2015年11月12日(木)〜16日(月)、東京大学大学院 学際情報学府の学生を主体に開催されているメディアアートの展覧会である「東京大学制作展 iii Exhibition」が本郷キャンパス工学部2号館 にて開催される。2004年に講義の一環として始まって以来毎年行われているこの制作展は、数多くの東大卒メディアアーティスト・クリエイターを輩出していることでも知られている。メディアアーティスト・筑波大学助教として多方面に活躍の場を広げている落合陽一氏も、OBの一人だ。
本記事では、落合陽一氏に「メディアアートとは何か、その歴史と今」そして「落合陽一とは何者か、その歴史と今」、2つのテーマについて話を伺った。
落合陽一/1987年生の28歳.メディアアーティスト,筑波大学助教.デジタルネイチャー研究室主宰.巷では現代の魔法使いと呼ばれている.筑波大でメディア芸術を学んだ後,東京大学を短縮修了して博士号を取得.2015年5月より筑波大学助教,デジタルネイチャー研究室を主宰している.経産省より未踏スーパークリエータ,総務省の変な人プロジェクト異能vationに選ばれた、2015年にはWorld Technology Award Finalistに選出(全世界のITハードウェア部門で2015年を代表とする7人)など、国内外の受賞多数.
−−「メディアアート」って、分かるような分からないような気がして、いまいち掴めません。落合さんの「メディアアート」の定義ってなんですか?
「新しいメディアを発明すること」だね。
−−発明、ですか。表現の方に主眼を置くのではなく。
そこは難しくて、たとえば映画コンテンツはメディアアートとは呼ばれないですよね。
70年代から00年代くらいまでは新しいコンピュータメディア装置が勝手にどんどん発明されていたから、ニューメディアを芸術表現にとりこむことによって比較的簡単にメディアアートが存在することが出来ていたんですよ。
でも今は、メディアが勝手に発明されることはほとんどない。
−−発明され尽くしたのですか?
視覚芸術という観点ではほとんどそうだね。
今の時代、あらゆるものはインターネットというメディアの下部組織になっちゃっている。すると、SNSやらなにやら、あらゆるものがメディアではなくコンテンツ的になってしまうわけです。
だから、インターネット上のプラットフォームという枠組みからどうやって外に出るかを考えていく必要がある。 まぁ、マッチョな意見であることは自覚してるけどね。
−−時代の変化に伴って、「メディアアート」の枠組みも変化してきているんですか?
そう思うよ。 今と昔だとだいぶ変わってきたと思う。
だからメディアアートの歴史について知っておく必要があるんだけど、デュシャン、ナム・ジュン・パイク、岩井俊雄・・・知ってる?
知らないのちょっと、まずいよ(笑)
■メディアアートは、いかにして生まれてきたのか
まず抑えておくべきなのは、デュシャンとケージ。
20世紀はデュシャンとケージによる芸術の逆定義の時代だった。
彼らによって勃発した芸術に関する自己定義は、「『芸術とはどういう形で存在しうるか?』と問う文脈ことが芸術活動そのものである」というもので、 既製品の便器を持ってきて置くだけのデュシャンの作品や、音がまったくしないケージの音楽はある種その象徴となっている。 つまり、この時代にはある種の押し問答と原理と文脈の混在によって、芸術が可能となっていたんですね。
そして初めてメディアアートが「メディアアート」と呼ばれるようになったのが、ナム・ジュン・パイクが登場したあたりから。
ナム・ジュン・パイクの問いかけは、「ビデオを使って彫刻をつくったら、見る時によって変わるような、変幻性を持つ彫刻作品をつくれるんじゃないか?」というもので、
つまり、作品の中にある種のメディア性が生まれるわけですよ。
単なるビデオアートを踏み越えて、メディアと組み合わせることによる新しい芸術ジャンルの発明が行われた時代が、ナム・ジュン・パイクの時代だった。
で、これが岩井俊雄と坂本龍一のMPI×IPMという作品。
坂本龍一の演奏が空中の半透明スクリーンにむかって広がっていくものなんだけど、今のPerfumeの半透明スクリーンプロジェクションとメディアとしてはほとんど変わんないよね。
だから、Perfumeの広告演出それ自体はメディアアートではないと思うんですよ。 今でいうチームラボ的なスクリーンを用いたインタラクティブメディア的なメディア装置も、90年代のdumb typeなどのアーティストによって構成自体はやり尽くされちゃっているんですよね。
だけど90年代には、プロジェクタ・空中スクリーン・音楽をメディアとして用いて、メディアを発明しながら作品を作るということが可能だったんですよ。誰もやっていなかったから。
僕の中では、この時代にインタラクティブな映像装置を仕込むことで成立するようなメディアの開拓は終わってしまったと思っている。
■「今」のメディアアート
こういった90年代のメディアアートを超えて、今のメディアアートがどう出来てきたのかがすごく重要なわけです。
この前六本木アートナイトのときに八谷和彦さんが「メディアアートは溶けた」という話をしたんだけど、今のメディアアートって、一般人には一見訳分からない方向に向いているんだよね。
たとえば、2010年のArs Electronica(注:メディアアートの世界的祭典)でゴールデンニカ(最優秀賞)をとった「The EyeWriter」は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)にかかってしまったグラフィティアーティストにアイトラッカーをつけることで、目線の動きで絵が描けるようにするっていうプロジェクトなんだけど、 これって古典的な作品って概念は超えていて、どちらかと言うとアートとテクノロジーを含んだ社会運動に近い形じゃん?
でも今、こういうものも広義のアートというか芸術活動として成立するんだよ。
同じチームが3Dプリンターで安価な義手を作る「Project Daniel」っていう活動もやっていて、 何にも知らない人が見たら、
「義手のどこがアートなんだ?」って感じがするでしょ?
でも、もともと義手がなかったところに、メディア装置を使って新しい腕を作る仕組みを生み出しているという意味では、たしかに新しいメディアは作っているんだよね。
だけど、プロジェクタとスクリーンによるアートは、もう「プロジェクタスクリーンアート」と呼ぶしかない。新しいメディアの発明にはならないわけですよ。 もちろん斬新なアルゴリズムや情報科学的な発明があれば別だけれど、映像装置が投影してそこに何か写っているだけじゃダメになってきた。こういった流れで、メディアをどう再定義するか、そしてそれを表現につなげられるかが重要になってきているんです。
だから、今の時代に「芸術行為はどうやって可能になるか?」ということを考えると、
20世紀のコンテンポラリーアートのように文脈的に押し問答することじゃなくて、芸術の枠をどう広げられるか?を考えることだと思うんだよね。 より原理的なところから再考しないといけなくなっている。
■映像と物質の区別がつかなくなる世界を作る
でも今の現代芸術にも、「人間はどこまで可能か?」というもので、当代どこまで表現可能か? というコンテクストを追求している人たちもいる。僕もそこにすごく興味がある。だから、人間が今作る一番斬新なメディアってなんだろう、ということをずっと考えています。 僕はその辺のことをテクノロジーを研究することで頑張ってる。
たとえば、光に触れるようになったら、「人間と映像」との関係は、「人間と物質」との関係を超えると思いません?それで、3Dプリンターでもアニメーションでもないメディア、つまり物質でも映像でもない新しいメディアを発明できるかもしれない。そういうような二次元パースペクティブを超えた空間、三次元に溶けていくような表現やメディア装置の発明をし続けようとしています。ものが浮く空間とかね。
−−インスピレーションはどこから湧いているのでしょう?
難しいね。fairylightsは「プラズマって熱いんすかねー」「どうなんすかねー」「触ってみましょうかー」「あ、熱くない!ピリピリする!(笑)」これは使えるかもしれない! って感じで、完全に好奇心から生まれたんです。
強いて言えば毎年テーマは決めていて、今年は電波、去年は光、一昨年は音でした。テーマを決めると、毎日この素材をどう使うかということだけを考えるようになるので、インスピレーションが湧きやすくなるんじゃないかな。
−−今のメディアアートが歴史の中で定義されてきたように、今の落合さんを知るにあたって落合さんの歴史を知ることってすごい重要だと思っていて。それで、修士くらいのときに何を考えて制作展の作品を作っていたのかな、ということを伺いたくって。
制作展は、いいよねぇ。人によってモチベーションは様々だし、東大でやってると文句言ってくる人もいる。お世辞にもいいとは言い難い。でもそういう環境がたまらない。制作展では、もう本当意味分かんないようなことを色々自由にやりましたよ(笑)。たとえばモノを作る代わりに、予算を全部小銭に変えて会場でひたすらお金を撒くパフォーマンスとか。チャリーン!って音すると、皆人間だから本能的に振り返るんだよね(笑)。お金の音ってサウンドアートとして成立するほど特徴的で。あれは面白かった。
「Human Breadboard」,東京大学制作展2011 Extra,7月,2011
電子回路を作る際に用いる穴の板をブレッドボードという。
本作品ではブレッドボード49枚を正方形に配置し、各々の上に植物や昆虫、人間の生体センサーを配置して様々な回路を作成した。
また、それらは連結され、この作品は全体でひとつの大きな回路をなしている。
配置された脚立の上から見ると全体も一つのブレッドボードを形成している。
本作品はブレッドボードというカンバスに、生き物、人間、コンピュータの共通言語である電気という絵具をもってひとつの世界を形成した。
■制作展では、「みんな死ね!」と思って作品づくりしていました(笑)
−−修士1年から3年間制作展に出展されていますけど、Human Breadboardが制作展での最初の作品ですよね?
これ最初、先生にすごい怒られたんだよね、「コオロギは全部死ぬんですか!?」って。
16世紀—17世紀頃に、「死」を想起させるような絵画を描くヴァニタスというジャンルがあって、
メディアアートでヴァニタスをやるなら、電気で表現するべきだと思ったんですね、生き物や屍体や生花が電気的に接続されていく、大きな回路。16世紀くらいにヴァニタスが書かれた時、カンバスは布貼りのものだった。電気回路にとってのカンバスはブレッドボード(注:回路工作用の板)だから、ヴァニタスをブレットボードで作ろうと思った。 最後人間とつながっているとことかいいなって。
「この作品のメッセージは?」とか聞かれると困ることが多いんだけど、この作品の場合は「みんな死ね!」「死を想え!」がメッセージだったね(笑)。 都市とインターネットの対比からすれば僕らは電気回路に繋がれたコオロギと同じようなものだ、っていう空虚感の表現だったんだけど。れ心拍で1処理分進むマイコンの集まりなんだよね。なんかこの頃コンピュータ嫌いでさ。
−−16世紀のヴァニタスを今の文脈に置き換えてみたときの、ある種の相似性を見つけたということですか?
そうそう。当時の感じと相似性を見つけて作ろうというのは思っていましたね。既製品をちょちょっとコードでつないだだけの安っぽいメディアアートは作りたくなかったので。
−−安っぽいというのは、既存のメディアの上に作られたコンテンツ?
うん。MAKER以降の特徴だけど,なんかすげえ安っぽく感じるんだよね。だから、いろいろ考えないと厳しい。
こういう系だとあとはね、大学3年生の時にはゴキブリを蛍にするっていうのをやってました。その当時の名残でゴキブリを結構飼っててさ、修士1年のときにはゴキブリを持ち歩いたりしてたんだよ。廊下でゴキブリの歩行記録をカメラで観察する実験してたら、暦本先生(注:当時の指導教官)にめっっっっっちゃ怒られた(笑) ペットは学校に連れてこないでくださいって。
■圧倒的に凄い作品は、工学部の学生が生み出す
−−制作展は、文系の学生も理系の学生も一緒になって作品づくりをしているのが特徴ですよね。
美大の子がいっぱいがいるときは、すごくいいときですよ。
−−というのは、価値観の融合が生まれるから?
そうそう。作品を作り込むみたいなことに関して、もともとあまり工学部の学生って興味ないことが多いんだよね。
−−それはありますね。目的の機能さえ満たしてればオッケーみたいな(笑)
だけど、圧倒的に凄いことはやっぱり工学部の学生の方からしか出てこないと思うんだよね。メディアアート見飽きてくると、中途半端に奇麗にまとめてきたデザインよりは荒削りでもいいから圧倒的にすごいものがそこにあったほうがいいんですよ。そのどちらでも無い物を適当に作りました感があるやつが一番ダメで。
−−「安っぽい」コンテンツですか?
そう。kinectを使って心拍をとってみましたとか、昔の自分の所有物をカメラで撮るとなんか出てくるとか、死ぬ程あるでしょ。あと身体を動かすとどうのだの、キラキラして奇麗だの。そういうのはもう、いいんですよ。開発環境のサンプルコードで配って楽しい、っていうやつと変わらないじゃないですか。ハッカソンに出ると腐るほどあるやつ。イノベーションのゴミ箱。
−−こういったセンスはどのように磨かれたのでしょう?
意味的なインパクトを常に意識しておくことは重要で、たとえばPixie Dustの場合、宙にモノを浮かせる技術自体って昔から、1973年からあるんだよね。でも、3次元的にオープンスペースで浮いて滑らかに自由に動くのかそうでないかの差って、意味的には圧倒的な違いなんだよ。
工学部的には一桁の単位の差、もしくは単にワークスペースの拡大でしかないある違いが、圧倒的な違いと思えるかどうか。これはとても重要です。
(取材・文 小川奈美)
後編:世界から「重力、ゲート、繋ぎ目」はなくなる。メディアアーティスト落合陽一さん2
落合さんからのお知らせ
11月27日には初の単著「魔法の世紀」が発売されます。小学館からも啓蒙本が出ます!
11月22日にJ-WAVEの公開収録が明治大学であるので、是非会いに来てください!
制作展のお知らせ
第17回東京大学制作展「わたしエクステンション」は、2015年11月12日(木)〜16日(月)(11:00 – 19:00)東京大学本郷キャンパス工学部2号館 にて開催されます。
落合陽一/1987年生の28歳.メディアアーティスト,筑波大学助教.デジタルネイチャー研究室主宰.巷では現代の魔法使いと呼ばれている.筑波大でメディア芸術を学んだ後,東京大学を短縮修了(飛び級)して博士号を取得.2015年5月より筑波大学助教,落合陽一研究室主宰している.経産省より未踏スーパークリエータ,総務省の変な人プロジェクト異能vationに選ばれた.研究論文はSIGGRAPHなどのCS分野の最難関会議・論文誌に採録された.作品はSIGGRAPH Art Galleryを始めとして様々な場所で展示され,Leonardo誌の表紙を飾った.LAVAL VIRTUALよりグランプリ&部門賞,ACEより最優秀論文賞,他にもACM UIST, EUROHAPTICSでも受賞経験があり,グッドデザイン賞2回,経済産業省Innovative Technologies賞2回&特別賞,日本マニフェスト大賞やロハスデザイン大賞,TIME誌とFortune誌によるWorld Technology Awardでは2015年に Finalistに選出(全世界のITハードウェア部門で2015年を代表とする7人)など様々な場所で入賞やノミネートされ,他にも受賞多数.プロジェクトは,CGCHANNELが選ぶ2014年のベストSIGGRAPH論文や,NewScientist誌が選ぶ2012年のベストビデオ等に選ばれている.応用物理,計算機科学,アートコンテクストを融合させた作品制作・研究に従事している.BBC,CNN,ディスカバリーチャンネル,AP,ロイター,デイリーメール紙,テレグラフ紙,ロシア国営放送,フランス国営放送, などメディア出演多数. 最近では執筆,コメンテーターなどバラエティやラジオ番組などにも出演し活動の幅を広げている.TED World Talent SearchやTEDxTokyoではスピーカーを努め好評を博した.作家/研究の他,Pixie Dust TechnologiesのCEOの他ジセカイ株式会社に経営/研究で参画し,学際分野のアウトリーチに多岐に活動実績がある.