サンリオピューロランドを運営するサンリオエンターテイメントの代表取締役社長である小巻亜矢さんは、51歳の時に東大大学院教育学研究科に入学した。大学院修了後サンリオピューロランドの館長に就任し経営の回復を成功させた他、子宮頸(けい)がん予防啓発活動などの女性支援にも力を入れている。これまでのキャリアや今後の展望について話を聞くとともに、東大生の就活についてメッセージをもらった。(取材・鈴木茉衣)
「最高の笑顔で売り場に立つ」よう言われました
──1982年にサンリオに入社されました。就活や入社直後の思い出はありますか
サンリオに入りたい気持ちは昔からずっとあったので会社説明会に行ったところ、会場からはみ出すくらいたくさんの学生が参加していたんです。人気を目の当たりにして、思わず「無理だな」と一旦サンリオを諦めてしまいました。女性が活躍できそうという視点から選んだとあるアパレル会社を受け、最終面接まで行きましたが、今度はそこで「お嫁さんになった方が幸せになりそうなタイプだね」なんて言われて……。とっても有名な会社なのにそういうことを言ってきたんですよ。すごくがっかりしました。
諦めずにサンリオの二次募集に応募し、社長面接まで行きました。サンリオ創業者で今は会長になっている辻信太郎が、当時は社長だったんです。とても気さくな人で、ニコニコして資料を見ながら、まるで占い師かのように「あなたはね、成績はすごく優秀だけど性格が真面目すぎるね、もうちょっと柔軟に物事を考えないと苦しいよね」と。落とされるのかと思ったら、そうではありませんでした(笑)。
入社後に当時の辻社長とした話はどれも印象に残っています。例えば、サンリオという社名の由来について、サンはサンフランシスコのサンと同じ「聖なる」という意味で、リオはリオデジャネイロのリオと同じ「河」、合わせて「聖なる河」という意味だと。一つの製品ができるまでには企画する人、デザインする人、作る人、そしてその人たちの家族など多くの人々がいて、みんなの思いを乗せて聖なる河を流れるように運ばれてくる商品だから、売り場に立つあなたたちは最高の笑顔でお客様に渡してくださいって言われたんです。40年経った今でも私の中に、大切にすることとして刻まれています。
──結婚退職後、次男の死、そして離婚を経験されました。当時のキャリアについて聞かせてください
自分の子どもを亡くしたのは本当に想定外の出来事でものすごいショックで……。人生を、結婚して子どもを育てることの延長線上でしか描いていなかったので、子どもを亡くしたことで突き付けられたものがあったというか。とにかく逃げたい、何かを変えたいという心情です。それで、本当にいろいろなことがあって離婚という選択をし、仕事を探し始めました。社会人としてチャレンジをすることによって、自分の存在意義のようなものを作ろうとする心の動きがあったんだと思います。
でも仕事探しはとても大変でした。子どもが2人いる状態で運転免許くらいしか資格を持っていない自分が働くとなると、本当にできることがなくて……。もうちょっと自分はいろいろなことができる人間だと思っていたけど、本当は何の役にも立たない存在なんだと思い知らされましたね。テレビのニュースを見ると、自分はこの社会が回るのに全く絡んでいないんだ、という疎外感と無力感があってつらかったです。
結局、知り合いから向いているんじゃないかと誘われた化粧品の訪問販売を始めました。仕事ではいろいろな経済状況や家族形態の女性たちと会いました。それはすごく勉強になったし、離婚して働いていなかったら絶対にしないような経験だったと思います。
──いろいろな状況に置かれた女性たちと向き合って、当時どのようなことを感じていたのでしょうか
なんだかんだ私は私立の中高に行って入りたい大学に行ったのに、特別自分が恵まれている、幸せだとかみしめたことはあまりなかったんです。でも、いろいろな女性の話を聞いていたら親の借金を返しているとか夫の暴力がひどいといったような悩みがたくさん出てきて、そこで初めて、自分のそれまでの人生がどれだけ恵まれていたか気付かされました。
恵まれた環境で育ってきて、というのは、もちろん全員ではないですが東大生にも言えますよね。ある程度以上の経済水準にないと受験などを突破できないような社会であることは、否めないです。本当にびっくりするような苦労している女性が日本にもいっぱいいますよ。
企業としてこれからも社会課題に寄り添っていきます
──その後、サンリオの関連会社で化粧品事業に携わったとのことですが、当時の仕事への向き合い方についてはどのように振り返りますか
訪問販売の仕事の大変さに加えて、上の子が小学校高学年、下の子が幼稚園生で、お弁当を届けたり塾の送り迎えをしたりと子育ての一番大変な時期と重なってしまい、忙し過ぎて過労死寸前というところまで来てしまったんです。ちょうどサンリオグループから、化粧品事業をやってみるから来ないかと救いの手が差し伸べられ、化粧品の訪問販売をやめることにしました。
化粧品の仕事をしていた当時いろいろと勉強したので皮膚理論や化粧品について知識はあって、それを生かしたら良い商品はできましたが、事業として利益率やプロモーションも含めたビジネスの全体像をデザインすることや業界を知ることが欠けていたんですよね。とにかく良いものを作ることを頑張ったら、原価率の非常に高いものが出来上がって、売れば売るほど大変な状況にしてしまったんです。マーケティングもプロモーションも店舗デザインもパッケージデザインも学べましたが、事業としては大失敗して、単に私が膨大な時間とお金を使わせてもらって勉強したような結果に終わったのが本当に申し訳なかったです。だからこそ、何か恩返しをしなきゃ、という思いが芽生えて。もともと女性支援を担う組織がサンリオにあったらいいのではないか、という思いがあったので、ほそぼそとでありながらそれを形にするきっかけになりました。
──現在まで子宮頸がんの予防啓発活動など、さまざまな形で女性の支援に取り組んでいます。具体的にどのような経験や問題意識などに基づいたものなのでしょうか
化粧品の訪問販売の仕事での出会いで、経済的に大変な女性の中にはその環境から逃げられずに依存せざるを得ない人が多いんだということを知りました。自分がうわべだけの相談に乗っても何の解決にもならないから、他に何か方法はないだろうか、女性が精神的にも経済的にも自立して生きるとはどういうことなんだろうか、とすごく悩んで。化粧品事業に区切りをつけてカウンセリングやコーチングを学びました。これからは女性支援にスイッチしようと思い、サンリオ内で女性支援を担う「Nal」という会社と、教育現場や家庭での子どもとの向き合い方に関することなど、母親への支援を行う「ハロードリーム実行委員会」というNPO法人を作りました。ですがその直前に乳がんを患いまして……。結果的に今は元気なのですが、もっと早いうちに自分の体を大切にしておけば、と思って「Hellosmile」という子宮頸がん予防啓発プロジェクトを設立しました。若いうちは仕事が忙しいし、女性は子どもが生まれれば自分が後回しになりがちですが、きちんと自分の体を大切にしてほしいです。女性の精神的、経済的自立と健康の両方の大切さを伝えることが活動のベースですね。
──女性支援に関する今後の展望を教えてください
最近はジェンダーギャップについていろいろなことが言われて、例えば生理の貧困についてもメディアで取り上げられるようになっていますよね。これからのテーマパークのミッションとして、楽しんでいただくことはもちろん、もっと深いところで社会課題に寄り添う必要があると思っています。サンリオは主に女性によって支えられてきた企業なので、子宮頸がんの予防啓発活動や生理のこと、女性の働きやすさなど、殊に女性の課題に関することをやっていくべきだという思いがありますね。
性別に関係なく病気にはなるし介護もあるし、これからは育休もどんどん取得するようになりますから、人生100年時代の働きやすい思いやりのある社会を作るための入り口として、女性が生きやすい社会にしていくことにはずっと取り組みたいです。自分や人とどう向き合うかが大切なのは女性だけではないですが、環境や人生のステージは女性の方が変わりやすいので、キャリアカウンセリングやコーチングの資格を生かして、女性がどうやって自分の気持ちや人間関係をやりくりするのかについてサポートしています。
東大での学びがピューロランドの立て直しに役立ちました
──51歳の時に東大の教育学研究科に進学して心理について学ばれました
教育学研究科の教職開発コースですね。哲学や言語学、アートなど、単位にならない授業まで自分の興味の赴くままにいろいろやりました。最終的には、どうやって自分と向き合うかの研究に興味があったので、対話的自己論というものをテーマに修士論文を書きました。
──大学に再入学する、東大以外の大学院で学ぶなどの選択肢もある中で東大の大学院を選んだのはなぜですか
当時教育学研究科の所属だった佐藤学先生が提唱した「学びの共同体」という概念に衝撃を受けたんです。例えば学校なら生徒だけが先生から学ぶのではなく先生も生徒から学んだり、保護者も先生から学んだり、先生も保護者から学んだり、地域の人から学んだり、地域の人も子どもたちから学んだりするコミュニティーが、学びの共同体という概念です。
大人になると学び合うという感覚は薄れますが、学ぶことの意味ってお互いに成長することだと思うんですよ。化粧品の訪問販売の仕事で女性たちのカウンセリングをした時も、こちらが学んだことがたくさんありましたし、子育てで子どもたちから学んだこともすごく大きいなと実感していたんですね。だから佐藤先生の考え方に雷を打たれたような気持ちになりました。当時、佐藤先生があと数年で退職されるというタイミングだったので、これは急がなきゃと思って何かに取りつかれたかのように勉強して……。合格発表で番号があった時には嬉しくて泣きました。
──サンリオピューロランドの館長に就任し、当時経営が苦しかったピューロランドの「奇跡のV字回復」などとも呼ばれる経営の立て直しに成功しましたが、東大での学びや経験はどのように生きましたか
大学院を修了していよいよ教育現場で仕事しようと思っていた矢先に、ピューロランドの仕事をすることになり、当初は無我夢中で勉強したあの2年間はなんだったのかなとも思いました。でも経営が厳しかったピューロランドに行ったら、問題はコミュニケーション不足だなというのがよく分かったんです。社員同士はもちろん、一人一人が自分のモチベーションや可能性に気付いてない状況だったから、まさに対話的自己論が役立ちました。自分の中の心の声を聞こう、という働き掛けを繰り返すことで、一人一人が持っていたものが活躍し始めて、それが成功体験になって、更なる挑戦が生まれました。組織って人なんだな、と思いましたね。
不登校とかいじめの多かった小学校で、あることを取り入れたらそれらを克服し、一気に学力も上がったという研究結果があったんです。それは「優しい話し方、あたたかな聞き方」というのを標語にして、それはどういう話し方、聞き方だろうということを児童が自分たちで考え1年間実践する、というだけのこと。でもそれによって、クラスが安心安全な場になり、目に見える成果が出たんですね。これは企業の社員同士の対話でも大切なことだと思い、ピューロランドでも実践したんです。学校と組織は似ているので、そういうことが今生きています。
謙虚さと自信の両方が大切だと思います
──東大生に対して働く上で大切にしてほしいことや期待することは
東大生って、実際それだけ勉強を頑張ったから東大にいるんだろうし、頭の回転が速くてすごいなあと思いますし、そこには自信を持っていいと思うんです。一方で、やっぱり中にはそのプライドが邪魔をする人もいて、企業からするとそれは本当にもったいないなとも思います。だから、自分たちはまだなんぼのものでもないという謙虚さと、頭の良さへの自信の両方を持ってほしいです。あとは、東大には面白い人がたくさんいますから、そういった友人たちのネットワークも大事にして、画一的な優秀さだけでなく面白いことへのチャレンジもしてみてください。
──最後に、就活に向けて東大生へのメッセージをお願いします
働く上で自分のアンテナに何が触れるのかということはずっと付いて回るので、自分がどう考えるかについて自己と対話する、ということは忘れないでほしいです。先が見えないような時代ですが、自分の価値観を大切にしながらハンドルを切っていってください。価値観に合うことだけやるのではなく、合わないからあえて挑戦するというのもいいと思います。やりたいことを比較的やりやすい環境だと思うので、周囲に流されるより自分の気持ちを大切にしてくださいね。
【記事修正】2021年8月23日午前0時7分 記事タイトルを「東大大学院教育学系研究科からピューロランドへ 小巻亜矢さんに聞く就活の極意」から「東大大学院教育学系研究科からピューロランド館長へ 小巻亜矢さんに聞く就活の極意」に修正しました。