「近代ロシア文学の父」と呼ばれ、ロシアで最も偉大な文学者だとされているプーシキン。プーシキン登場後のロシア文学は非常に充実しており、ドストエフスキーやトルストイなど、歴史に名を残す多くの作家が生まれた。一方、それ以前の18世紀から19世紀初頭までのロシア文学は、ロシアの西欧化が急速に進んだ変化の大きい時代であったにもかかわらず、現在でも未知の領域だ。鳥山祐介准教授(東大大学院総合文化研究科)は、この18世紀から19世紀初頭にかけてのロシアの大転換点で、人々にとって文学がどのような存在だったのかを探る。研究の面白さの一つは、当時の文学が「自然の美しさをどのように感じるべきか、恋愛に対しどのように感動するべきか、自国へのイメージをどのように持つべきか」などを人々に示し「新時代のロシア人の在り方について教科書的役割を果たしていた」ことにあるという。
鳥山准教授がロシア文学の研究を志したのは、大学に入ってから。ロシアには元々興味があったが、特定の作家や作品が好きというわけではなく、大学に入ってからトルストイ、ドストエフスキー、プーシキンなどの作品を広く読んだ。その過程で、言語や歴史など人間の生のさまざまな要素を含む文学に可能性を感じ、研究に携わることを決めた。特に18世紀から19世紀初頭までのロシア文学を研究対象としたのは「他の研究者があまり目を向けてこなかった分野なので、これまで知られていなかった重要なことが分かるのではないかと考えたからです」
研究は個人の営みというよりは共同作業なので、研究が盛んでない分野では多くの困難がある一方、自分の研究結果が後世の役に立つという希望を持ちやすいところが利点だという。また文学研究の側面からは「作品同士の関係や歴史的な背景を考えることで、個々の表現やテーマが興味津々たるものに見えてくることが多いのも魅力です」と語る。西欧化によって社会が激変した18世紀のロシアでは、文学作品は人々の意識の中に「新しいロシア」のイメージを作り出す重要なメディアにもなった。例えばエカテリーナ二世をローマ神話の知恵と戦争の女神「ミネルウァ」になぞらえる比喩なども、西欧と同じく古代ローマ文化を継承し、啓蒙(けいもう)と戦争によって強国化する新しいロシアのイメージと密接に関係している。また、18世紀末から、詩の中でボルガ川がロシアやその歴史と関係づけられながら登場する機会が増えてくる。「ロマノフ王朝の象徴であるサンクトペテルブルクを流れるネバ川ではなく、沿岸部に多様な民族と歴史を持つボルガ川を詩に歌うことで、ロシアの多様な側面を表現させようとしたのでしょう」と鳥山准教授は解釈する。
今後は、ロシアの上流層がロシア民族への意識を変化させたナポレオン戦争やデカブリストの乱と文学、文化との関係についても研究するつもりだ。これらのテーマについても日本での研究の蓄積は決して多くない。18世紀から19世紀初頭までのロシア研究を行うことで、19世紀以降のロシアを考える土台作りをするという方向性は変わらない。
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日本の学生がロシア語を学ぶ魅力はどこにあるのだろうか。鳥山准教授がロシア語を学ぶ価値としてさまざまな実践的な点に加えて強調したのは「ロシアの詩を原文で読めること」だ。ロシア文学において詩は非常に重要な位置を占めており「文学の王者」であった。ロシア社会の変化の激しさや抑圧の強さ故に、詩人の言葉は政治権力から独立した「預言者」的権威を持つものとして考えられ、人々の声を表現する使命も担ってきたという。しかし日本語に翻訳されたロシアの詩は少なく、あったとしても訳文ではなかなか伝わりにくい要素が多い。そのためロシアの詩は原文で読む価値が非常に高い。プーシキンの詩を読むためだけにロシア語を学んだとしても、その見返りは十分にあると述べる作家もいるほどだ。
インターネット上などで、ある言葉が文脈や他人の発言との関係を無視して判断される光景を多く見かける現代。「文脈を限りなく丁寧に読むことが求められる文学研究同様、一般の言語活動でも文脈は大切です」と鳥山准教授は語る。「他人の言葉を丁寧に読むことを心掛けてほしいですね」と読者へメッセージを送った。(加藤新大)