ヒトはどのようにしてことばを獲得したのか。また、新たな言語はどのようにして誕生してきたのか。「言語の発生」というテーマの下、言語起源、そして異言語同士の接触で生まれるクレオール語について、それぞれの分野の専門家に話を聞いた。
(取材・米原有里)
歌から単語、そして文法へ
鳴き声である程度のコミュニケーションをとる動物ならたくさんいる。しかしその中でもことばを使う能力はヒト特有のものだ。なぜ、ヒトはことばを獲得するに至ったのか。言語の起源について、岡ノ谷一夫教授(総合文化研究科)は歌が鍵を握るのではないかと考える。
動物の鳴き声とコミュニケーションの研究を重ねてきた岡ノ谷教授は「ことばを使う能力はヒトのみのものですが、原型は他の動物の中にあるはずだと思い歌に目を付けました」と語る。「全ての言語は音と意味の組み合わせで成り立っています。ことばを使うために必要となる、聞いた音を模倣する能力は、動物では歌で多く見られるからです」。鳥類やクジラ類の多くや、コウモリ目の一部では、求愛・縄張り防衛などのための歌を他の個体から学んでいるという。「ヒトも最初は、歌全体にはある程度意味があるけれど、その一部を取り出しても意味のない、単語の存在しない歌から始まったのではないでしょうか。後に歌の一部が切り出されて意味を持ち、単語になっていったという仮説を立てています」
歌から単語を取り出すようになった後、どのようにして高度な情報を伝達する言語にまで発展したのか。ここでは文法が重要になってくる。「文法の発生については、道具を作る能力が関係してくると考えます」。例えば石器に木の棒を付けると銛になり、銛に弓を付けると弓矢になる(図1)。このように二つのものを組み合わせてさらに第三の物を作り、道具をより複雑化できたのは人間だけだという。「階層的な組み合わせを作る能力が歌にも適用され、歌要素の組み合わせを変えると意味が変わるというシステムが出来上がったなら、これはすでに原始的なことばですよね」
すなわち、歌から単語を切り出す能力に、階層的な組み合わせを作る能力が合わさった時、言語の原型が生まれたというわけだ。「おそらくホモ・サピエンスは約10万年前に言語の原型を獲得した後、世界中に散らばっていったのだと思います」(図2) 。当初は同じものであったホモ・サピエンスのことばは、地理的な隔離により変化し、現在の多様な言語につながっていると岡ノ谷教授は考える。「その仮説を裏付けるかのように、全ての言語は主語・述語・目的語で構成されており、語順も大きく二つのみに分類されます」。それでも世界の言語は大きく違うように感じるかもしれないが、同じ種類の鳥の歌も山によって違う。文法や単語は地理的隔離によって数世代ですぐに変わるものだという。
ことばの起源についてはつい最近まで学術的な研究がしにくいものとされてきた。1866年にはパリ言語学会により言語の起源の研究が禁止され「言語の起源はミステリーである」と言語学者の間でも信じられてきた。しかし、20世紀末、言語の起源に関する仮説が科学的な知識と矛盾しないかどうか検証可能になり、パリ言語学会の研究禁止令も取り下げられた。「言語の起源は歴史が入ってくるので正解が分かりませんが、生物学的な矛盾のない仮説を作ることが重要です」
異言語同士の出会いも契機に
現在世界では何千もの多様な言語が話されている。元は同じだったものが地理的隔離を経て新たな言語となることもあれば、人の移動による異なる言語同士の出会いがクレオール語と呼ばれる新しい言語を生み出すこともある。
共通の言語を持たない二つ以上の集団が意思疎通のために形成する言語を「ピジン」という。ピジンは多くの場合文法が簡略、語彙数が少ないという特徴を持ち、その場限りのものにすぎない。しかし、時にピジンを母語として獲得する話者が出現し、その言語を「クレオール語」という。代表的なクレオール語にはポルトガルにより支配された西アフリカのカボ・ベルデクレオールやギニア・ビサウクレオールがある(図3)。その他日本統治時代の台湾で生まれた宜蘭クレオールなど、植民地支配とともに生まれるケースが多い。
異なる言語同士が出合ったとき、互いにどのような影響を与えるのだろうか。学部3年次の留学先のポルトガルでクレオール語に触れて以来クレオール諸語の研究を進める市之瀬敦教授(上智大学)は「まず初めに起こると考えられるのが単語の借用です」と語る。歴史上、商取引の場面などで力のある集団の言語の単語をベースとして、ピジンが生まれることもあった(図4)。「密な交流が進むと、それまでなかった発音や文法までもが借用されるようになることもあります」
ピジンを母語とする話者が現れ、クレオール語が定着するにはどのような条件が必要なのだろうか。「よく言われるのが島嶼性、つまり閉じられた空間であることです」。実際、ハワイ島やプランテーションなど閉鎖的な空間でクレオール語は発達している。「支配者の言語に容易に接触できるとその言語を身に付けられてしまうので、ある程度遠い存在でありつつ接触不可能でもない距離であることが重要です」。クレオール語が生まれやすい条件として、支配者:被支配者の具体的な比率を指摘する研究もある。
クレオール語では政治・経済・軍事的な「支配・被支配」の関係がそのまま「語彙提供言語・被提供言語」の関係に反映されることがほとんどだ。「支配している側の言語が、元からあったことばに覆いかぶさる形ですね」。そのためマカオやマラッカなど、ナショナリズム意識の高揚を見せたアジアでは、かつて多くの地で話されていたクレオール語はすでに消滅しつつある。しかし「アフリカのカボ・ベルデでは国中どこでもクレオール語を喋りますし、公用語にしようとの動きもあります」。クレオール語は人々のアイデンティティーともなっている。
世界では英語一極化が進み、いわば「英語帝国主義」の下、世界の少数言語は消滅の危機にひんしている。しかし「英語一極化が進んでも世界各地で現地の言語の影響を受け、多種多様な形態の英語が生まれています」。言語同士の相互作用で、いつ何時新たな言語が生まれるかも知れない。「言語数が減っても僕たちにはクレオール語を作る能力があるんですから」
この記事は2019年12月10日号から転載したものです。本紙では他にもオリジナルの記事を公開しています。
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