今年9月24日、「日本のトップ大学における性的偏りは全く心配することではない(Sex imbalance at Japan’s top university is nothing to worry about)」と題するオピニオン記事を日経アジアが掲載した。著者のスティーブン・ギブンズさんはニューヨーク州の弁護士で、京都大学留学後ハーバード・ロースクールを修了したという経歴の持ち主だ。
ギブンズ氏は、東大の女子生徒が2割を超えないのは構造的差別などがあるわけではなく、女性の自発的な選択の結果で、それを是正しようとするのは有害なものだと主張。その記事に対し、東大公共政策大学院に通う中山桃子さんら有志の学生グループが反論記事を作成し、署名活動も行なった。署名はジェンダー論を専門とする瀬地山角教授(東大大学院総合文化研究科)ら東大教員を含め約400人の賛同を得て同じく日経アジアに掲載された。今回、東大新聞では反論記事と署名活動の呼びかけ人となった中山桃子さんに、日経アジアの記事の問題点や反響について聞いた。(取材・宮川理芳)
━━今回の記事の問題点は具体的に何でしょうか。
第1に、「差別」を「区別」に降格させ、「異質平等論」をもって男女の棲み分けや女性蔑視を正当化しようとしている点です。
ジェンダーによる差異が変更不可能な「運命」として認識されている間は「区別」はあっても「差別」はありません。「人間として同じ」という前提ができて初めて「差別」が成り立ち、不当と訴えることができるようになります。ジェンダーを学んでいる人の間では、よくこれを「区別が差別に昇格した」と言います。しかし、中には「差別」を「区別」に押し戻そうとする人々がいます。「男女は違っているが対等だ」とする主張等がその一例で、これを「異質平等論」といいます。
例えば、「夫が外で働き、家事は妻がやる」という主張があります。一見夫と妻、それぞれ担う役割は異なるけど平等、と思うかもしれません。しかし誰かが別の女性に対して「あなたは女性だから、外で働くのではなく、家事・育児をしなければならない」と言ったとしたら、その女性は選択の自由を奪われることになります。選択の自由なくして平等もありえないことから、性別に基づいた規範に縛られることなく、その制約から自由であることが重要になってきます。
該当記事の主張は、特定の分野や領域について、「自然本来の男性の場所、女性の場所がある(“there have been men’s places and spaces and women’s places and spaces for many thousands of years”)」とし、「男女の棲み分けや、ある分野・場所における極端な男女の偏りを是正するのは自然な能力・実力や選好を歪ませる有害なものだ(“the false premise that any gender disparity must be corrected inevitably leads to dishonesty, resentment, and the misalignment of natural abilities and preferences…and can be harmful to both men and women”)」としています。まさに「異質平等論」をもって「差別」を「区別」に降格させようとする狡猾な言説で、間接的にせよ、「女性は生まれながら男性より劣っている」とする女性蔑視が透けて見えます。
なお、1999年に制定された男女共同参画社会基本法の前文には「男女が性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる社会の実現」とあります。この「性別にかかわりなく」という部分は、明確に異質平等論を否定しています。
第2に、「構造的差別」への無自覚さです。「女に学歴はいらない」からはじまり、「進学するなら家から通えるところ」「東大でなくとも、現役で行けるところでいいんじゃない?」といった声かけによって、入試以前から女子生徒のやる気をなくす「構造的な」障壁がある事は、すでに数々の研究によって指摘されています。詳しくは『炎上CMで読み解くジェンダー論』(瀬地山角、光文社新書)などをご覧ください。
賛同者の方々からも「東大の男女比率や、極端に女性が少ない環境に身を置く事で感じるであろう疎外感、経験するであろう差別、耐えないといけないであろうホモソーシャルな雰囲気が嫌で、東大でなく、他大学や海外大に進学した」というコメントが多数寄せられました。コメントからわかるのは、性差別や偏見を理由に、東大を選ばず、他大学に進学している優秀な女子学生がいるという事実です。これは東大としても、優秀な学生・研究者を失うという意味で大きな損失です。
にも関わらず、著者はそれらの研究やデータについて調べもせず、著者自身の経験に基づいた、非科学的でエビデンスを欠く主張をしています。こうした誤った認識が拡散される事はジェンダーステレオタイプの強化に繋がるのでは、と懸念しています。
━━東大でジェンダー論を研究している瀬地山角教授を初めとする東大教員および400名近い学生から賛同を得ました。こうした反応・反響をどう捉えていますか
①既存研究のエビデンスを用いて誤った認識を正すこと、②性差別の助長やミソジニー(女性蔑視)へ断固としてNOの声を届けること、を目標に、元記事に「返信」する形でのオピニオンレターの執筆と、賛同署名を集める活動を始めました。当初は授業を通して面識があった3名の先生(瀬地山角先生、本田由紀先生、前田健太郎先生)に賛同をお願いし、同時に同じく東大に通う妹と私の個人のSNSアカウントを通じて署名を呼びかけ始めました。小規模の呼びかけが広まっていき、一人一人と賛同者が増えていくにつれ、想定以上の反響を心強く感じる反面、同じモヤモヤを抱えている人がこんなにもたくさんいるのだとやるせない気持ちにもなりました。ただ、だからこそこの「共通のモヤモヤ」を可視化せねば、と更に強く思うようになりました。
日本に住んでいると、デモや署名活動等、社会運動に携わる機会が少ないため、中には「署名なんかで何か変わるの? 」と思う方もいるかもしれません。確かに、何も変わらないかもしれない。でも、何もしなければなおさら世の中は変わらないし、むしろ既存の体制維持に加担する事になってしまいます。
結果的に400名近い賛同者を得る事ができましたが、「違和感を感じる事があってもなかなか行動に移す事ができない。賛同署名という形で自分も反論する場所が設けられた。今までにない経験で勇気づけられた」という在校生の声や「オピニオンレターと署名活動がきっかけで、結婚時にどちらの姓にするかという点で揉めて以来、なかなか向き合えていなかった義理の両親と、ジェンダー問題について話す事ができた」という卒業生の声も届いています。こうやって「モヤモヤを可視化」することがみんなで考えるきっかけを生み出し、みんなで考えることが社会を一歩ずつ変えるのだと思います。
━━今回のコラムが日経アジアという報道機関から出たことについてどう考えますか
誤った情報・認識のみならず、性差別やジェンダーステレオタイプを助長しかねない主張を拡散する土台を日経アジアが与えた、という事実には驚きを隠しきれません。私たちのオピニオンレターの賛同者の多くからも、「差別や偏見の強化に加担する事になるのでは」と報道機関としての責任を日経アジアに問う声が多く寄せられました。
今回は、問題の元々の記事も「新聞記事」ではなく、個人が自身の見解を発行する「オピニオン」だった事もあって撤回を求めるのは難しかったため、私たちも独自の「オピニオン」を発行する、という形を取りました。これからも日経アジアのみならず、全ての報道機関には差別、ステレオタイプやヘイトを助長する事がないように、チェック体制の強化を検討いただきたいと思います。不適切な表現や誤った情報の流布を日本の媒体で堂々とするというのは日本社会や日本人読者を軽視した行為にほかなりません。
中山さんらの作成した記事及び署名活動に賛同した400人の氏名一覧↓
中山さんらが実際に作成した反論記事はこちら↓
https://asia.nikkei.com/Opinion/Sex-imbalance-at-Japan-s-top-university-is-worth-worrying-about
【記事修正】2023年12月19日午後7時9分 誤字を修正しました。