報道特集

2025年2月15日

東大とガザ【後編】大学はパレスチナ問題とどう向き合うか 岡真理教授インタビュー

 

 2023年10月に始まったパレスチナ・イスラエル間の武力衝突は、15カ月にわたる戦闘の末、今年1月19日に停戦が発効した。徐々に人質の解放が進んでいる一方で、ガザ地区では人道的危機が今もなお続く。東大では、学生や教職員による即時停戦を求める署名活動、学習ゼミ、連帯キャンプなど、多様な活動が展開されている。前期教養課程でのパレスチナ問題に関する授業の開講や、大学院情報学環でのアルジャジーラ(中東・カタールの衛星テレビ局)とのVRコンテンツの共同開発など部局単位での取り組みは見られるが、大学としての声明はまだ発出されていない。東大で広がる連帯の動きに、大学はどう応えるのか。取材・渡邊詩恵奈)

 

【前編はこちら

 

岡真理教授に聞く「社会正義」が問いかけるパレスチナ問題

 

 イスラエルによるガザ攻撃が続く中、東大では2024年度のAセメスターに社会正義の観点からパレスチナ問題の本質を見つめる「社会正義論」が開講された。学生らは授業を通じて、「パレスチナ問題」をどう受け止め、どのような学びを得たのか。本講義の背景や意義について本年度の講義を担当する岡真理教授(早稲田大学)に話を聞いた。

 

──本年度Aセメスター開講の「社会正義論」を担当することになった経緯は

 2023年10月7日に始まったイスラエルによるガザに対するジェノサイド攻撃が継続しているという状況下で、パレスチナに関する基本事項を学生に共有する必要があると福永玄弥先生など東大教養学部附属教養教育高度化機構D&I部門の方々がお考えになったようです。23年の11月末に開講依頼をいただき、私としても喜んで引き受けました。とりわけ前期教養課程の授業ということで、専門にかかわらず幅広い学生にパレスチナのことを知ってもらう良い機会だと思いました。

 

──「社会正義論」の授業ではパレスチナ問題に関して、具体的にどういった内容を扱っていますか

 ガザへの攻撃は2008年から09年にかけての攻撃以来、これまで何度も繰り返されてきましたが、今回は、これまでとは比較にならない異次元の規模の攻撃が、15カ月以上も続きました。ガザでは、紛れもない大量殺戮(さつりく)や戦略の一環として飢餓が起きています。ドミサイド(意図的な住居の大量破壊)で住民の8割以上が家を破壊され、医療システムも組織的に破壊されました。イスラエルがそもそも入植者植民地主義の国であり、民族浄化の暴力によって建国された、ユダヤ人至上主義のアパルトヘイト国家であることを問わなけれなりません。今回の攻撃は、まさに21世紀のホロコーストとも言うべき、人類の現代史における類例のない事態です。主流メディアの報道では、そこまでの事態であるという認識は持ち得ません。この現実をまず、認識してもらいたいと思います。

 

 授業では、こうした状況が今回の侵攻で始まったわけではないという点を強調しました。主流メディアは起きている事態の本質を報道しませんし、その事態が由来する歴史的文脈をむしろ隠蔽(いんぺい)しています。何が今の事態をもたらしたのか、問題の根源とは何なのかを伝えることに注力しました。さらに、これはイスラエルという国だけの問題ではなく、近代の植民地主義が作り上げた現代世界における、西側諸国など日本を含めた世界規模の、人種化された収奪のシステムが背景にあります。来年度はこうした点も掘り下げた授業ができれば良いなと考えています。

 

──D&I科目として開講されているという観点から意識していることはありますか

 米国大統領選に関する報道で、女性嫌悪が強いアメリカ社会で女性のハリスが大統領になったら世界中の女性たちに勇気を与えるだろうという知識人の発言が紹介されていました。しかし、ガザでは、度重なる避難と攻撃下の生活の中、多くの女性が流産し、麻酔薬もないまま帝王切開し、出産後数時間で新生児を抱いて何時間も歩いてテントに帰るという過酷な現実が続いています。ハリスは、イスラエルのジェノサイドと共犯するバイデン政権の副大統領で、この戦争犯罪の責任者のひとりです。その彼女が大統領になっても、パレスチナ人の女性は、決して勇気づけられません。「世界の女性」に、彼女たちは入っていないのです。私たちが「人間」や「世界の女性」を語るとき、誰がその中から排除されているのか考える必要があります。パレスチナを考えることはグローバルな意味でのD&Iにもつながります。

 

──授業を通じて学生に学んでもらいたいことは

 前期教養課程の授業なので「社会正義論」はいろいろ関心を持った方が履修しています。ホロコーストやヒロシマ・ナガサキが、人間にとって普遍的な問題であるならば、ガザのジェノサイドも同じです。しかも、その歴史的な根っこは、ヨーロッパの植民地主義やナショナリズム、反ユダヤ主義にあります。しかし、ヨーロッパを専門とする日本の人文学者たちの多くは、この出来事を自分たちとは無関係な特殊事例のように捉えているように感じます。パレスチナ問題は中東の研究者だけに関わることとする態度は、人文学それ自体の死にも等しいと思います。直接的な専門領域にかかわらず、私たち一人一人がこの問題にどう関わっているのかについての自覚を、授業を通して促したいと思っています。

 

──学生からの反応はどうでしたか

 都市設計に関わりたいという工学部の学生が、ガザの大量破壊の現実を知って、都市設計という仕事がいったい何を意味するのか、疑問を抱いたと言っていました。一つの街全体を瓦礫(がれき)の山にしてしまうような暴力的事態が起きているのに、あたかもそのような現実が存在しないかのように都市設計を続けることなどできないというのは、当然の反応だと思います。工学教育の中でも平和教育が重要な構成要素として位置付けられています。平和でなければ都市設計はできないという点を理解してもらえたことが非常にうれしく感じました。

 

 受講生の中には積極的にパレスチナに関する情報を追っている人もそうでない人もいるので、知識の量によって、授業を聞いてどういう疑問や感想を持つかも違ってきます。一方的にパレスチナの側に立った、政治的に偏った内容と受け止める人もいます。この問題が、歴史的な植民地主義やレイシズムに基づく人権抑圧の問題であることを理解していないと、「中立」ではないことを否定的にとらえてしまうでしょう。イスラエル側の主張を検証せずに報道する日本の主流メディアの言論空間自体が、極めてイスラエル寄りだという認識や、「中立」とは何を意味するのか、そこに抑圧があるとき「中立」は抑圧に加担することになるという批判的な思考が必要です。また、高校の時に世界史を選択していない人がいるということも衝撃でした。確かに京都大学で教えていた時も「入試で世界史をとらなかった」と言う学生はいましたが、高校で世界史が未履修という場合があり得るというのは、現代世界を私たちが認識する上で大きな問題です。

 

──パレスチナ問題に対する東大としての対応に関してどうお考えでしょうか

 東大や日本の諸大学だけではなく、例えば医師会や弁護士会、ジャーナリズムに携わる者がパレスチナで起きていることの内実を理解していたら、声明を発出して当然だと思います。龍谷大学などは即時停戦を求める声明などをいち早く出していますが、私がいる早稲田大学にせよ東大にせよ、大学として声明を出さないというのは、西側諸国を中心とした既存の世界システムの中に組み込まれているからでしょう。大学自体を学内の者として批判していき、その学知が何のためのものか問うことが必要です。声明を出さないのは、人権や平和、民主主義が大学にとって体裁の良い標語に過ぎないということを物語っていると思います。

 

──学生によるパレスチナ連帯のアクションが実施されています

 今、多くの若い人たちが声を上げ、行動を起こしているのは、ある意味で希望を与えるものだと思います。「ある意味で」という留保をつけたのは、そうした行動がこの未曽有のジェノサイドがあったからこそ起こったということを忘れてはいけないからです。一般市民の関心がここまで高まっているのも、主流メディアの不十分な報道でも、ガザで起きていることが大量殺戮に他ならないことが共有されているからこそです。

 

 SNSの普及によりパレスチナの情報が共有され、運動に結実しています。ただ、SNSがなかった頃は主流メディアが報じる情報が社会的にある程度共有されていましたが、今や新聞やテレビが事態を十分に報じない中、SNSで現地の情報を積極的に得る者と全くアクセスしない者との間に分断が生じています。学生や若者による運動がSNSで共有されて盛り上がりを見せる一方、それが社会的には限定的なものになっている。政府企業、大学がイスラエルとの関係性を重視して、ジェノサイドを行っているイスラエルを抑制できていない現実があります。これを止めさせるために、運動をどう全市民的なものとして広げていくかが今後の大きな課題です。

 

──パレスチナ問題や今回の侵攻に関して、読者が最低限知っておくべきことは

 1年以上さまざまな場所で話をしてきて、パレスチナ問題についてしっかり理解するには、その歴史的起源に関わる「植民地主義」の理解が重要であると感じています。パレスチナ問題の根幹をなす植民地主義や占領は、日本自身が歴史的にも今日的にも行っていることです。満州国建設やアイヌ・モシリの侵略は入植者植民地主義です。私たちはそれを世界史や日本史の授業で学びますが、問題なのは「植民地主義」とは何か、「占領」というものがどれほど暴力的であるのかについてはほとんど教わっていないことです。「植民地支配をした」「占領した」ということは知っていても、支配される側、占領される側にとってそれは、具体的にどのような暴力であったのか。

 

 日本によるアジア諸国、そして沖縄やアイヌ・モシリへの歴史的かつ今日的な暴力を正しく知っていたら、パレスチナ問題とイスラエルの関係についても理解できると思います。しかし、そうした理解の基盤がないまま「植民地主義」という言葉で説明しても、素通りされてしまうのが現実です。この問題を単にパレスチナや中東の問題として捉えのではなく、日本やアジアにおける私たち自身の歴史との連関で捉えることが大切です。

 

──パレスチナ問題を根本的に解決するために、一人一人にできることは

 パレスチナ問題に直接取り組むと同時に、日本の私たちは、日本社会の脱植民地化に取り組む必要があります。そして、パレスチナ人に対する暴力の上にしか成り立たないイスラエルという国家が、日本社会において同盟国として強固に位置付けられている現状を変える必要があります。そのためにはイスラエルという国家がどのような国家であるのかを、一人一人がしっかりと理解し、周りの人々とその認識を共有すること。主流メディアに問題の本質を報道するよう働きかけると同時に、現状のシステムによって成り立つ企業メディアの報道には限界があるので、主流メディア以外の手段を通じて、正しい認識を社会に広めていく努力をしなければならないと考えます。

 

 これまでは、攻撃で多くの人々が殺されても、停戦になるとすぐに忘れ去られてきました。メディアは戦争が起きたときだけ注目し、停戦になると問題は解決したかのように扱います。しかし、問題の根源はイスラエルの入植者植民地主義とアパルトヘイト体制という歴史的、政治的な不正です。問題のこの根本を抜きにしてパレスチナの平和も世界の平和もありません。

 

停戦発効を受けて

 ガザでは今年1月19日に停戦が発効し、イスラエル側の人質・捕虜と、イスラエルの刑務所に勾留されていたパレスチナ人の被収容者たちの解放が進行し、27日には避難民の北部帰還も始まった。停戦によりミサイルなどによる大規模な攻撃は停止しているものの、イスラエル軍は停戦を侵犯し、パレスチナ人住民の殺害は続いている。ガザの停戦が恒久停戦となるかは予断を許さない。一方、西岸に対するイスラエル軍の攻撃は激化の一途をたどっている。国際社会がイスラエルの戦争犯罪を裁き、国際法違反の占領を止めさせ、そのアパルトヘイトに終止符を打つことなくして、パレスチナの平和も、世界の平和もない。

 

岡真理(おか・まり)教授(早稲田大学)/88年東京外国語大学大学院修士課程修了。京都大学大学院教授などを経て、23年より現職。専門は現代アラブ文学、パレスチナ問題。著書に『アラブ、祈りとしての文学』、『ガザに地下鉄が走る日』(以上、みすず書房)、『ガザとは何か』(大和書房)ほか。
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