従来、通信制とは孤独なものだった。教室に通わずにして、教育課程を修了するからだ。2008年に出版された、通信教育を体系的に論じた書のタイトルに使われた「ラーニング・アロン(=孤独な学習)」がそれを示す(佐藤卓巳・井上義和編『ラーニング・アロン 通信教育のメディア学』新曜社)。通信教育で育った人は社会性がないのではないか? 通信制教育はそのような目にさらされてきた。
しかし、時代が変わろうとしている。通信制高校・N高では、生徒たちはネット上でホームルーム、双方向の生授業、部活や遠足を行っている。N高が使用しているコミュニケーションツール「Slack」が、そうしたネット上のつながりを深いものにしている(連載第5回)そこには、これまで見られたような「孤独な学習」の雰囲気はない。
インターネットだけで教育を完結させる取り組み自体は、世界的に前例がある。アメリカにおいては1996年に「バーチャル・ハイスクール」(The Virtual High School)が設立されて以来、10年後の2006年には州立で22校、その後も拡大し、正確な把握は困難を極めているものの、2014年では270万人がバーチャル・ハイスクールで学んでいるとされる。(Benjamin Herold, 2017. ” Online Classes for K-12 Schools : What You Need to Know” TECHNOLOGY COUNTS 2017)
日本においては2014年に通信制明聖高校というバーチャルハイスクールが誕生したが、完全インターネット提供の教育は始まったばかりだ。
日本で通信教育はどう発展していくのか。研究者の松下慶太は2008年に以下のように述べている。
通信教育がメインストリームになるには「つながり」の問題をクリアできるかどうかが最大の焦点となるだろう。特に初頭中等教育レベルで見た場合、学校では、学習における「つながり」と同時に、あるいはそれ以上に教師と生徒、生徒同士の「つながり」を持つこと自体が社会的スキルとして重要な教育目標となっている。(松下慶太、2008「ホーム・スクールの伝統とヴァーチャル・スクールの革新」『ラーニング・アロン』第十章、p.290)
孤独な学習を強いられてきた通信教育。この「つながり」の問題を、N高はSlackでどう解決したのだろうか。
開校1年半を迎えた今、N高の学校=コミュニティづくりを振り返り、未来の教育の姿について考えたい。そう思い、ネットコミュニティ責任者である秋葉大介氏に、教育学研究科でeラーニングについて研究する東大院生が取材した。
(取材・沢津橋紀洋)
「自分たち」のコミュニティ
沢津橋 よろしくお願いいたします。実はeラーニングの研究の文脈では、2000年代の初めから、学習者同士の相互作用の重要性が指摘されています。孤独な学習であるが故に、挫折しがちな通信教育にとって、インターネットの登場で、コミュニティをつくった状態で学習する可能性が開かれました。今回、N高を取材していて、Slack上で展開されている生徒同士のつながりが本当にうまく機能していると感じます。
秋葉 元々は、担任がslackでホームルームしたら面白いんじゃない、というところから始まっています。そうすれば、全国に散り散りになっている生徒同士もコミュニケーションが取れるよねと。
沢津橋 おそらくN高の成功の秘訣は、学習のみならず、生徒の課外活動、広く言えば文化活動(連載第8回)、さらに広げれば交友関係といったプライベートでのコミュニケーションもSlackでやるように推奨していることが大きいと思います。真面目な学習系SNSはこれまでもありましたが、生徒たちの自主性が尊重されると、ここまで発展するのかと驚かされます。
ただ、自由であるが故に、時には生徒同士で問題が起こるなどの事態も考えられますが、そのあたりはどう対処されてきたのでしょうか。
秋葉 基本的には、最初はできるだけ制限を外しました。問題があったら改善を繰り返す、世にあるウェブサービスと同じように運用しました。学校の中で監視社会をつくる気はありませんでしたし、今でもほとんど検閲はしていません。しかし自由度が高い分、初期の頃に踏み外してしまう生徒も確かにいて、こちらが注意喚起したり、トラブルが起きた子達をグループチャットで集めて、両方の意見を聞いたりして、できるだけ公平に解決するようなコミュニケーションを地道に続けました。そうしているうちに、作るべきルールがあれば作り、最低限のSlack利用ポリシーを作り上げていきました。学校がどうして欲しいのか明確にされたからか、ポリシー作成後、トラブルの数は減りました。誰に頼まれるでもなく、今では生徒で自警団のようなものができて、トラブルがあったら自ら注意したりこちらに連絡してきたりと、自浄作用が働いています。僕らの出番はかなり減りました(笑)。
沢津橋 生徒会のようなものができたのですね。自生的なあたりがネットらしいです。
秋葉 公式的なものではありませんが、そうですね。生徒たちの心としては、自分の居場所なんだから良くしたいという素朴な思いもあると思いますし、できたばかりの学校ということで、自分たちがN高を作っていくんだという気持ちもあるみたいです。学校に貢献したいと思って行動してくれている子たちが一定数いますね。名称は確かではありませんが、開校当初は「向上委員会」みたいなチャンネルがあり、日々Slackの運用、学校の在り方について議論をしていました。
Slackという日常
沢津橋 N高生の放課後の活動について、何か興味深いものはありますか?
秋葉 全国4000人以上の生徒がいて、多様性の極みなのがN高の特徴なのですが、クリエティブ系でいうと、絵描きクラスター、楽曲作成クラスター、動画作成クラスターがマッシュアップして一つの作品を作ろうという、架け橋的な活動をしているチャンネルがありました。今年度の文化祭(ニコニコ超会議)のエンディング動画を作った生徒たちも、そうした有志たちから生まれたものだったと思います。他にも日頃からイラストをアップしてお互いコメントし合うなどというのもあります。発表し、表現する場としてもSlackは機能していますね。
沢津橋 本当にSlackが居場所になっているのですね。通信制なのに、放課後に教室でだべっているイメージが湧いてきます。他にも、学習空間としてのSlackはどう機能していますか。
秋葉 例えば、先生に分からない問題を質問できる職員室チャンネルがあります。他にも、酪農体験やイカ釣りなどの職業体験学習があるのですが、同じプログラムに参加する生徒をチャンネルに集めて事前課題を行っています。
また、グループワークも今後増やしていきたいと考えていて、以前、リフレーミングという「悪いところも見方を変えれば長所になる」というワークショップを試験的に開催してみました。5〜6人のグループになり、一人一人が自分の短所だと思うところを発表し、グループの仲間がそれを長所に置き換えて、その言葉をDMで送り合うといったものでしたが、予想以上にうまくいきました。リフレーミングを選んだ理由は自己肯定感や前向き思考を育んで欲しいなと個人的に思ったからなのですが、こういう知識の修得とはまた別のコンテンツを増やしていくことが教育の観点では重要になってくると考えています。
「チャット」で人を導く力
沢津橋 チャット上で教育が進むようになってくると、教師としての資質もこれからの社会では変わってきますね。ネット上で、チャットで、生徒たちをうまく導く技術というものが必要とされている気がします。
秋葉 そうですね。チャットの独特の間がありますから。N高に参加されている先生方もそのあたりの勘所をどんどんつかんでいっているなと感じます。
沢津橋 関連するなと思ったのが、大前研一さんが言う「サイバーリーダシップ」という概念です。彼はオンラインのみでMBAを取得できる大学を経営していますが、インターネット上で、具体的に言えばチャットで、リーダーシップを発揮してチームを引っ張る力というのが確実にある、と言うのですね(大前研一『進化する教育』)。
秋葉 面白い言葉ですね(笑)。確かにビジネスでチャットは不可欠ですしね。うちの川上(N高理事、ドワンゴ会長)がある場所で言っていたのが、生徒達が「Slackを使えます」というのは、採用する企業が一目置くスキルになると思っていた、ということです。Slackはアメリカのシリコンバレーから出てきたサービスで、NASAも導入しているそうです。そういう最先端のチャットツールを使ってましたと生徒が将来ドヤれると(笑)。まあこれはあくまで副次的な効果ですが。
コミュニケーションの舞台がSlackであるN高では、対面=リアルでのコミュニケーションを苦手とする子でも、建設的な意見を出せる環境にあります。そういう子が、チャットルームで周囲を励ましていたりするんですよ。会ってみると「しゅん」って人見知りな感じなんですが、そういう生徒も輝ける場がN高なのだなと感じます。ネットの中で自分の存在感が出てくると、リアルの方にもいい影響が出てくるのではないかなと考えています。
沢津橋 となるとN高は、「サイバーリーダシップ」を教えられる、日本で初めての高校になるかもしれません(笑)。と冗談はさておき、秋葉さんは、N高からどのような人材を輩出したいと考えていますか?
秋葉 生徒が個性を伸ばせるプラットフォームでありたいとは一貫して思っています。伸ばした個性を武器に、社会に出て目一杯活躍していただきたい。そのために必要な学びや気付きがたくさん提供できるよう、今後も生徒達を支援していきたいと思っています。
沢津橋 ありがとうございました。
ネットでの「つながり」が教育の主流になる未来
今回は、N高のネットコミュニティの実態を、開発側からのインタビューで明らかにした。ここで再び松下を引こう。
もし、電子的なネットワークにおける「つながり」を従来と同様に捉えることができるのであれば、そして、それを可能にするようなシステムが開発されるならば、将来、通信教育がメインストリームとなる可能性もあるだろう。(松下慶太、前掲書、 p.291)
Slackで社会生活をなすN高生の日常の在り方は、未来の若者の姿かもしれない。
【N高生のリアル】