからこそ身に付いたと思います。

 

━━ボリルアニオンの合成自体にはいつ頃成功したのでしょうか

 

 振り返ってみると修士1年の8月にはボリルリチウム(ボリルアニオンのリチウム塩、図2)由来のNMR信号は見えていました。しかし、その頃はまだこれがボリルリチウムだと人を説得できるだけの証拠はそろっていなかったので、ボリルリチウムの結晶を作ってX線結晶構造解析を行う必要がありました。

 

(図2)瀬川准教授らが合成したボリルリチウムの構造式。(BとLiが共有結合した状態とイオン結合した状態が共鳴している)

 

 X線結晶構造解析を行うためにボリルリチウムを結晶化するのは本当に大変でした。まず、ボリルリチウムが水に触れるとホウ素と水のプロトン(陽子)が結合してしまうので水がちょっとでも入ったらおしまいです。そもそもボリルリチウムが何に溶けるのかが分かっていなかったので、さまざまな溶媒を試しました。純度を上げるのも工夫が必要で、不安定な物質は一度作ってから純度を上げるのは難しいので最初から高純度で合成できる方法をたくさん検討しました。

 

 こうしてボリルリチウムが本当に合成できている証拠が得られたのが修士2年の4月のことです。目的とする分子構造が確認できた時の興奮は忘れられません。その後、触媒化学への応用を目指してホウ素を遷移金属の配位子とする研究へと発展させて、楽しい研究生活を送りました。(後編に続く)

 

瀬川泰知(せがわ・やすとも)准教授(分子科学研究所) 2009年東大大学院工学系研究科博士課程修了。博士(工学)。名古屋大学物質科学国際研究センター助教、JST-ERATO伊丹分子ナノカーボンプロジェクト化学合成グループリーダーなどを経て現職

 

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