東大硬式野球部時代はエースとして部を牽引(けんいん)し、17年には六大学のリーグ戦で15年ぶりとなる勝ち点獲得に大きく貢献した宮台康平さん。同年、ドラフトで日本ハムの7位指名を受け、史上6人目の東大卒プロ野球選手となった。しかし昨年に引退を表明。5年間のプロ生活に終止符を打った。現在は弁護士を目指して、TMI総合法律事務所に在籍しながら司法試験に向けて勉強に励んでいる。元プロが弁護士になるという前例のない道を歩もうとしている宮台さんに、5年間のプロ生活や今後について話を聞いた。(取材・安部道裕)
プロで感じた「尊い才能」
──5年間のプロ生活お疲れさまでした。引退した今の気持ちを聞かせてください
野球という一つの分野で、トップレベルの人たちと真剣勝負をしてきました。完全な実力主義の世界に身を投じられたことは良かったですし、その経験を今後に生かしたいです。一方で自分が通用しなかったことは悔しいです。次のキャリアへの発奮材料としたいですね。
──プロの世界でどのようなことを感じましたか
東大でも東京六大学野球という大学野球ではトップレベルのリーグで戦ってきましたが、そのさらに上がプロの世界です。ヤクルトの奥川恭伸選手といった、高卒でプロ入りするような心技体全てそろっている選手は六大学にはいません。そういう選手の体の動きを見られたのは楽しかったし、同時に悔しかったです。尊い才能を感じましたね。
──そんな才覚あふれる選手たちとどう渡り合おうと考えていましたか
真っ向勝負するのではなく、自分のポジションを探していました。自分にとってはそれが左の中継ぎでした。役割が先発から中継ぎに変わると投球スタイルも変わります。中継ぎの投手の投球スタイルに合うように伸ばす要素を絞り、直球をメインにして戦っていました。
──東大での練習とプロでの練習の違いを教えてください
コーチの有無が大きいですね。東大では自分たちで考えて練習するのが基本です。自主性は大切ですし、それはそれで良いと思います。一方で「どうしたら結果に結び付くのか」は本人たちも分かっていないですよね。成功はトライアルアンドエラーの上に成り立っていますが、多数のコーチを持つプロチームにはその経験が蓄積され、洗練された指導をすることができます。
──練習ではどのようなことを意識していましたか
これは大学時代から変わらず、選択と集中です。足りない要素を分析し、そこを補っていくことを心掛けていました。特に、プロ入り直後に分かったのは体力不足。アマチュアと違い、プロは年間を通してパフォーマンスをしないといけません。大学ではリーグ戦に合わせて春と秋に100パーセントを持ってくれば良かったのですが、それがプロでは80パーセントを維持し続けることが求められます。これは「全力を出さなくても高いパフォーマンスを出すことが必要」ということで、すごく難しかったですね。
──ドラフトでの指名や初登板など、メモリアルな場面が多くありました
ドラフトや初先発は駆け上がる道の途中でしかないと考えていたので華やかな瞬間だったという意識はありません。今はまだ成し遂げられなかった後悔が大きいです。ただ、初先発は自分で1軍の試合をつくれる最初で最後の機会だったので貴重な経験でした。
──20年11月に日本ハムで戦力外通告を受け、トライアウトに臨みました
日本ハムでは、プロ選手としては早い3年で戦力外通告を受けました。不完全燃焼で、もう一度プロの世界にチャレンジしたい思いでトライアウトに臨み、ヤクルトに入団することができました。一度クビになっているので、ダメならダメで良いという踏ん切りがついた状態で挑んだのが良かったのですかね。一度クビになったところから復活できたのは良い経験でした。
──ヤクルトに入団した翌年、イースタン・リーグでは良い成績を残しています
そうですね、要因としては環境の変化が大きかったと思います。具体的に言えばコーチからの助言の数の変化ですね。コーチや監督の介入度合いはチームによって異なっていて、日本ハムは自主性を尊重しますが、ヤクルトでは指導が多く、自分には合っていました。というのは、私は野球の強豪校出身ではないので、フォームなどに関する知識が少なかったんですよね。我流で模索しながらやっていて、教えてもらう機会が少なかったので、ヤクルトでの指導は貴重でした。
──プロでの印象深い場面について教えてください
試合に限らず練習で感じることが多かったですね。奥川選手とキャッチボールをした時に「軽い力でこんなに球が伸びるのか」と驚きました。こういう選手が1軍なんだなと痛感しましたね。効率的で再現性の高いフォームを感覚的に体得しているんです。
──プロの世界で面白いと感じたことはありますか
いろいろとありますが、共通点が「野球がうまいこと」だけでプロには多様な人がいることです。たとえば清宮幸太郎選手は「こんな賢い人がいるんだな」と思ったくらい賢かったです。一方で九九ができない人がいたり(笑)。多様性が面白かったです。そこで「スポーツの才能はある意味一番平等だな」と思いました。
──22年で引退しました
3年目の終わりに日本ハムで戦力外通告を受けてからは、契約の有無に関わらず、辞めるか続けるかを毎年自分の中で考えていました。迎えた5年目は球速も上がるなど、自分としては最高のパフォーマンスを出せたと思っていました。1軍で2回登板する機会がありましたが力になることはできませんでした。そこで、このまま続けるよりも次の道に進む方が良いのではないかと考え、やり切った思いもあったので引退を決意しました。
「自分の成長につながるか」を軸に弁護士の道へ
──今後はどのようなキャリアを歩む予定ですか
プロ引退を決断した時点では、次に何をするか明確には考えていませんでした。プロ入りを決めた時も野球以外の道を明確に考えてからプロに入ったわけではなかったので、深く考えましたね。その時に頼りになったのは東大野球部時代の先輩で、いろいろとお話を聞きました。そうして自分の軸として定めたのは「努力が自分の成長につながるか」。その観点から弁護士という道を決断しました。
──野球選手から弁護士、という経歴はまだ誰も歩んでいません
プロ野球選手を経て弁護士になるというのは前例がないので、目指すべき像がないわけです。そこは不安ですが、自分で道を切り開けるのでワクワクもします。
──プロでの経験を弁護士に生かしたいと思いますか
「元プロの弁護士」というのは周りが思うことだと考えているので、実力で勝負する前に経歴を使うのは小さくまとまってしまう気がします。プロ時代のことは「いつか生きれば良いかな」ぐらいに捉えていて、一人の法律の専門家として軸足を置きたいです。
──以前から弁護士になりたいと考えていたのでしょうか
東大では文Ⅰに入学しましたが、特に弁護士になりたかったわけではなく、社会の仕組みを知る上で法律というアプローチが良いと考えたからです。法学部を卒業した後も弁護士になりたいという意志はなかったです。野球に注力していたために学部の勉強をギリギリでやってきたので、すぐに司法試験を受ける決断はできませんでした。プロ以外で考えていた進路は一般企業への就職でしたが、就活をすると第一希望であるプロ野球選手への道を邪魔してしまうことになります。それは本意ではなかったので、プロ一本に絞りました。
──どのような弁護士になりたいかというビジョンはありますか
「この分野のこういう弁護士になりたい」というビジョンは今はなくて、それを見つけるために今TMI総合法律事務所で身分をもらって実務を見ています。その中で魅力だと感じているのは、分野を問わず自分の専門性が一つあって、それを武器に個として戦えることです。個としての能力を武器に戦うというのはプロ野球の世界で味わったことですが、それが自分には向いていると思います。自分の力で顧客に価値を提供できる人間になって社会貢献できたらうれしいと考えています。
──弁護士としてどのようなキャリアプランを思い描いていますか
キャリアプランは全く描いていません。先輩の「興味関心は移りゆくものだから、身を委ねて良いと思う。ただ興味があることをするための準備は必要だ」という言葉を大切にしています。興味のある仕事に手を挙げた時に、それを任せてもらえる人間でないといけません。その準備として、直近では司法試験の合格を目指しています。私は長期的な視野を持つのは得意ではなく、短期的なものを積み重ねた結果に今の立場があるので、これからもそれを継続して行けば良いのかなと思っています。
東大生は自分の努力の恩恵を享受して良い!
──22年には東大から2人の選手がプロ志望届を提出し、ドラフト会議に臨みました。宮台さんはどう見ていましたか
卒業生として単純に応援していましたね。しかし同じ進路を歩んだ先輩として、自分が成績を残せなかったことが彼らの不利益になり得るかもしれないという負い目もありました。東大卒の野球選手として背中を見せられなかった悲しさもありますね。私のプロ野球選手としてのキャリアは終わったので、そこでの貢献はできません。しかし、今からセカンドキャリアをしっかりと歩み、その姿を後輩に見せられれば「野球を選択することは間違ってない、マイナスにはならない」というメッセージになると思います。そういう形で後輩の背中を押してあげられたらと思いますね。
──母校である東大硬式野球部には顔を出すことはありますか
昨年プロ志望届を提出した井澤駿介(農・4年)らが2年生の冬に東大球場に行きました。そこで現役の選手たちと話をしたのですが「プロに行くために今何をすべきですか」と聞かれました。そこで私は他大とのフィジカル的な差をどう埋めるかを考えたほうがいい、と伝えました。技術はフィジカルの上にしか成り立ちません。基礎的な動きをトレーニングすることが一番の近道じゃないかと話をしました。
──精神面のアドバイスはしましたか
精神的な部分は自分でも苦労したので、特に伝えられませんでした(笑)。よく言われることは「結果を求めないことが結果につながる」ということです。これは矛盾しているように思えますが、真理ではあると思います。考えすぎないというのが一番の合理的な考え方ですね。というのは、身体運動は反射的な要素も大きいので、脳を介しているとあまり理想的な動きができないことが多いのです。
──井手峻監督や浜田一志元監督とは話しましたか
井手監督とはトライアウトを控えた時にお話しました。「やりたいようにやれよ」「自分の意志が大事だ」と言っていただきました。引退した時も電話で「お疲れさま」と言ってもらいましたね。
浜田元監督は大学時代の監督で、トライアウトや引退の時もご連絡をして「お疲れさま」と言ってもらいました。浜田元監督は私の進路選択に深く関わった人で、高校生の時から声を掛けて、東大に勧誘してくれたりしていました。そういったご縁もあるので、感謝の意を込めて「応援していただきありがとうございました」とお伝えしました。実は「弁護士をやったらどうだ」と提案していただいたのも浜田元監督で、卒業生を紹介してもらうなどお力添えいただきましたね。
──宮台さんが影響を受けた人は誰ですか
東大からプロになった先輩方ですね。東大卒のプロ野球選手は僕で6人目なのですが、もし1人目だったらプロになるという道を選ぶのは難しかったと思います。今も日本ハムで運営に携わっている遠藤良平(00年卒)さんと大学1年生の時にお会いしたことがありました。遠藤さんの話を聞いて「自分もそうなりたい」と思ったのが、プロを目指す上で大きかったと思います。
──最後に東大生へメッセージをお願いします
自分がプロに進むという挑戦をできたのは、社会からの信頼があったからです。「東大生だから勉強の素養はあるし採用しても良いのではないか」と社会が信頼し期待しているからこそ、私は雇用に対する安心感を持って好きなことを選べました。学生時代の勉強は社会に出る時の「パスポート」になり得ます。なので東大生は、自分の好きなことを追求できる、ある種の「身分」があると思っています。ずるいかもしれませんが、そういう戦略を立てられるのは今まで自分がしてきた努力によるものなので、その恩恵を享受しても良いと思いますよ。