キャンパスライフ

2015年12月29日

パレスチナ西岸自治区の治安【パレスチナ留学記3】

パレスチナ社会の地域コミュニティ

 パレスチナの治安状況について説明するには、大きく二つの側面から判断するとわかりやすいように思う。すなわち一般犯罪と政治情勢の変化である。なお現在立ち入りが厳しく制限されているガザ地区の実際の治安状況に関しては私の能く知るところではないため、本稿ではパレスチナ西岸地区の状況についてのみ説明するにとどめたい。

 まず一般犯罪についてだが、西岸地区の大体の場所は安全と言える。統計などの数字で調べたことはないが、生活実感から言って窃盗や殺人、強盗などの一般犯罪は非常に少ない。小学校低学年の子供たちが、自分たちだけで通学する姿は日常の風景だ。この要因の一つとして、地域の人たちで保たれている濃密な人間関係が考えられる。一般的にパレスチナのほとんどの町、村では地域コミュニティが大変強固かつ濃密だ。

 私の住むナブルスは西岸地区の中では、西岸地区南部のヘブロンに次ぐ第二番目に大きな都市で、およそ17万人(東京都台東区ほど)が暮らす。決して小さな田舎町ではないナブルスでさえ、近所同士が家族関係や各世帯あたりの人数まで事細かに把握していることが珍しくない。こうした近所同士の濃い人間関係と強固な地域コミュニティが、犯罪の抑止に貢献している側面は大いにあろう。

 実際私が現在の旧市街近くの住まいに引越しをした際、その一週間後には、私の名前、ナブルスの大学でアラビア語を勉強していること、同居人の数と国籍くらいまでの基本情報が近所中に知れ渡っていた。朝近所のパン屋に買い物に行くまでの数十メートルの間に、近所のおじさん数人に「おーい調子はどうだ?」と大声で話しかけられるのが普通だ。話した覚えのないパレスチナ人にまで、自分の名前を呼ばれ「ウェルカム、ウェルカム!」と叫ばれることもままある。3分で終わるはずの買い物が途中の道での立ち話で20分かかることも日常茶飯事だ。

 パレスチナ人は見知らぬ人、特に彼らが見慣れない東アジア系の顔だったりすると、とにかく話しかけてくる。それは単に自分の住む近所だけでなく、西岸のどの町を歩いていようが起きることで、これはパレスチナ人の公共空間での人と人の距離感の近さを物語っているようにも思う。こうした人間同士の心理的な距離感の近さが、強固な地域コミュニティの構築に深く関係しているということはこちらに来て発見したことの一つだ。

 

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カメラを手に歩いていると、しばしば「写真を撮ってくれ」と道端のおじさんに頼まれ、写真を撮ったあとには決まって「コーヒーでも飲んでいけ」と気さくに話しかけてくれる。よそ者に対する好奇心とホスピタリティは多くのパレスチナ人に共通する精神だ。西岸地区トゥルカレムにて。(筆者撮影)

 

西岸自治区の実際の支配者

 さてイスラエル・パレスチナ問題がいかに実生活に影響するかは様々な観点から見ることが出来るが、本稿では西岸自治区を誰が実際にコントロールしているかという点から考察してみたい。「自治区」と言うからには専らパレスチナ自治政府が統治しているのかというと、実はそうではない。

 パレスチナ西岸自治区は95年のオスロⅡ協定に則って、現在A地区、B地区、C地区に分かれている。A地区はパレスチナ自治政府(Palestinian Authority。以下 PA。)の行政権および治安権の下に置かれ、B地区はPAが行政権を保持し、治安権はイスラエル政府とPA双方が共同で保持する地域、C地区はイスラエル政府の管轄下に置かれている。各地区の比率だが、A地区が西岸全体の約3%、B地区が約25%、C地区が約72%となっており、大半の地域がイスラエル側の管轄下にあることが分かる[i]。以下の画像はやや細かいが、西岸地区のA地区とB地区がそれぞれ小さな島状に孤立している様子がよく分かる。

 

Oslo-II
出典:PASSIA- Palestinian Academic Society for the Study of International Affairs (http://www.passia.org/palestine_facts/MAPS/0_pal_facts_MAPS.htm

 

 前掲の地図からもお分かりのように主要都市部や近郊村落はPAが管理しているわけだが、主要都市間を結ぶ幹線道路沿いの地域、および東隣のヨルダンとの国境地帯は全てイスラエルが管理するC地区だ。西岸地区およびガザ地区で使用されている通貨単位はシェケル(ILS: Israeli New Shekel)で、中央銀行もイスラエル銀行である。国境管理や、イスラエル側との境界の検問所、西岸地区内の幹線道路沿いにある多数の検問所も全てイスラエルが管轄している。ひとたび幹線道路沿いの検問所を封鎖すれば、西岸地区内の物流・人の流れをいつでも恣意的に閉塞することが出来る。

 PAが管理するA地区であっても、深夜にイスラエル兵が侵入し「国防上の理由」で法的手続きなしにパレスチナ人を無期限に勾留、逮捕することもままある。ちなみにPAにも独自の治安部隊が存在するが、ハマースの構成員を法的手続き無しに勾留、逮捕する例も多く、イスラエル側の要請を受けてハマース以外にもファタハの構成員を逮捕することもしばしばだという。

 この背景にはオスロ合意で定められたPAとイスラエルの治安部門での協力に関する条項と、アラファトらが率いてきた世俗主義政党のファタハと、現在大衆レベルで支持を集めているイスラーム主義運動のハマースとの間での激しい党派抗争との二つが考えられる。つまりこうした「危険分子」の摘発はPA、イスラエル双方の利害に叶うところでもあるのだ。「PAの治安部隊はパレスチナ人ではなく、イスラエルを守るためのものだ」と話すパレスチナ人もいるほどだ。

 

西岸地区からエルサレムへ通じるカランディア検問所にて。(筆者撮影)
西岸地区からエルサレムへ通じるカランディア検問所にて。(筆者撮影)

 

 こうしたパレスチナ自治区での現状を「イスラエル政府とPAの共同管理」と呼ぶか、「イスラエルによるパレスチナ自治区の違法占領」と呼ぶかは議論百出の問題だ。

 イスラエル側は自国市民に対する「テロ」対策の一環であり、治安上の理由からとっている仕方のない政策としているが、パレスチナ人にとっては日常生活を大きく制限する問題でもある。彼らはいつ兵士に尋問されてもいいように常にIDを携帯している。また分離壁の建設により西岸地区に居住する多くのパレスチナ人がエルサレムを訪れることは出来なくなった。パレスチナ人の恣意的な逮捕・勾留、家屋・農地破壊、交通網の封鎖なども日常茶飯事である。こうしたイスラエル軍やユダヤ人入植者による軍事的な占領を背景とする権力の濫用の例は枚挙に暇がない。

 他方でPAも先の治安部門でのイスラエル政府との協力関係に見られたように、自らの利害に合わせて「共同管理」を実践している側面もある。皮肉なことにこうした「共同管理」のために、西岸地区でパレスチナ人の武装集団が力を持つことは困難であり、占領下での安定した治安といういびつな現実に帰結しているとも言えるのではないだろうか。

 

最近の治安情勢

 最後に補足的に最近の治安情勢について記したい。2015年9月中旬、エルサレムにあるイスラーム第三の聖地であるアル・アクサー・コンパウンド(「神殿の丘」[ii])で、ユダヤ教の祝祭に合わせて、イスラエル当局によって聖域内のパレスチナ人の強制退去が実施された。この事件をきっかけに、パレスチナ人によるイスラエル人を狙ったナイフによる殺傷事件が各地で発生。これに対し西岸内でもユダヤ人入植者たちによる報復的暴力行為が続いている。現地アラビア語紙では「ナイフのインティファーダ」「第三次インティファーダ」などと呼称されているが、過去二回のインティファーダとは性質・規模ともに大きく異なる[iii]。

 2015年12月現在は、一時期のように西岸の各都市周辺の検問所やパレスチナ難民キャンプ、ユダヤ人入植地付近などで、イスラエル軍とパレスチナ人デモ隊間での大規模衝突が毎日のように発生することはなくなり、情勢も緩やかに沈静化に向かっているように思われる。ただユダヤ人入植地によって旧市街中心が占拠され続けているヘブロン市内では、現在も入植者やイスラエル兵によってパレスチナ人が殺害される事件が数日おきに発生しており、予断を許さない状況だ。

 筆者がパレスチナに到着したのは8月だが、この一連の事件による自分の住むナブルスの状況の大きな変化や危険の増加は、生活実感レベルではほとんどない。しかし夜間のイスラエル兵のナブルス市街地への侵入は行われていたようだったし、10月初めから現在までに数度、ナブルスに通じる全ての幹線道路上の検問所が一時的に封鎖されたこともあった。しかし、こうした封鎖や夜間の兵士の巡回は事件前からも起きていたことだったし、西岸地区全体としての治安は依然として安定している。

 一方で逮捕者や死者、戒厳令、交通網の封鎖は、難民キャンプや入植地周辺の村落をはじめとする社会基盤がより脆弱な地域でより深刻な影響を与えているようにも思う。主要都市内部に住み、それらの影響を被りにくい人々は、ニュースで心を痛めつつも平穏な日常を過ごしている人も多い。外国人である私は占領の影響を被りにくい人々の筆頭であり、その枠の中での安穏を享受している身に過ぎないのだ。

 

[i] 参考(http://www.biu.ac.il/SOC/besa/books/maps.htm

[ii] バビロン捕囚からの帰還後にエルサレムに再建されたヤハウェ崇拝のための第二神殿の跡地でもあり、ユダヤ教にとっても宗教上重要な場所である。

[iii] より詳しくは、Newsweek日本版『「名前はまだない」パレスチナの蜂起』(http://www.newsweekjapan.jp/column/sakai/2015/10/post-947_1.php

 

(文・田中雅人)


「イスラーム世界」との邂逅【連載パレスチナ留学記1】

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パレスチナ西岸自治区の治安【パレスチナ留学記3】

聖夜の空に揺れるパレスチナ国旗(前編)【パレスチナ留学記4】

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