東大工学部出身の沢登哲也さんは2014年にコネクテッドロボティクス株式会社を創業。「食産業をロボットで革新する」というミッションの下、さまざまなロボットの開発に取り組んでいる。しかし現在の活躍とは裏腹に、快活な口ぶりから語られたのは「一本道」とはいえない今までの道のり。学生時代の思い出やキャリアについて話を聞くとともに、新たな門出を迎える新入生に向けてエールを送ってもらった。(取材・安部道裕)
物理も哲学も音楽も美術も
──受験生時代、東大を志望した理由は何ですか
自分から積極的に志望したわけではなく、高校の先生に薦められて受けました(笑)。高校時代から数学や物理、コンピューターに興味があったので、理学や工学系に進もうとは思っていたのですが、専門的なレベルになるとどの学部・学科が合っているのかは分かっていなかったので、入学してからどういう学問分野に進むか決めました。猶予が与えられてじっくりと学科を選べるという意味では、東大に入っておいて良かったですね。
──受験生時代にイメージしていた「東大」と実際に入学した後に感じた「東大」に違いはありましたか
入学前は勉強ばかりして堅そうな人が多いと思っていました。しかし入ってみると気さくで話しやすい人ばかりでしたね。みんな優秀であることは間違いないのですが、一癖あって面白い人が多かったです。あとは、これは理系だからかもしれないですが、各分野に良意味でオタクな人が多いので、ディープな世界を垣間見ることができたのは貴重な経験でしたね(笑)。
──前期教養課程で印象に残っている授業はありますか
一番印象に残っているのは電磁気学の授業です。電磁気学は高校生の時にも好きだったのですが、大学で学ぶと非常に論理が明快になりました。理論的な側面が強い数学より、技術に直接的に結び付く傾向の強い物理に引かれていきました。産業を意識するきっかけだったかなとも思いますね。
他にも前期教養課程では哲学や音楽、美術の授業など、幅広くいろいろな授業を受けたのが思い出深いです。全部試験を受けたというわけではないですが、今の仕事の会議の中でも哲学の話を引用することがあるので影響は大きく受けていますね。まさにリベラルアーツという感じで、後期課程より前期教養課程の方が授業は楽しかったです。
──前期教養課程で特にするべきことは何ですか
やはり視野を広げておくことだと思います。東大に入ると進学選択のことを考えて、良い成績を取ることに目を向けがちではあると思いますが、少し余裕を持っていろいろなことに目を向けてみることが大切だと思います。
──サークル活動は何をしていましたか
ロボットが好きだったのでロボット系のサークルに行ったり、他にもピアノやジャズなど音楽系のサークルにも顔を出したりしていました。大学ではそういったさまざまなサークル活動も含めて視野が広がったと思いますね。
──進学振分け(当時)で工学部計数工学科に進学します
先の話にもあったように、前期教養課程の授業を受けて、産業や発明に面白さを感じるようになりました。なおかつ、好きだった数学の理論的な部分には付いていけないなと感じたので、応用数学の方を学びたいと思いました。特にソフトウエアの分野がこれからさらに面白くなるだろうと考えていたので「ソフトウエアで食っていこう」と計数工学科の数理情報工学コースに進学しました。後期課程では毎日のように実習で遅くまで大学に残っていたのを覚えています。
インターンをきっかけに「世の中で本当に価値あるもの」を考える
──その後京都大学の大学院に進学します
学風として東大の研究室や研究はガチガチで。良く言えばしっかりと指導してもらえる、悪く言えばレールに乗せられるみたいな。そういうやり方にあまりなじめなくて。そんな中、ある先生から京都大学の方が自由に研究できて向いているのではないかと話を聞いて、京都大学の大学院に進学しました。大学院でもソフトウエア系の研究をしていて、今でいうニューラルネットワークを含むテーマで研究をしていました。
──大学院時代について教えてください
初めは研究者になりたいと思っていました。しかし大学院に進学していろんな研究者と話をして自分でも研究を進めていくにつれて、研究者は向いてないなと分かってしまったんです。コツコツと論文読んで、自分も論文を書くみたいなところにあまりエキサイトしなかったんです。昔からプラモデルを作ったり、ゲームをしたりするのは好きだったのですが、そういう「楽しさ」が自分の中では重要な価値観で。論文を書くというのは将来的に世の中のためにはなるので重要な仕事である反面、その「楽しさ」までの距離は自分にとっては遠いなと感じたんですよね。発見に対して純粋に喜べる心を持っていないと無理だなと思いました。また、飲食業を営んでいる祖父母がいたので、お客さんが来て喜んでくれる風景を見慣れていたし、そうした仕事に憧れの気持ちがあることに気付いたんです。自分は周りの人にすぐに喜んでもらえるような仕事が向いているなと思いました。
研究者に向いていないのではないかという悩みもあって大学院を1年休学し、ロンドンのスタートアップ企業にインターンに行きました。インターン先では、毎週新しいビジネスを考えて提案するという課題がありました。日本人の私がありがちなサービスばかりを提案していたのに対して、他の世界各国から来ているインターン生は「みんなを家に集めてパーティーをしよう」というようなすごくユニークで突飛なアイデアを出していました。そこで自分の発想は凝り固まっていると感じましたね。
他にも、インターン先では「お前はこの後日本に帰って何をするのか」とよく聞かれました。インターンに参加するまでは自分のキャリアプランとしてなんとなく、いずれ大企業に勤めるだろうとイメージしていました。しかし周りの人はみんな「こんなことをやったら多くの人の役に立つんじゃないか」「社会のためになる会社をつくりたい」などと答えていて。キャリアの中にしっかりと自分の価値観を持っているのが印象的でした。そこから「自分が世の中に貢献できるとしたら何だろう」「世の中で本当に価値があるものは何だろう」というような外側への視点を持てるようになりましたね。
走り出した「食」×「ロボット」の道
──大学院を修了した後は
飲食店で働いていました。自分で飲食店を作りたいと思ったのですがお金がなくて(笑)。働きながらどういう飲食店を始めるか計画を立てていました。いろいろな飲食店の経営者に話を聞きにいったりしていました。その流れで、飲食チェーン企業の新規事業の企画部門で働くことになり、事業の立ち上げから実際の経営まで携わることになりました。実際働いてみると土日も休みなく、かなり大変でしたね。週100時間働くことも経験しました。
──コネクテッドロボティクス創業の経緯は
飲食店で1年働いたのですが、そこで飲食店の限界を感じました。労働集約型でとても大変な仕事だったので「このままでは飲食業はやってられないな」と思いました。その大変さを何とかするのは新しい業態の店舗を作ることではなくテクノロジーによる革新だなと。そこからソフトウエア分野に行こうと考え、ロボットを制御するソフトウエアを開発している会社に入りました。そこで約2年半働いて2011年に独立し、14年に今のコネクテッドロボティクスの前身となる会社を創業しました。当時はAIで携帯の通知をカスタマイズできるというアプリを作っていました。でもなかなかお金にならなくて(笑)。ロボットのコントローラーを作りながら、17年に飲食とロボットを組み合わせた事業を始めました。ここまで来るのに約10年、長い時間がかかりましたね。
──飲食の道に戻ってきたのはなぜですか
いろいろやって自分の核となるものを見つけられたからですね。私はロボットそのものを作るというより、ソフトウエアを駆使してロボットを賢くコントロールする技術を学びました。これが一つの核です。飲食店には先ほども言ったように生まれたころから慣れ親しんでいて、自分の仕事にしようと思っていました。これがもう一つの核です。この二つの核を再認識して組み合わせた結果、食産業をロボティクスで革新する会社を起業するという形になったわけです。
また時代的な背景も大きかったです。世の中の流れとして、労働力不足が深刻になっていて、なおかつAIの技術がかなり進歩していました。さらに多くの特許が満了を迎え、たくさんの企業が同じようなロボットを作れるようになっていました。そういう中でロボットをうまく動かせるソフトウエアを開発すれば、飲食店にも使えるだろうということが経済的にも技術的にも分かってきて、ロボティクスを食産業に取り入れようと思い至ったのです。
──どのようなロボットを開発していますか
「食産業をロボティクスで革新する」というミッションでさまざまなロボットを開発しています。飲食店向けのロボットは、たこ焼きロボットやソフトクリームを作るロボット、そばをゆでるロボット、揚げ物全般を扱えるロボット、あとは食器を洗うロボットなどです。ハンバーガーを作るロボットもこれから作ろうと思っています。それから食品工場向けに、総菜などの食品の盛り付け、食品の検品をするロボットも作っています。さらに将来的には、農業や水産業、畜産業といった一次産業向けの製品も開発して、産業全体を一気通貫でロボットを使って効率化し、つらい仕事をなくそうと取り組んでいます。
──難しい点はどんなところですか
子どもに受けたというのもあって最初はたこ焼きロボットを作ったのですが、一筋縄ではいきませんでした。というのも、調理というのは人間の職人的な技の集合体なんですよね。工業品だと、例えば車は同じモデルであればすべて同じ形ですが、食品は個体差が大きく不定形です。車を加工するのにロボットがよく使われますが、それを同じ感覚で調理に適用した場合、たこ焼き一つ一つの大きさが違うのでうまくひっくり返せないということがよくあります。また鉄板の温度も実はムラがあるので、場所によって扱いがかなり変わってきます。調理にはそういう不確定要素や不定形さがたくさんあるので、ロボットで画一的にやろうとしてもなかなかうまくいきませんでした。
そこでAIやディープラーニングなどの技術を適用しつつ開発を進めましたが、これは技術の結晶であるどころか、アーティスティックな部分まであるぞと思いました。調理機器にもこだわり、調理機器メーカーさんと一緒になって開発する必要がありましたし、たこ焼き職人さんからうまく焼く方法を教わったりもしましたね。他にも、私たちは調理しながら実験をするので、出来上がった食品がかなりあって。それを食べなきゃいけないという苦労もありました。周りの会社に配ったりして(笑)。食品ロスを出さないようにするのは大変でした。
──東大での学びが今の仕事に生きている場面はありますか
東大では視野の広さと深さ両方が必要だということを学べたと思います。特に前期教養課程では視野を広げることができましたし、後期課程では専門性を高めることができました。それぞれの視点で学びが経験できた点は自分のキャリアや人生に対してプラスだったなと思っています。
──今後のビジョンについて教えてください
食産業とロボティクスを含めたテクノロジーは、相乗効果で人類を進歩させているものです。歴史的に考えると分かりますが、安定的に健康な食事を取れるようになってから人類の技術や文化は進歩しました。そしてその技術がより食生活を安定させる、ひいては生活全般を安定させて人類はさらに進歩できました。遠い昔、火によって調理法が変わったように、今はロボットやAIといった新しいテクノロジーで私たちの食・食産業が変わろうとしています。「食産業をロボティクスで革新する」という壮大なテーマを掲げていますが、私たちはこれをやり遂げることで人類全員の生活をより豊かにすることに貢献したいと考えています。数年後には世界進出して、私たちの持っている技術を日本の食文化と共に世界に広め、世界の食を豊かにしたいです。まずは食産業というなくてはならない産業の中で、つらい仕事に大変な思いをしている人を助けたいですね。
──最後に新入生へメッセージをお願いします
東大に入学して、これからいろいろな刺激があると思います。特に私から言いたいのは「人生は一本道ではない」ということです。私も、最初は研究者になりたいとか、大企業で働きたいとか思っていたのですが、いろいろ経験するうちに、自分の持つバックグラウンドや原体験の中から世の中のニーズと合っているものを見出して今の仕事につなげることができました。ぜひさまざまなことを経験して、自分自身の内面と世の中のニーズとの接点を見つけて、そこで輝いてほしいなと思います。
05年東大工学部卒。08年京都大学大学院修士課程修了。14年コネクテッドロボティクス創業。
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