「ボーカロイド音楽論」(愛称「ぱてゼミ」)は、例年Sセメスターでは自主ゼミ、Aセメスターでは東大前期教養課程の主題科目として2016年から開講されている。ハチの楽曲を扱う初回講義は例年注目度が高く、2021年度Aセメスターでは600人近くが初回のオンライン講義を視聴した。講義では、テクスト論的アプローチや記号論などアクロバティックに分野を横断しつつ、ハチとともにボカロシーンの双璧を成すwowakaほか、さまざまなボカロ楽曲をひもとく。講義の根底に流れるのは、自明化された恋愛観やラブソングを疑問視する「アンチ・セクシュアル」というテーマ。性とボカロシーンの独特の関係性をきっかけに、セメスター中盤はジェンダー論にも踏み込んでいく。
講師の鮎川ぱてさんの著書『東京大学「ボーカロイド音楽論」講義』(文藝春秋)が、7月13日に発行される。本書は学生の質問を交えた講義形式で、記者が1セメスターの間受講したぱてゼミとほぼ一言一句違わぬ内容が展開される。「文字で摂取する講義」と形容できるほどの充実度だ。
「ぱてゼミメイツ」と呼ばれる受講生は、履修期間後もSNS内で緩やかな交流を続けている。講義内容に触発されて、作曲を始めようとする受講生を助けるコミュニティーとしても機能しているという。今回は、作曲をたしなむぱてゼミメイツ5人と鮎川ぱてさんで座談会を行った。6人目のぱてゼミメイツ気分で、東大名物講義の知られざる側面を覗いてみては?(構成・丸山莉歩)
参加者紹介
Thanatosさん:ぱてゼミ最初期メンバー、参加者のうち唯一の社会人。受講前は『千本桜』くらいしか知らなかったが、受講をきっかけにボーカロイドで作曲するように。
ラワイルさん:受講前はボカロ(ボーカロイドの略称)どころか音楽を聞く習慣すらなかったが、最後には2万8千字のゼミ史上最長レポートを提出。初音ミクというキャラクター自体が好き。
しおんさん:「ど理系」。受講前から自然言語処理に興味があり、文章を数学的に組み替える試みを歌詞に応用。小さな頃から書いていた小説が作曲につながった。
Miriさん:中高で演劇をしていた。大学進学以降表現の機会が減った中、先輩のTwitterで「#東大ぱてゼミ」を見かけて受講。ぱてゼミ最終課題が初ボカロ作曲。
はやてにゃんさん:中3で米津玄師に感動、高2でギターを始め、今は軽音系サークルに所属。この中では最も音楽にストイック。ぱてゼミ最終課題が初ボカロ作曲。
作曲との関わり
──ここにいる皆さんは作曲をしています
ぱて 最初に1点。今回は作曲コミュニティーとしての側面を取り上げるということですが、あくまでぱてゼミは授業が本体で、作曲をしていないから受講者が疎外されるということはないと、強調しておきます。
Thanatos 13期続いているぱてゼミの中で、1期生です。今は社会人ですが、時々曲を投稿しています。
ラワイル 8期生です。受講前は音楽になじみがありませんでしたが、今では作曲研究会にも所属しています。初めはまったくの初心者でした。
しおん 11期生です。私は2021年のSセメスターとAセメスター、合わせて1年間履修していました。小4くらいから小説や詩を書いていたのですが、最近作曲にも手を出しました。作曲はまだ1年生です。
──幼少期から音楽を習っていて、という人ばかりではないんですね
Miri そうですね。私も、作曲に踏み切ったのはぱてゼミの期末課題がきっかけです(ぱてゼミの期末課題では、3000字以上のレポートの代わりに3分以上の動画の投稿と2000字以上の論述も認められている)。
はやてにゃん とすると、僕はこの中では以前から音楽に親しんでいた方かなと思います。中3のとき米津玄師の「LOSER」を聴いて「こんなメジャーじゃない感情を歌ってもいいんだ」と音楽に興味を持ち、高2で作曲にも興味が湧いて音楽理論を勉強し始めました。今は「東大音感」というバンドサークルに入っています。
ぱて 高2って受験勉強が始まる頃じゃない?
はやてにゃん なので、作曲は大学から……と思っていました。初作曲はやっぱりぱてゼミの期末課題です。
──作曲は皆さんボーカロイドで?
はやてにゃん 僕は作曲の勉強を重ねるうちにギターをメインとする曲が好きになったんです。そこで、人が歌うとボーカルが目立ちすぎると思い、ボーカロイドを選びました。ボーカロイドは、ボーカルでありながら楽器のように溶け込んでくれます。
しおん 私はボーカロイドで作曲はしていないです。
ぱて 人に歌ってもらっているの?
しおん いや、楽器だけの曲です。ボーカロイドを買うお金もないし(笑)、人に歌ってもらうにも自分の曲がどんな声質に合うのか分かりません。ボーカロイドを買ったらその声質に合わせた作曲もしてみたいですが、あらかじめ作った曲に声を合わせるのは難しすぎて……。
ぱて その感覚ははやてにゃんと逆っぽい? はやてにゃんは、誰が歌うかはあまり関係ないと思ってそう。
はやてにゃん 確かに僕にとってのボーカルは楽器と同じで、音作りのための声でしかないですね。
──歌詞を付けることへのこだわりはありますか
Thanatos 「良い歌メロは歌詞がなくても良いメロディ」だと思います。
ぱて 僕も賛成だけど、韻も含めて初めて良いメロディーになるものもあると思うな。ドラララソミレドレドレド……より、「求愛性孤独ドク流るルル」(かいりきベア「ベノム」の歌詞)の方が5000兆倍いい。
しおん 分かるなあ。
ラワイル 私はぱてゼミの受講から自分を内省し、自分の表現のために曲を作ったという明確な時系列があるので、歌詞は必須だと感じています。
はやてにゃん 僕は作者と作品は切り離したい。
ぱて ぱてゼミは「作者と作品は切り離す」という前提に立っていましたね。
ラワイル 私はどちらかというと、曲に自分を残すことで聞き手に多様な投影の方法を与えたいタイプです。自分の葛藤を歌にしていますが、それは社会的なものでもあるはずなので。「重力のように人を束縛する」性的な欲求の到来然り……。
──今のはぱてゼミの議論の引用ですね
ぱて 作曲は自己表現であるべきか。歴史的には、近代以降の考え方ではありますが。
Thanatos 私も自己表現という言葉には違和感を持つ方です。好きな曲を材料のように使って、二次創作的に曲を作ったりします。
しおん 私は元々詩作をしていて、楽曲に合わせた歌詞を作ってほしいという依頼が作曲を始めたきっかけなのですが「依頼者に合うものを自分の中から拾ってくる」ような、ある種職業作詞家的な表現をそこで初めて経験しました。小説は自己の内面の表現として書いていたんですが、最近はコンテストに応募する際も、審査員が求めるものを考えるようにしていますね。
Miri 同感。自分には演劇の経験があるんですけど、脚本家が伝えたいこととか、どうしたらお客さんが楽しんでくれるかなとか考えています。
ぱて 表現の「自己表出」性を相対的に見ている人が多いんですね。僕が作った「SPL」という曲は、「詞先」と言って、先にあった歌詞に対して曲をつけるという順番で書いています。先行してあるもののために作るという意味では、広義の二次創作と言えるかも。
Thanatos なら、私の言った「二次創作」はそういう意味ではないです。好きな曲の音形やリズムをまねて、材料を寄せ集めにして作ったのが私の曲です。
──それは「自己表現」という認識ですか
Thanatos 「オリジナリティーとは組み合わせだ」という言葉を聞いたことがあります。音楽は材料が限られ、例えば五線譜の中には12種類の音しかありません。しかし同じ材料を使っていても、組み合わせが違えばオリジナリティーと呼べると思います。その意味で、半分二次創作、半分オリジナルです。
──話題を変えます。作曲は他の表現手段に比べハードルの高いイメージですが、どう壁を乗り越えましたか
しおん 私はまだ乗り越えられてはないんですが……、短くて楽器だけの曲にしてハードルを下げたり、さっきのThanatosさんみたいに他から材料を借りてきたり。あと、ぱてゼミの作曲講座がありがたかったです。
ぱて まだアーカイブ動画が見られるはず。あの動画をきっかけに作曲を始めて、昨年の駒場祭のテーマソングを作った受講生もいます。
Miri 私はGoogleで検索しつつ、はやてにゃんに聞きました。同じとらさんチームで仲良くなったから(ぱてゼミでは学生間の議論のため十数人ごとのチームに分かれる。12期では「くまさんチーム」など六つのチームがあった)。
はやてにゃん いろいろな曲のコードが載っているサイトを見て、コードを度数に直して全て書き出しました。それを見ながら曲を聴いて耳を養った後、音楽を聴くたびそのコード進行を考えて、ストックを増やしました。
Thanatos・ラワイル すごいな。
受講者にとってのボーカロイドとは
──ボーカロイドとの付き合いは
Thanatos 受講以前は「千本桜」をギリギリ知っている程度でした。
ラワイル 私も受講以前は、ボーカロイド曲群を全く知らなかったです。それと今の私はいわゆる「ミク廃」で、作曲の手段としてだけでなくキャラクターとして初音ミクが好きなんです。MMDというツールを使って、キャラクターを踊らせる動画を作って投稿したりも。しかしぱてゼミの議論では、作曲の手段としての見方とキャラクターとしての見方は相互関係、もっと言えば緊張関係にあると考えていますよね。だから私はぱてゼミの中では異端でしょうかね。
ぱて ぱてゼミは別に、キャラクターとして初音ミクを見ることを否定してるわけではないよ?
ラワイル でも私はかなり「女の子」としてミクが好きで……。家ではいつもミクのぬいぐるみを抱いて寝ています(笑)
──では、作曲手段としてのボーカロイドは
ぱて Thanatosさんは受講前から作曲をしてましたね。
Thanatos バンドで音楽を作っていました。クラリネットの曲とか。作りたい曲は歌ものだったんですが、私の作曲力の低さから人間には難しすぎる曲ばかりで……。最近作ったのは12度跳躍させているので。
ぱて 人間の喉の限界に束縛されたくなかった?
Thanatos 上手い人なら普通に歌えるはずなんですが、自分含め周囲に歌のうまい人がいなくて。
ぱて Thanatosさんの言う「歌がうまい」の基準を確認する必要がありますね(笑)
はやてにゃん 僕もThanatosさんと同じく、ボーカロイドを楽器として捉えています。でもThanatosさんは人の可能性を引き出していく方向でそれを話していたけど、僕は逆で、ボーカロイドが人じゃないからこそうれしい。声を人に寄せる技術も最近はあるけど、僕にとってはうれしくない。肉声で曲に雑味が入るのが嫌なのかもしれません。
──ぱてゼミの授業後に演奏会をしたことがありました。Miriさんはボーカルでしたが、歌う立場としては
Miri 私は声を出すのが好きなんです。今入っている躰道(たいどう)部も、畳の上で堂々と声を出せることが入部理由の15パーセントくらいを占めています。
──すると、ボカロ曲は歌う機会を奪う曲のようでもありますね。作曲の際、歌うことは意識していますか
Miri 口ずさみながら作るので、人間に歌えない曲は作ったことがないかも。
──Thanatosさんと逆ですね。では、Miriさんはなぜボカロ曲を選んだのでしょう
Miri 始めやすかったのと……、カラオケでみんなが100点を取れないように、自分の声でも思い通りにならないことがあるじゃないですか。ボーカロイドはそこを自在にできて、いろいろ探って発見しやすいから。声質も変幻自在なんですよ。
ぱてゼミへの思い
──ぱてゼミはどのような場所でしょうか
Miri ぱてゼミにいるから作曲しなきゃいけないとか、作曲しているからぱてゼミにいるというのはないです。もちろん切り離せない要素ではあるんですけど。
ぱて 冒頭で言った通り、創作活動をしていないから居場所がないとは絶対に感じさせたくないです。
はやてにゃん ボカロはマイナーな文化だと思いますが、マイナーだとありがちな、疎外されての集まりとかボカロを一番に置いた集まりとかではないのが良い点だと思っています。単純に好きだと言い合える環境です。
──マイナーな属性だからとそれをアイデンティティーにしなくて良いのはありがたいですね
ぱて 音楽の趣味もそうですが、ジェンダーや人種的バックグラウンドなどについても、どんな属性であろうと疎外を感じない場でありたいと思っています。
Thanatos あと安易に踏み込まない距離感は心地良いです。私は大体の人の本名を知らないので。
ぱて ハンドルネームは国籍もジェンダーも表出しないので、ゼミ内では使用を推奨しています。
Thanatos コロナ以前は授業後にメイツでよく外食に行っていましたが、それがなくてもTwitterをしている人が多いので気楽に付き合えますね。
──講義中には「#東大ぱてゼミ」を付けた実況がTwitterで盛り上がります。コロナ禍でオンライン授業だった時期もわいわいやっている感覚がありました
Miri 学年や科類が違う人含め、緩くつながってボカロカラオケに行けたり、Discord(オンラインコミュニケーションツール)で学科について教わったり……。顔も本名も知らなくても、ぱてゼミメイツというだけで仲良くなれる気がします。
ぱて それは嬉しいな……。ぱて冥利に尽きます。
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