東大を卒業後、メディアアートという新しい分野について研究する傍ら、アート制作にも励んできた筧康明准教授(東大大学院情報学環)。博士課程在籍時には秀でた成果を残した学生に贈られる東京大学総長賞を受賞した。その後もさまざまな賞を受賞。メディアアートの先駆者である筧准教授に、自身の学生時代についての話を聞くとともに、新入生へのメッセージをもらった。
(取材・黒田光太郎、撮影・安部道裕)
特定の分野の専門家にはなりたくないと思っています
ーー筧准教授の学生時代についてお聞かせください
僕が学生だったのはもう 20 年以上前になりますが、デザイナーやアーティストなどさまざまな分野の創作活動をする方にオムニバス形式でお話を聞くという授業が、一番印象に残っています。当時自分はアートに興味はあったものの、どういう方法でアプローチをするのか分からず、距離がありました。この授業を受けたことでアートとの距離が近くなり、新しい世界を知りました。当時オムニバスで授業を受けたクリエイターの方と、研究者になってから一緒に仕事をする機会があり、うれしかったです。
高校時代にテニス部だったこともあり、大学でもテニスサークルに入りました。テニスの他に草野球もするなど、自分たちがしたいことを持ち寄ってできるサークルでした。そのサークルの人の影響で、当時盛んになってきていたプログラミングを知りました。僕はそれまでコンピューターとは縁がなく、ここで初めてコンピューターに触れました。当時、世間ではプログラミングにより作ったアートをウェブ上で公開している人たちがいたのですが、そういうことが格好良いなと思い、僕もプログラミングを始めました。
テニスサークルの仲間も続々とプログラミングにはまり、テニスコートでプログラムを作っていたこともありました。その人たちの中には、現在ウェブデザイナーなどで活躍している人もいます。そうした活動が授業やコンピューター系サークル以外のところから始まったことが面白かったですね。
ーー進学先はどのように決めましたか
かなり悩みました。どの分野に進むか決めようがないと感じましたし、決めたくありませんでした。前期教養課程の頃は理Ⅰでしたが、機械系や薬学系も魅力的に感じていましたし、物を作ることにすごく興味があったので、建築系にも惹(ひ)かれていました。
最終的に決めた基準は「つぶしが利くかどうか」でした。当時の自分は、これという確信のある進路が見当たらず、機械系や建築系、薬学系など専門が特化する分野は決め手に欠きました。そこで、分野が広く「つぶしが利く」情報系に進むことにしました。そもそも東大を目指した理由が、入学時から専門分野を決めたくないからでした。そこから 20 年ほどたっても「決めたくない」という思いは変わらず、今でも特定の分野の専門家にはなりたくないとの思いもあり、工学やアート・デザインといったさまざまな分野を横断する学際領域で活動しています。
ーー前期教養課程では、どの程度勉強しましたか
当時も情報系に進学するにはある程度点数が必要でしたが、僕は必死に勉強を頑張ったとは言えないですね。特に1年生の頃は、それまで受験勉強に費やしていたモチベーションのやり場に困ってしまい、自分が何者なのかなどを考えていました。大学受験まではある意味試験の点数が評価基準だと思っていました。しかし大学では点数だけが評価基準ではなく「何がいいことなのか」ということから自分で決めなくてはなりません。そのため新たな価値基準を探索することに時間を使っていました。その一環として、自分が面白いと思うことに数多く取り組みました。プログラミングもその一つです。何かに取り組みたいという気持ちは、いろんなことを積み上げていく原動力にもなると思います。やりたいことをやるということは大切なのではないでしょうか。
ーー筧准教授が感じた東大の魅力や特色などを教えてください
僕はアートと学問を結び付けた、いわゆる「融合的」な分野に取り組んでいます。こうした分野に取り組むとき、周囲にそれぞれの分野の専門家がいることはとても良い影響があると思います。専門家が「縦」に深い知識を持っているとすると、学際的研究は「横」に広いということになります。その両方が掛け合わされることで「横」にも広く「縦」にも深い研究ができるのです。東大では各分野の専門家がそろっている環境で学際的な研究ができるので、そこが東大の強みだと思います。
また僕が学生だった頃、東大でアート系に取り組んでいる人は多くありませんでした。このことは、個人的には良かったと思っています。東大ではエンジニアリングとアートを掛け合わせる取り組みはあまりなかったと思いますし、東大生なのにアートをやるのかという雰囲気もありました。そのおかげで僕の取り組みに独自性ができ、ある意味研究がしやすかったです。もし、芸術系の大学に進学していたら、僕の特色は出せなかったと思います。
学問分野の代表として発表するようなプレッシャーを感じました
ーー筧准教授は 2005 年に東京大学総長賞を受賞されていますが、その時のことについて教えてください
受賞したのは博士課程2年目でした。他者とのコミュニケーションを助けることを目的に、見る角度によって見え方の異なるディスプレイ技術を開発しました。この技術を利用して一人でできるホッケーゲームを作り、それをアート作品として発表しました。実用的にコミュニケーションを助けること、アートとして新たな問いを提起させることの両立を評価され、総長賞を受賞しました。
受賞が決まり、総長や理事の前でプレゼンしたときは、アートと学問の融合という新しい学問分野の代表として発表するような気持ちだったため勝手にプレッシャーを感じ、とても緊張しましたね。自分のプレゼン次第でこの分野の今後が左右されるとさえ思っていました。総長は面白いプレゼンだったと言ってくれ、自分としては成功したと思っています。実際に総長賞の受賞後は、アート活動と学問を融合させる活動を大学がよりサポートしてくれるように感じました。
ーー学生時代の後悔などはありますか
特に前期教養課程では基礎的なことを学ぶと思いますが、僕はそうした勉強が面白くないと感じていました。また、学んでいることが実社会にどう関係しているのかが分からず、全くモチベーションが湧きませんでした。しかし自分の研究を始めてから、基礎知識の重要性を感じるように。基礎知識は単体で使うことは少ないですが、学びが進めば、一つ一つの分野の基礎が結び付いてきます。その際にさまざまな分野の基礎知識が必要になるので、理系分野だけでなく、哲学や歴史などもバランス良く学んでおけば良かったと思っています。
また20代のうちに海外へ行っておけば、良い刺激になったのではないかと思っています。僕も当時留学などについて考えてはいたのですが、どこか現実味がなく、ぼんやりとしか考えていませんでした。その結果、30代になってようやく初めて海外で研究することになりました。留学するメリットとして、日本では得られない知識やスキル、インスピレーションなど、自分の「武器」を獲得できるということがあります。僕は日本である程度研究や作品制作に携わり、実績を積んでから海外に行きました。自分の活動を国外の方々に知ってもらったり、アーティストとのコラボレーションの機会を得たりなど、活動の幅を広げる機会としてとても良かったのですが、もっと早い段階で海外に行っておけば、どんな風に自分の世界は広がったのかなと考えることはあります。
30 代で初めて海外で研究をした際、MIT(マサチューセッツ工科大学)で研究することになったのですが、そこには日本の大学にはない「ネットワーク」があると感じました。研究している施設の中に常に企業などからの来訪者がいて、MITでの研究を役立てることができないかと見て回っていました。そうした人々によって、MITの研究がこんなにも速く世界中に伝わるのだろうと感じました。日本の大学とは桁違いの速さです。
もちろん日本が駄目なわけではありません。MITがあるボストン周辺は、工学や医学が進んでいる一方、僕が活動するアートやデザインの分野では日本の方が面白いと感じる点も多くあります。日本はアートとエンターテインメントが融合していたり、アーティストがデザイナーを兼務していたり、分野の境界を越えた表現活動が盛んです。社会との化学反応を考えると、日本の大学での活動も面白いと思います。
意外な出会いを楽しめると大学で学ぶ意味があると思います
ーー特に前期教養課程の間に学んでおくべきことなどはありますか
高校までは頭で考えることがほとんどだったと思いますが、大学で学んでいくときには、手や足など身体性を重視して考えることを意識してほしいです。何かを作りながら考えたり表現したりする経験が大切だと思います。僕が学生だった頃は、図面に設計図を書くといった「『形』にする授業」がありました。そうした授業があれば積極的に受講することをお勧めします。僕は21年度のS2タームに前期教養課程で「文理融合ゼミナール(メディアと芸術) インタラクティブ表現実践」という科目の担当をする予定です。この授業も机に座って考えるというより実際に手を動かして考えるという授業になると思います。こうした授業を受けることで答えがないかもしれない世界で課題解決をするときのアプローチの仕方などを学ぶことができるのではないでしょうか。
ーー最後に新入生にメッセージをお願いします
2020年は大変な年になったと思います。新型コロナウイルス感染症の拡大によって実際に会うことが難しくなり、以前はあった「偶発性」が生み出されにくくなっています。しかしそうした偶発性こそが、大学の面白さだと思います。僕もテニスサークルに入ったことがきっかけでプログラミングを始めたり、工学部に進学してアートを始めたりするなんて思っていませんでした。そうした思ってもいなかった方向に進んだのも、偶発性のおかげです。教員としては、そうした偶発性を生み出せるような教育を心掛けていく必要があると思っています。
コロナ禍の現在では偶発性が生み出されにくくなっていますが、この状況を憂うのではなく、逆にこの制約を生かしてほしいと思っています。例えばオンラインでできることが増え、新しい出会いがあるかもしれません。あまり興味の湧かなかった授業でも、オンラインで自宅から受けられるのなら受けてみようかとなる。そうした思ってもなかった出会いを楽しめると、大学で学ぶ意味があるのではないかと思います。自分の好きなものだけではなく、興味がないかもしれないものも得るようにしてほしいですね。学生の皆さんには、例年以上にさまざまなことに取り組むようにしてほしいと思います。