災害が発生したときに必要となる避難と避難生活。今年で関東大震災から100年が経つが、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震など、度重なる地震災害を受けて、避難の実態は向上しているのだろうか。特に、高齢者や障害者、乳幼児、妊産婦、外国人など、避難の際に困難を強いられる人々が適切に災害から身を守る環境は整っているのだろうか。将来高い確率で起こると言われる首都直下地震を見据え、彼らを取り残さない避難と避難生活に迫る。(取材・石川結衣)
配慮が必要な人々の避難の課題
地震が発生した際、避難や避難生活において困難を強いられる人を要配慮者と言う。高齢者や障害者、乳幼児、妊産婦、外国人など、特別な支援を要する人々が当てはまる。高齢者の場合、寝たきりの人など身体的不自由がある人や、認知機能に障害を抱える人々は、避難において特別な配慮や支援を必要とする。また、障害者の場合は視覚障害、聴覚障害、肢体不自由、知的障害、発達障害などその障害に合わせた適切な対応が必要となる。情報収集ができず災害発生の知覚が遅れたり、避難に時間がかかったりすることで、大きな被害を被る可能性が高くなるほか、避難先での環境の変化に対応できず大きなストレスがかかってしまうことがある。外国人の場合、言語、食習慣、宗教の違いから、さまざまな困難が想定される。
このような要配慮者を取り残さない避難を実現するためにはどうすれば良いのか。「東日本大震災の教訓を受けて、多くの自治体で改善の傾向が見られます」と話すのは、小田隆史准教授(東大大学院総合文化研究科)。包括的な避難の実現のために必要なことを聞いた。
震災から学ぶ、要配慮者の避難のために
東日本大震災の際、身体的不自由や認知機能に障害を抱える高齢者が死亡者の過半数を占め、障害者の死亡者の割合も高かったことを受け、2013年に災害対策基本法が改正され、避難行動要支援者名簿の作成義務などが規定された。高齢者や障害者など、避難の際に特別な支援を必要とする人々の名簿を作成(図1)、自治体や自主防災組織の人々の間で共有することで、避難のための情報伝達やその支援、安否確認を迅速に行うことが期待される。「名簿を作成することで、その人たちへの特別な配慮やケア、個別の避難計画が考えられるようになってきています」
ほとんどの自治体で作成されるようになった避難行動要支援者名簿だが、一方で防災、福祉、保健、医療等の関係者間での情報共有がなされていない、平常時から避難支援等の関係者に情報が提供されていないなどの問題もあるという。「マイナンバーに紐づく情報を活用するなど、デジタル化で情報を上手に活用する必要があります」
外国人の避難に関しては、東北地方では海外出身の技能実習生の占める割合が高く、実際に「避難」「緊急」「勧告」など報道で使用される災害時特有の日本語を理解できず避難が遅れたり、避難所で食文化や宗教上の配慮がされず、ストレスを抱えたりすることがあった。そのような実際の教訓や、外国人人口が増加し、日本社会で果たす役割が変化している時代背景をきっかけに、災害の備えを外国人に向けて周知する方法も工夫されてきたという。
例えば東京都出版の防災ブック「東京防災」(図2)では、日本語のほか英語、中国語、韓国語版を作ったり、観光庁監修の「Safetytips」というアプリでは、15言語対応で天気予報から避難指示・受け入れ可能な医療機関までさまざまな情報発信ができたりと、多言語での情報発信が行われるようになった。さらに、自治体ごとに災害時要支援外国人相談窓口を設けたり、ハラル認証の備蓄食糧の用意や文化交流を兼ねた海外料理の炊き出しを行ったりしている。また、日本語学校の課外学習で防災学習を行うなど、来日して間もない外国人が、地震をはじめとして災害の多い日本での生活スキルを高められる工夫をしているそうだ。
災害対策の一つとして、ゲームを有効活用している例も見られる。DIG(Disaster Imagination Game)と言われる、災害対策本部運営のイメージトレーニングは、災害をイメージすることで地域の課題を発見し、災害対応や事前の対策などを検討するための手段として有効だ。「答えのない問題ではありますが、具体的な想像をしたり、当事者の目線で意見を言ったりすることで、臨場感を伴って備えを考えられます」。その中でも中核となるのがHUG(Hinanjo Unei Game)と呼ばれる、避難所運営をする立場で、避難所で起こる様々な出来事にどう対応するかを模擬体験できるゲームだ。次々と避難所にやってくる、年齢、性別、国籍も異なる、それぞれの事情を抱える避難者に対し、適切に対応できるかを体験し、課題の発見を目指す。
「災害弱者」を取り残さない避難のために
体育館で雑魚寝、不衛生な共同トイレ、プライバシーのない生活。そんなイメージのある避難所生活のあり方も、新型コロナウイルスの流行を受けて、少しずつ変化してきたという。「災害なのだから不便は仕方ない」とされた避難所も、コロナ感染を防ぐため、テントやパーティションで居住者同士を区切ることになった(図3)。滞在者に十分な広さの滞在スペースを提供できるようになり、生活環境が大きく向上したほか、トイレや食事の衛生管理、プライバシーの保護という観点からも避難生活の環境が大きく改善された。
しかし防災が地域に根差すという特性を持つがゆえに、国レベルでの基準を設定することは難しく、最終的には個人の危機管理に依拠せざるを得ない実情がある。地域によって顕著な災害リスクが違ったり、高齢者人口・外国人人口に応じて、必要な対応が異なったりするほか、ソーシャルキャピタル (地域社会における人々の信頼関係・結びつき)の高い地方では、共助に頼れる部分が大きい一方、それが低くコミュニケーションの希薄な都市部では、別の方法が必要になる。そのためその地域の特性に合わせたノウハウを共有できる、フロントラインにいる自治体が担う役割が大きく、また最終的に自分の命は自分で守ることが要求される。
人口の約30%が高齢者となる超高齢社会になり、一人暮らしや高齢者のみの世帯が増えている今。特別な支援を必要としない人々も、避難に支援を必要とする人々が身近にいるということを踏まえ、早期に避難したり介助をしながら避難したりすることを想定し、どこに災害リスクがあるか、どこに病院や避難所などのリソースがあるかを主体的に確認してほしいと小田准教授は話す。「逃げ遅れによる被害を防ぐため、身近にいる要配慮者に対して目配り・気遣いをすることが大切になります」
一方で、支援を必要とする人に対する配慮がある社会の必要性は災害が発生したときに限る話ではない。要配慮者となり得る高齢者、障害者、妊産婦、外国人などが日頃から住みやすい社会をどう作っていけば良いのか。災害発生時だけでなく普段から、多様性と包括性に配慮した、全ての人が生きやすい社会にすることが求められるという。「今日、多様な価値観を共有し、認め合う社会を目指しています。それを危急の時にもどれだけ実現できるか、それが鍵となると思います」
「災害は誰でも直面し得るということ、自身も支援を必要とする側になるということを想像して、ベストな判断ができるよう備えておくことが必要です」。今は配慮が不要な存在であったとしても、高齢になった時や、偶然重傷を負っている時に災害が発生することもある。誰でも「当事者」になり得ることを念頭に置き、その中で避難ができるかどうか、一緒に居合わせた人々とどう避難するかを想定して備えておく必要がある。そのために日頃からハザードマップなどを確認し、危険がどこにあるのか、災害が発生した時にリソースとなる病院や避難所などがどこにあるのかを確認してほしい、と小田准教授は話す。「災害が切迫してからでは遅い。過去の教訓に学び、手遅れになる前に想定して備えてください」
避難所の現状と今後の課題
実際に災害が起こったときに、人々が避難生活を送ることになる一般避難所。避難所に指定されているところでは、どのような準備・工夫がなされているのだろうか。外国人、女性、高齢者、障害者など要配慮者と呼ばれる人々が安心して避難できる環境は整っているのだろうか。また、そのような工夫をする上でどのような障壁があるのだろうか。文京区総務部危機管理室防災課の災害拠点担当主査の長陽介さんに話を聞いた。
━━避難所では、どのような準備・備蓄をしているのでしょうか
文京区には33カ所の避難所があり、耐震・耐火・鉄筋構造の施設が指定されています。そこでは、災害時特設公衆電話(図4)や防災行政無線などの通信手段、受水槽などの基本的な設備から、1日分(3食)の食糧と毛布や簡易トイレなどの生活必需品が備蓄(図5)してあります。3日分(9食)の食糧を避難所内に備蓄をするのが理想的ですが、区内だけでも避難者が4万人以上と想定されているため、場所を取る食糧の備蓄は難しいのが現状です。そのため区内十数カ所にある拠点倉庫や東京都の備蓄物資で2日目と3日目の食糧は賄う予定になっています。4日目以降については、国や被災しなかった地域からの応援物資に頼ることになってくると思います。
━━東日本大震災や熊本地震が起こった際に、避難や避難生活での課題が見えてきました。それらの課題を受けて、避難所の準備・備蓄等で変更した点は
2011年時点では、避難所は震度5強以上で自動開設することが定められていましたが、東日本大震災の時、東京では震度5弱であったため、避難所開設がなかなかされず、混乱を生んでしまったということがありました。学校が開いている時間帯だったこともあり、その間に避難してきた帰宅困難者や地域住民の方をスムーズに誘導できませんでした。それを受けて震度5弱から避難所を自動開設する形に変更しました。また交通機能のまひなどにより帰宅できなくなる帰宅困難者の課題を受け、区有施設でトイレなどの支援物資を備蓄したり、一時滞在施設設定を行ったりしました。
2016年の熊本地震では「人が多く落ち着かない」「社会的弱者が排除されている」など避難の質が問題視されたため、プライベートテントを用意したり、支援物資を適切に活用するために、物資や応援の受け取り方などについて受援計画を立てたりしました。
さらに区の職員だけでは運営が難しかったという問題を踏まえ、地域の方主体の避難所運営をより進めるようになりました。各避難所は自治会町会長をトップとして、町会の方、民生委員・児童委員、学校の先生、PTAの方々、区の職員等で構成された協議会で運営に当たっています。
━━地震が起きた際に外国人、高齢者、障害者などハンディキャップを持つ人々も避難や避難生活をすることになります。その上で準備や想定していることは
以前はカーペットタイプのマットと数台の折り畳みベッドを用意していたのですが、マットでは腰が痛くなったり、折り畳みベッドについては場所を大きく取られてしまったりといろいろと問題がありました。段ボールベッドとエアマット、プライベートテントを新たに用意し(図6)、高齢者や障害者に限らず避難所生活の質自体をかなり向上させることができました。
また福祉避難所を指定し、高齢者や障害者、乳幼児などの要配慮者が二次的に避難できる場所も設けています。福祉避難所は、原則老人ホームや障害者施設の職員で運営することになっているので、災害直後に開設したり数百人単位で受け入れたりすることは難しいのが現状ですが、支援を必要とされる方に適切なケアをできるようになっています。
外国人の避難に関しては、筆談ボーどや指さしシート、多言語のコミュニケーション支援ボード (図7)を用意し、「食事を取りたい」「トイレに行きたい」「体が痛い」など必要なことを簡単に伝えられる工夫をしています。また各避難所に映像通訳と手話通訳ができるタブレットを一つ置いています。
━━要配慮者の避難や避難生活に対して対策をする上で問題となることは何でしょうか
多種多様な人が避難するので、例えばヴィーガンの人やイスラム教の人まで、全ての属性の人について包括的に対応できているかというと、難しいところがあります。もちろん、アレルギーや、病気などで命の危険がある、障害によって精神的パニックになってしまうなどの理由であれば特別な配慮や対策は必要ですが、そうでない場合は個人での対応をお願いしていくなど、一つ一つ全ての人の意見を聞くことはできません。ですが個人的には、多種多様な人に対応できるよう対策を見直すことも検討していくべきだとは思います。
また、文京区には災害時専門ボランティア登録制度といい、医療、福祉、語学など専門的な知識を有する人が事前に登録し、割り当てられた避難所でボランティアをしてもらう制度があるのですが、なかなか普及せず、各避難所に専門的知識を持つ人を割り当てるのが難しいのが現状です。
━━より包括的な避難生活を提供するために、今後課題となることは
昨年東京都の被害想定が更新され、在宅避難者数が増加すると見られています。そのため避難所の備蓄をするのはもちろんですが、在宅避難者の支援をどうやっていくのかが課題になってくると思います。これが一つ目の議題です。
二つ目に、避難所の質をどう向上させるかが課題となっています。段ボールベッドを導入するなどして、避難所の質はある程度向上しましたが、避難所でも最低限の生活を送ってもらうためにも、国際的な基準を参考にして考えていく必要があると思っています。東京は世界的に見ても人口が密集した都市なので、基準を満たすのは難しい部分もありますが、できる限り日常生活に近い避難所を作っていくことを目指しています。
避難生活の中では犯罪が起きたり、それがなくても不安になったりします。そういった人々へのケアをして、安心安全な避難生活の確保に向けた取り組みが、三つ目の課題です。
これらの課題は具体的な解決策があったり、一律に全てを解決したりできるものではないので、一つずつ着実に、優先順位を設けながら、長期的な計画を立てて考えていきたいと思っています。