学術

2021年1月21日

【論説空間】米中対立下でルールづくりに奔走するASEAN

 トランプ米大統領の下で激化した米国と中国の対立。争いの舞台となった東南アジア諸国は二つの大国に政治、経済両面でどのように向き合ってきたのか。また米国の政権交代後に情勢はどのように変化するのか。東南アジア諸国連合(ASEAN)の研究が専門の鈴木早苗准教授(東大大学院総合文化研究科)の論考だ。

(寄稿)


米中による影響力行使

 

 

 米中の対立が激化している。その影響を特に受けているのが、東南アジア諸国である。米中の軍事対立が顕著となっている南シナ海では、複数の東南アジア諸国が南シナ海の島々の領有権を主張している(地図参照)。また、米中の貿易紛争も米中を主な貿易相手とする東南アジア諸国にとってその動向を注目せざるを得ない。米中対立下で、東南アジア諸国連合(ASEAN)が奔走するのは米中の行動を中長期的に制約しうるルールづくりだ。

 

 トランプ大統領はASEANの会議を欠席し続け、ASEAN諸国の反発を買った。一方、中国は自らの一帯一路構想とASEANの連結性プロジェクトをインフラ整備という共通項で連携させることでASEAN側と合意し、コロナウイルス対策でもいち早くASEAN諸国の支援に乗り出している()。

 

 一方、軍事面では、南シナ海での中国の行動にASEAN諸国は警戒を強めている。中国は南シナ海全域の領有権を主張している。そのため、第一に、同じく領有権を主張する一部のASEAN諸国とその主張が対立する。第二に、排他的経済水域(EEZ)の重複で沿岸国とも対立する。中国の行動はそうした国々との間に軍事的緊張をもたらしてきた(年表参照)。2002年にASEANと中国は「南シナ海に関する関係国の行動宣言」を発表し、武力不行使や領有権の平和的解決などを確認したが、中国の行動を十分に制約できているとはいえない()。

 

 米国も南シナ海での中国の動きに神経を尖らせ、関与を強めてきた。最近では、中国の主張には国際法上の根拠がないとの立場を明確にした()。これに中国は反発し、軍事的な行動で対抗する。ASEAN諸国のなかには米国の姿勢を歓迎する向きもあるようだが、米国が中国を挑発している面は否定できず、その結果、軍事的緊張が高まっていることを懸念する声もある。米国の政策は、あくまで対中政策の一環であり、ASEANを重視するものではない。たとえば、中国がこの問題で柔軟姿勢をみせようとASEANとの共同軍事演習を打診すると、米国もASEANとの共同演習を打診するといった具合である()。また、米国は、ASEANをまとまりとしてとらえるよりは、中国に対抗するため、フィリピンやベトナムといった一部のASEAN諸国との関係を強化する二国間アプローチをとっている()。

 

 2021年の米国の政権交代後も米中対立はすぐに鎮静化するとは考えにくい。米国内の対中強硬論を背景に、少なくとも対中警戒は続くとみられ、南シナ海での米国の行動が劇的に変化するとは考えにくい。一方、中国は、着々と南シナ海での実効支配を加速させていくだろう。

 

ルールづくり

 

 このような状況下で、ASEANがとりうる選択肢は、これまで通り、外交的手段を通じて問題の鎮静化を図り続けることである。一つは南シナ海における行動規範の策定であり、もう一つは国連海洋法(UNCLOS)の重要性に訴えて、国際的な手段を視野に入れつつ、中国の主張の違法性を訴えていくことである。この二つの手段で、領有権の問題は棚上げしてでも、中国がこの海域で軍事的行動を自制するようになることがASEAN諸国の目下の目標であるように思われる。

 

 ただし、行動規範の策定は遅延気味である。理由としては、第一に、対中強硬論を明確に打ち出してきた米国を念頭に、中国が、域外国との軍事演習は締約国の許可を得ることなどを行動規範に盛り込むよう主張していること()、第二に、米国が、中国に有利な行動規範の策定を急いではならないとASEAN側に圧力をかけていること()、第三に、コロナウイルスの拡大で、対面での詰めの協議ができないことなどがあげられる。

 

 ASEAN諸国は、米国の対中強硬姿勢を上手く使いながら、中国側の妥協を引き出して行動規範を策定し、UNCLOSなどの国際ルールを遵守する責任を中国に訴えていく必要性を痛感している。その際に重要なのは、ASEANの対中政策の一本化である。ASEANの対中政策はASEAN内の対立もあり、揺れ動いているとされる。背景には、中国が、カンボジアやラオスなど一部のASEAN諸国に膨大な援助を実施し、ASEAN内に親中派を作り出してきたことがある。しかし、2020年に入り、中立的立場を維持してきたASEAN内の大国・インドネシアが、中国を警戒するようになってきたことで、ASEANの対中政策は強硬路線に傾きつつある。インドネシアは南シナ海の島々の領有権を主張していないが、自国の領土であるナトゥナ諸島のEEZ内に中国漁船が中国海警局の巡視船とともに立ち入ることが増えており、緊張が高まっているためである()。

 

 他方、近年の米中対立は、間接的ではあるが、地域的な包括的経済連携協定(RCEP)というメガ自由貿易協定(FTA)の締結を後押しした面がある。RCEPは、ASEANとして関与していない環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の交渉が米国も参加する形で動き出したことに危機感を持ち、ASEANが提案したFTAであり、日本、中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、インドが参加して、2013年から交渉が開始された()。2017年、そのTPPからトランプ政権が脱退し、TPPは米国抜きの11カ国で環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)として2018年、署名・発効した。ASEAN諸国の一部(ブルネイ、シンガポール、ベトナム、マレーシア)が加入するCPTPPに対し、RCEPはASEANの提案したものでもあり、交渉当初から全てのASEAN加盟国が参加し、締結に至った。そのため、RCEPはASEANを母体とするFTAだといってよい。

 

 米中対立がここまで激化せずとも、RCEPは締結されたであろう。ただし、国際貿易ルールに背を向け、貿易紛争を繰り広げる米国に対抗する意味もあって、中国は多国間の国際貿易ルールであるRCEPの締結に積極的になった側面はある。その意味で、米中対立のASEAN諸国への影響は負の側面ばかりではないのかもしれない。最終的にインドが離脱したものの、2020年11月、ASEAN首脳会議が開かれた際に、15カ国がRCEP協定に署名した。中国は、RCEP締結によって、多国間の国際貿易ルールを重視する姿勢をアピールしている()。一方、米国は政権交代後も、国内に慎重論が根強いため、TPP復帰の見通しは立たず、この地域での多国間貿易ルールに参加できないままの状態がしばらく続く。

 

 このようにASEANは経済面でルール作りを主導し、行動規範の策定が進まない南シナ海問題と比べて、一定の成果を出しているといえる。米中対立の影響で変化しつつある中国の多国間貿易ルールへの姿勢をうまく利用しながら、ASEANは、今後、RCEPなどを通じて中国に貿易ルールの遵守を求めていくことになる。そのためには、ASEAN諸国にもルール遵守が求められる。軍事力に乏しいASEAN諸国は、南シナ海では自制的な行動をとるよりはむしろ一方的に中国に自制を求める傾向にあるが、貿易ルールの遵守は中国もASEAN諸国にも共通した課題である。日本にとっては、米国不在のRCEP協定の円滑な履行において、ASEANに対する支援を強化して、影響力を増加させるチャンスかもしれない。

 

鈴木 早苗(すずき さなえ)准教授(東京大学大学院総合文化研究科) 09年東大大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所を経て、20年より現職。
出所 拙論「南シナ海問題とASEAN(2)」(『IDEスクエア』アジア経済研究所、2016年 9月)所収の「南シナ海問題の関 連年表」を一部加筆・修正して作成。加筆・修正時の参照資料: 拙論「2019年のASEAN―インド太平洋構想の発表」『アジア 動向年報2020』アジア経済研究所、2020年;The Jakarta Post, the Straits Times, The Nation,日本経済新聞等の現地新聞報道。

 

[参考文献]
 

①拙論「2019年のASEAN―インド太平洋構想の発表」『アジア動向年報2020』アジア経済研究所、2020年。コロナウイルス対策に関する中国のASEAN諸国支援については、“COVID-19 SPECIAL: Superpower relations and the region; How region views growing US-China power play,”May 17, 2020,The Straits Times.

②拙論「南シナ海問題とASEAN(1)」『IDEスクエア(世界を見る眼)』2016年8月(https://www.ide.go.jp/Japanese/
IDEsquare/Eyes/2016/RCT201612_001.html);「南シナ海問題とASEAN(2)」『IDEスクエア(世界を見る眼)』2016年9月(https://www.ide.go.jp/Japanese/
IDEsquare/Eyes/2016/RCT201613_001.html)。

③Michael R. Pompeo, “U.S. Position on Maritime Claims in the South China Sea,” U.S. Department of State, Press Statement, Secretary of State, July 13, 2020.https://www.state.gov/u-s-position-on-maritime-claims-in-the-south-china-sea/、2020年12月25日接続、ダウンロード。

④拙論「2018年のASEAN―多様化する安全保障」『アジア動向年報2019』アジア経済研究所、2019年。

⑤拙論「2019年のASEAN―インド太平洋構想の発表」。

⑥拙論「2019年のASEAN―インド太平洋構想の発表」。

⑦“US demands more transparency in South China Sea talks,”The Jakarta Post, July 15, 2020.

⑧“RI says ‘no legal basis’for China’s claim on the Natunas,”The Jakarta Post, January 2, 2020; “What can Indonesia do in its stand-off with China over the Natunas?” The Straits Times, January 10,2020; “Why Indonesia has stake in fight to defend Unclos,”The Straits Times, January 17, 2020.

⑨助川成也「RCEPと日本の東アジアネットワーク」石川幸一・馬田啓一・清水一史編著『アジアの経済統合と保護主義』文眞堂、2019年、87-111頁。

⑩「RCEP合意、成果誇示、習氏『多国間貿易に積極参加』」、『日本経済新聞』、2020年11月19日夕刊。

 

2021年1月24日12:37【記事訂正】年表の出所について追記しました。

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