学術

2022年6月3日

4人の教員に聞くサイエンスコミュニケーションの実態・課題・未来【後編】

 

 桝太一アナウンサーが日本テレビを退職してから取り組む活動として「サイエンスコミュニケーション」という言葉を耳にする機会が増えた。一方で、「科学と社会をつなぐ」といわれるその活動の内実や目的、課題には曖昧な点も多い。そこで、サイエンスコミュニケーション活動を積極的に行う石浦章一名誉教授への取材と、サイエンスコミュニケーター育成講座である大学院副専攻「科学技術インタープリター養成プログラム」で教壇に立つ松田恭幸教授(東大大学院総合文化研究科)、内田麻理香特任准教授(東大教養学部附属教養教育高度化機構)、定松淳特任准教授(同機構)による座談会を行った。

 

 後編ではこれら二つの取材で分かったサイエンスコミュニケーションの課題と未来をお伝えする。

(取材・清水琉生)

 

【前編はこちら】

4人の教員に聞くサイエンスコミュニケーションの実態・課題・未来【前編】

 

東大がサイエンスコミュニケーションの旗を振れ

 

 サイエンスコミュニケーターに求められる力は片手間で身に付くものではない。東大は2005年から大学院の副専攻として「科学技術インタープリター養成プログラム」を開講している。ここでは座学の他に、文理を問わず多様な分野の学生や教員、社会でのサイエンスコミュニケーション実践者との交流の機会がある。このプログラムの意義はサイエンスコミュニケーションの実践と教育の「場」となっている点だ。

 

 松田教授は「自分も同じ経験をしましたが、自分の当たり前の感覚が通じず、相手が面白さに感動するはずと思って伝える内容でもうまくいかず挫折を味わう学生が多い」と語る。定松特任准教授は「東大には他にもサイエンスコミュニケーションを実践する団体はありますが、このプログラムを受講する学生の専門分野はとりわけ幅広い」として学ぶにはうってつけの環境だと話す。

 

 一方課題も多い。「専攻になっていない点が不十分です。資金も回ってこないために、担当の教員が、時間的にも能力的にも余裕がある人に限られてしまう現状があります。また日本にはプログラムを修了した人が活躍できる場の整備ができていません。企業タイアップなどをして広げていかないと、学生の参加率も含め限界があります」と石浦名誉教授。松田教授は、サイエンスコミュニケーション教育はこのプログラムだけでなく大学全体に必要な取り組みだとし「本来、大学自体が知の価値を示す場としての機能を見せるべきです。大学が研究や教育について社会と対話する機会自体が少ない」と指摘する。

 

本年度開講の「科学技術インタープリター養成プログラム」のポスター

 

 サイエンスコミュニケーション教育のプログラムについて、イギリスではファラデーの時代から続くクリスマス・レクチャーのように長い伝統があるが、日本では桝アナウンサーが助教に就任した同志社大学をはじめとした一部の大学で実践されているのみである。依然として日本では恵まれた環境でプログラムを継続することは難しい。そこでまずは東大がこのプログラムを継続し、サイエンスコミュニケーションの教育だけでなく、その実践機関としての側面を発揮する意義があると松田教授らは口をそろえて主張する。「特に東大には入学式がニュースで報じられるほどの高い注目度があります。その立場を生かすべきです」

 

英物理学者ファラデーによる青少年向け科学講座「クリスマス・レクチャー」。1825 年に始まり、イギリスの王立研究所が開催している

 

 一方活動を否定的に捉える人もいるという。「研究には競争という側面があるためサイエンスコミュニケーションに十分に資源が割けない」という理由からだ。否定的見解の内実をくみ取って、東大の環境だからこそ実現できるサイエンスコミュニケーション実践の「場」を広げていくことも必要となる。そこで、効果がすぐに出ないとしても「科学技術インタープリター養成プログラム」のような試みを継続する重要性を定松特任准教授は指摘する。「東大が続けていくことで、時間が経ってその価値が社会全体に認識してもらえるかもしれません」

 

 

「まだまだ」な今から「あちこち」の未来へ

 

 サイエンスコミュニケーションの障壁はまだまだ多い。内閣府が 2017 年に実施した「科学技術と社会に関する世論調査」(有効回答数 1765 人)によると、科学に「関心がある」としたのは全体の 60.7%だった。科学に関心のない相手にも伝わる内容を考えるとき、かみ砕いた説明をしたい一方で科学者としてのさがで、定義の厳密性にとらわれてしまうジレンマに陥ることを松田教授は嘆く。石浦名誉教授は、文系と理系を分けることによる関心の偏りの影響もサイエンスコミュニケーションへの障壁だと話す。

 

 こうした要因が相まって、科学そのものの価値が見落とされる。受け手から「白黒はっきりした情報」が求められる傾向にあることを内田特任准教授は危惧し「分からないことを分からないといってもよい言論空間ができることが必要です」と述べる。

 

 松田教授は、専門的なさまざまな科学の情報が与えられた上で、それをどう役に立てるか判断をするのはあくまで自分自身であることを前提とできる社会の実現の必要性にも言及した。一方、定松特任准教授は「何かを深く知ること自体に価値があるという認識が普及しないのは、大学が教育の中でも社会に対してもまだ発信し切れていない面があるということ」だとし、大学などの教育機関が担い手として、サイエンスコミュニケーション普及に果たすべき役割があることを強調した。

 

 サイエンスコミュニケーションがうまくいかない要因について、相手の科学知識不足に責任を負わせる「欠如モデル」という考え方もある。内田特任准教授は、正しい知識の伝達の意義そのものは否定されないが、知識だけではなく相手の文脈などを重視したコミュニケーションをすることも重要だと言う。「科学的知識の扱いについての見通しをよくしたい」と今後の課題を話す。

 

 また、サイエンスコミュニケーションは必ずしも科学がどう社会の役に立つかを語るものではない。例えば役に立たない科学だと評価されてしまうことの多い基礎研究に関するサイエンスコミュニケーションについて、松田教授は「まず、できるはずだと思うことが大切」だとする。基礎研究に関する情報伝達は一見難しそうに思えるが「これまで真剣にやり方を考えてこなかっただけ」だという。「アートでも同じです。クラシック音楽を聴くときに楽典の知識が無くても、絵画を見るときに技法の知識が無くても楽しめるわけです。知識があることでより深く楽しむことはできますが、根本的なものは科学も同じで、知識がなくても誰でも楽しめる可能性があるはずです」。内田特任准教授も、科学そのものが文化的価値を内在しているはずだと主張する。科学そのものに注目することでサイエンスコミュニケーションを考え直すことができるのだ。

 

 サイエンスコミュニケーションの普及に関して「サイエンスコミュニケーターにしかない能力が定められないことで、国家資格として確立するまでに向かないこと、素養を得た人が活躍できるキャリアパスがないことも問題」と石浦名誉教授は強調する。一方で、内田特任准教授は「職能を養った人にいろいろなところで活躍してもらうのが良い。まず東大が担う意味はそこにもあると思います」と述べる。

 

 普及に当たっては、東大がサイエンスコミュニケーションの実践と教育のロールモデルとなり、科学そのものの価値理解を広げる活動を行うことで、あちこちでサイエンスコミュニケーションが実践される社会につながる可能性がある。「サイエンスコミュニケーション」という言葉がようやく浸透してきた今。これからは、誰もが当事者として知の価値そのものに向き合える場の創出に寄与していかなくてはならないだろう。

 

他3人の教員とは座談会形式で取材を行った。左上から反時計回りに松田教授、内田特任准教授、定松特任准教授、清水

 

石浦章一(いしうら・しょういち)名誉教授

79年東大大学院理学系研究科博士課程修了。理学博士。国立精神・神経センター(当時)、東大大学院総合文化研究科教授などを経て、現在、新潟医療福祉大学特任教授、京都先端科学大学客員教授、同志社大学客員教授。

 

内田麻理香(うちだ・まりか)特任准教授(東京大学教養学部附属教養教育高度化機構)

東大工学部卒、同大学院工学系研究科修士課程修了。博士(学際情報学)。科学技術振興機構科学コミュニケーションセンターアソシエイトフェロー、18年東大教養学部特任講師などを経て、21年5月より現職。家庭に潜む科学への興味をきっかけに、科学ライターとしての経歴を持つ。

 

 

定松淳(さだまつ・あつし)特任准教授(東京大学大学院総合文化研究科・教養学部)

05年東大大学院人文科学系研究科博士課程単位取得退学。博士(社会学)。東大大学院総合文化研究科特任講師、京都光華女子大学短期大学部特別契約講師などを経て、19年より現職。原発事故の際に立場の違いによる分断を痛感するなど、サイエンスコミュニケーション実践の経験も豊富。

 

 

松田恭幸(まつだ・やすゆき)教授(東京大学総合文化研究科)

98年京都大学大学院博士課程修了。博士(理学)。理化学研究所先任研究員、東大大学院総合文化研究科准教授などを経て、19年より現職。

 

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【記事追記】2022年6月3日午後1時3分 経歴を追記しました。

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