大学生の平均年齢を20歳とすれば、今の大学生が生まれたのは、およそ20年前。その頃の『東京大学新聞』でも、「大学とは、大学生とは何か」ということは、大きなテーマの1つだった。編集部員は、気鋭の作家や学者が発表した作品に刺激を受けると、取材を申し込んで話を聞き、記事にまとめていた。
この20年で、大学は、そして社会は、どう変わり、変わっていないのか――。20年前のインタビュー記事を、再度、そのまま掲載するとともに、当時取材した編集部員がもう一度、20年ぶりに、同じ人物にインタビューして記事にする。その2つの記事を読み比べたら、何が見えてくるのだろう?
作家・三田誠広
1995年は、野茂英雄投手の大リーグ挑戦という明るいニュースがあった一方、地下鉄サリン事件や警察庁長官銃撃事件など、社会に不安を広げる不穏なニュースが相次いで起こった年でもあった。
デモでの機動隊との衝突など、激しい学生時代を送った全共闘世代は親となり、団塊ジュニア世代が大学生となった。テレビでは、怒鳴り合いながら夜通し議論を続ける討論番組「朝まで生テレビ」が全盛期を迎え、大学生や若者は「何も考えていない」と批判的に取り上げられることが多かった。
『僕って何』で1977年に芥川賞を受賞した作家・三田誠広さんは、当時46歳。「団塊世代の旗手」とも称され、その後も『やがて笛が鳴り、僕らの青春は終わる』『いちご同盟』等々、「青春」に向き合った数多くの作品を著してきた。
その三田さんが1995年、突如、小説ではなくエッセーの形で、「直球勝負」の作品を世に出した。それが『大学時代をいかに生きるか きみたちは「やさしさ」を知らない』だった――。
(以下、1995年3月の三田誠広さんのインタビューを転載します)
大学時代をいかに生きるか――きみたちは「やさしさ」を知らない
「三田誠広」と聞いて私の頭に浮かぶのは、『いちご同盟』という青春小説。中学校を舞台に、主人公は友情とか恋とか、「生きること」を考える。透明感ある純粋な雰囲気に包まれた作品だ。
三田氏は高校在学中に『Mの世界』で学生小説コンクールに入選し、その後『僕って何』で芥川賞を受賞した作家。『僕って何』の舞台は、大学闘争の頃のキャンパス。ただ、だからといってグログロしい内容なのではなくて、やはり、主人公のもやもやした心情が淡々とつづられながら、「青春」の香りがする小説なのだ。だからイメージとしては、「繊細なロマンチスト」といった感じで、私はこの人のことを想像していた。
その作家が、『大学時代をいかに生きるか』(光文社)という本を出した。また、純粋で、胸がキュンとなるようなあの世界を覗けるのだろうと手に取ったのだが……。そこには、「若者」に対する厳しい批判が、熱く書かれていたのだった。
「目立つのが嫌いな、個性のない、自分たちの日常だけを守ろうとする『小エゴイスト』たちの姿を見ていると、これでいいのだろうか、という気分になってしまう」
「(学生たちは)政府が決めたことには逆らえないと、飼育されている羊みたいな従順さで、釣銭が細かくて面倒だと困惑しながらも、唯々諾々と消費税を払っているのだ」
「日本の若者は、野球とサッカーの話しかできないのではないか」
「きみたちは『やさしさ』を知らない」
「もしもきみたちが、鈍感で思いやりにかけた態度をとるなら、日本は世界から孤立し、破滅の道を歩むしかない」……。
全体を通して、「きみたちはダメだ。われわれ全共闘世代はすばらしい」といった流れに満ちている。読み終えて、納得せざるを得ない部分もあるものの、納得いかないところもけっこうあった。ということで連絡すると、インタビュー了承の返事をもらうことができた。
なぜ、書いたのか
――この『大学時代を~』には、強烈なメッセージが含まれていると思うのですが、やはり大学(早稲田)で講義されていて、学生に身近に接して、感じることがあったからなのですか。
三田 7年間早稲田で教えてきて、バブルの絶頂期から、だいぶ落ち着いた今の時期までの学生と接してきたんですね。そういうこともあって、まあ、かなり我々が学生だった頃とは学生たちの様子が違っていることは、実感として感じていたわけです。
ただ、バブルがどんどんと大きくなっていく時期というのは、我々の方も、なんて言うかな、若者たちに対する恐れのようなものがありましてね……。
例えば、巷にカフェバーというのができて、若者たちがそういうところへ行っている。自分も行ってみると、カフェバーってのは非常に静かですね。ほとんど客の声が聞こえない。ところが、我々が過ごした青春時代ってのは、もっとこう声高に議論をしてね、最後は殴り合いになるというようなね、そういう人間関係の密度が高かったような気がするんだけれども。
私も40歳になるちょっと前の頃、世の中ってのはだんだん良くなっていくんじゃないかというふうに楽観的に考えていたからね、若い人たちがそういうふうに、生活を楽しみだすっていう時代になったから、オジンはただ去るのみかな、というふうに、まあ恐れていたんで、何も若者に対する発言ってのはしなかった。
ところが、バブルがはじけてみると、店が新しいからとかきれいだからというようなものはほとんど何の意味もないということがわかってきたし、にもかかわらず若者たちの間に新しい動きが見えてこないんですね。で、そうしたときに、大袈裟な話ですが、日本という国は崩壊するんではないかと危機感を感じたんです。それが、これをどうしても書かなければならないと感じた出発点だろうと思います。
昔の学生との違い
――「学生たちの様子が違っている」ということですが、そうなのでしょうか。『僕って何』に登場する主人公「僕」は、大学に入り、キャンパスでアジ演説をしている人々を見て「あの何かに憑かれたような顔つきの学生たちの中に自分が入り込んでいけるとは思えない」と感じている。『大学時代を~』には、ご自身が教室で学生たちに熱く語りかけても何の反応もないといったエピソードがありますが、その教室で話を聞いている学生の気持ちは、ほとんど「僕」の気持ちと近くて、そうした点で昔も今も、学生は基本的にはそう変わっていないのではないでしょうか。
三田 うん、それはねえ、結局私がその『僕って何』という作品で描いたのは、我々の世代の中の少数派を書いているわけですね。というのは当時、マスコミが「今の学生たち」というふうにとらえるときは、ゲバ棒ってのを持ってね、ヘルメットをかぶって暴れているのが普通であると。そういうマスコミの状態の中で、違う学生もいるんだというような問題提起を込めてこの作品を書いたわけです。でも、今の若い人が見ると、この「僕」の感覚を、これで普通だと思っちゃうでしょ?
――そうですね。
三田 いつの時代にもいろんなタイプの人がいると思うんです。今でも、学生運動ってのは細々でもありますし、それから宗教みたいなものもあって、取り憑かれたような人ってのはいるんですが、ただこの量的な違いっていうのは結構大きな意味を持っていましてね。
我々が学生の時代には、例えば早稲田では、東大もそうだったと思うけど、7、8割は取り憑かれた人々であってね、そこへまあ新入生が入っていくと、しばらくの間なじめないわけです。でも2、3カ月もたつとねえ、みんな取り憑かれてくるわけですね。それが実は、トレンドだったわけです。
だからまあ、それに対して私の考えでは、そういう大きなトレンドに身を任せるのではなくて、一人ひとりが自分の目でものを見て考えないといけないし、本当に自分の目で最初に取り憑かれた人々を見ると何か変な感じがするというようなところを小説としてとらえたわけですね。
しかし、その前提としては、人間というのはやはり社会に参加して、社会とかかわって、そのことによって生きる充実感を得る、というのが基本的な考え方であるというのは大前提だったわけです。だからこの「僕」っていう主人公も、何かしなければならない、でも、いわゆる学生運動のセクト主義のようなものにはなじめない、というところで苦しんだり迷ったり、うろうろするわけです。
どこかで大きな転換点があったんだけれども、今の若者たちは、社会参加というような欲望がほとんどないように見えるんですね。単に大学に入って、就職をして、自分の生活を楽しむと、そこにしか関心がないように見えてしまうんですね。で、そういう人が、比較的多いのではないかと。
そのことはねえ、非常に不思議な感じがすると同時に、日本というのを1つのチームだと考えるとね、みんながチームプレーをやって頑張って勝とうと、してないわけだね。一人ひとりが勝手なことをしてね、自分さえよければいいというふうに思ってしまう。こんな弱いチームはないわけですね。
なぜそこまで「日本」なのか
――そこですが、本を読みながらも感じたのですが、「日本」っていうものだとか、「国家のために頑張る」だとか、「日本がこれから世界の中で生き延びていくために自分は何をしたらいいのだろうか」、ということを全共闘の時代の学生たちは考えていたようなのですが、なんでそこまで「日本」というものにこだわりを持つのだろうかと、逆に今の学生は不思議に思うと思うんです。
三田 必ずしも日本ということでなくてね、世界ということでもいいわけですが、今の若い人を見て私が思うのは、単にバカだと、そういう感想しか持てないわけです。
社会人というのは個々に自分の場所があるわけです。役人なら役人の立場がある、企業に属している人は企業人としての立場があるわけです。だから、そうするとどうしても自分の場所からしかものを言えないから、本当のその原理的な考え、「いかにあるべきか」ということに対してフェアな答えが出てこない。
学生っていうのはいかなるものにも所属していないですから、一生懸命考えれば非常にフェアな意見を出せるはずなんです。まあ世間知らずということはあるんだけれども、それは勉強して、歴史を学んだり、人の意見を聞いたりしながら「世界はどうあるべきか」という理念を考えるべきだし、そのために大学というのはあるわけで、決して職業訓練所ではないわけです。
「世界がいかにあるべきか」ということを、学問という立場からフェアに考えていくというために、大学というのはあるわけですね。例えば東大なんてのは、国民の税金を使っているんですから、学生の側もgiveをしないといけないわけです。それには、学生なりの見識とオリジナリティで、世界に対して意見を述べていくということが必要なんです。
世界全体の学生の知的レベル、それからオリジナルな意見を持っているかどうかのレベルと比べたら、日本の学生ってのは最悪なんですね。それはねえ、単純に言えばバカなんです。
バカなのは、なぜか
――さんざんバカと言われてしまいますが、どうしてそうなのでしょうか。
三田 まあ、平和だからでしょうね。ただ、身の回りが平和というだけで、日本の外にはいろんな諸問題があるってことに対する関心と想像力が欠けていたと思うんです。要するに、世界の中に日本があるんだという感じを持っていないんですよね。
自分たちの身の回りにある豊かで平和な状況の中で、非常に小さなエゴイズムの殻に閉じこもっている。まあ、それは悪いことではないんだけれども、世界に出すと非常に恥ずかしい存在なのね。
――たとえば全共闘の頃だったら、大学に入れば社会のことをみんな考えてる場が既にあって、ビラづくりでもデモでもする場があって、それが大勢だったから、それぞれの学生もそれにうまく入っていくことができたと思うんです。本の中にも書かれていましたが、昔は社会について考えることが、学生のトレンドだった。
でも今は、その方向にトレンドはない。だから、ただトレンドに乗っかって生きていくという点で、昔も今も学生の考え方というのはそう違わないのではないでしょうか。とにかく全共闘世代はえらい、お前らバカだと言われると、そこに疑問を感じます。
今の学生の場合は、大学に入ってもそういう、以前のような場はまったく主流としてないですから、「お前らもっと社会について考えろ」と言われても、それはわかりますが、そうした場自体からつくっていかないといけないから、時代の状況として、昔に比べて結構きついと思うんです。
三田 そうですね。難しいと思いますね。どうすればいいのか、私もよくわかりません。わかりませんが、このままではいけないってのは確かだと思うんだよね。
だから、やっぱり東大生なんかはね、頑張って問題提起をしてほしいと思いますね。大学生ってのはもっとこう、プライドを持ってほしいと思うんだな。
日本ってのは敗戦後、平等主義というのがアメリカから植え付けられたわけですね。それは、いい面もあります。しかしそうすると、あらゆる人間がエゴイストになっちゃってるんだよね。
ヨーロッパにはもっと階層社会ってのがあって、要するに、サッカー見て騒いで、酒飲んで寝ると、それだけの人と、世界について真剣に考えて、一生懸命頑張って生きてる人と、いるわけです。それで、国というのは機能するわけですね。
「東大生はサッカー見るな」!?
三田 やっぱり一生懸命頑張っている人がいるから、サッカー見て楽しんでるだけで幸せな人が支えられてるわけですね。そういう意味での一種のエリート意識が、ヨーロッパで頑張ってる人にはあると思うんです。それがどうも、日本にはないんですね。サッカー場で騒いでるのは、あれは学生じゃないかと思う。それが私は、非常に不安になってくるんですね。
だから私はやっぱりね……「東大生はサッカー見るな」と言いたい(笑)。みんながサッカーに熱中してしまったら、たとえばサッカー場をつくるとかいうこともできなくなってしまうわけでね。だからどこかで楽しんでる人がいたら、どこかで一生懸命働いて、みんなが楽しめるような施設をつくってる人がいるんですね。だから、ぜひ頑張ってほしい。
それはねえ、自分で自分の人生を決めるしかないんですね。要するにプライドなんだ。他の同世代の若者たちがサッカー見て騒いで、顔にペイントしてるのを見て、バカだと思ってほしい。それで、自分はもっと勉強してね、世の中の捨て石になると。踏み台になって、みんなが楽しんでくれればいいというふうな、それを生き甲斐とするようなね。
――それはちょっと自虐的というか(笑)。それだったら、やっぱり顔にペイントしてサッカー見て騒いだ方がいいやって思っちゃうんじゃないですかねえ。
三田 アメリカのビジネスマンなんかは、ものすごく働きます。それでやっと、中流なんだ。で、能力がないと、下に落ちてしまう。日本はまだそこまでの競争社会じゃないから、東大なんかに入っちゃうと、もう大丈夫だって安心しちゃうんだよね。でももうすぐ、東大という肩書きが役に立たない時代が必ずきます。経済の変化っていうのは、人間の哲学まで変えてしまうからね。
私がこんな本を書いたくらいじゃ改まらないだろうけど、警鐘を発しているんだよね。要するに能力がないと、簡単に脱落するようになる。
……まあこんなこと言ってもねえ、しょうがないんだよね。本の中にも書いたけどねえ、女の子がよくないんだよね。一生懸命まじめに勉強してる人に対しての尊敬の念とかね、愛情とかがないんだよ。おもしろい冗談を言ってへらへらしてる男がもてるっていうね。
これは、女の子にも危機感がないんだよ。でも、これからはそうはいかないですよ。笑ってごまかせるような時代ではなくなってくるからね。非常に恐ろしいような貧困が押し寄せてくると思うね、日本の各地に。
青春とは、試行錯誤
三田 「肩書きだけの東大生はもうダメだ」という話をしたけれども、全共闘のはじまりである東大闘争ってのもそのあたりから起こってきたんだよね。
教育が形骸化している中で、身分だけエリートになっていくことに対する不安とか物足りなさがあったんで、そういう「格好だけの東大生」であることの自分を批判するということがあったわけです。
で、物を壊したわけです。安田講堂とかね。
でもね、何も変わらない。で、後にきた世代の人たちにはアメリカ的なプラグマティズム、実用主義の考え方が入ってきた。つまり、全共闘運動っていうのは一生懸命やって何人も死んだし、物をぶっ壊したけれど、結果として何も残せなかったからまったく無意味だったというふうに思って、問題提起をもうしなくなってしまったんですね。
私は全共闘世代だから、自画自賛するわけですが、結果が出なかったからダメだというのは最悪の考え方なんですね。そうじゃなくて、プロセスが大事なんです。いろんなことを試行錯誤したけれどうまくいかなかった、だとすれば、そのうまくいかないという状況を自分で引き受けて生きていくしかないわけです。そう思って生きていくから、頑張ればできる状況になればまた頑張ろうと思うし。
そういうふうにして、絶えず試行錯誤するという習慣が身に付くということが……これが、青春というものなんですよね。
全共闘世代は悪くないのか
――「若者が社会について考えない」一つの原因は、実は全共闘世代にもある気がします。全共闘の世代の人が今は大人になり、親になっていると思いますが、世間の風潮として、子どもには政治的なことに首を突っ込んでほしくないと思ってる親が多いんじゃないかと感じます。
全共闘世代の親が子どもに向かって、誇りを持って自分の学生時代を語るなんて話は聞いたことがない。むしろそうした話題を出さない姿からは、親はあれを「恥ずかしい過去」と感じているのではないかと子どもには思える。となると、世界について考えるなんてことは、やっぱりかっこいいことじゃないんだなと思えてきますから。
三田 全共闘世代が結果を残せなかっただけじゃなく、運動が壊れた直後っていうのは、我々の世代にも挫折感があった。だから胸を張って、若い人たちに対して、「きみたちも頑張れ」とは言えない時期があったんです。
だけれども、結果がダメでもいいんです。試行錯誤というプロセスに意味があるんだと、そのことによって人間は鍛えられてね、自分の力もつくし、思いやりも持てる人間になっていくんだと。これが、大学時代にいちばん大事なんだということを、伝えたいですね。
私にも大学生の息子がいるんですが、なかなか直接はこういうことって言いにくいんですよ。ともかく、父から子へのメッセージがない。しかしとにかく話し合って、意見交換をしないと、このままずるずると若者たちが小さなエゴイズムに閉じこもって、青春という時代を、形だけ過ごして出ていってしまう。
――確かに今って、世代間のコミュニケーションってないですね。
三田 そう。私は作家で、いいかげんですから、こんなふうに本を書いて問題提起をしやすいんですが。
――ではもし、三田さんが現代の学生だったら、どんなふうにして、問題提起をしていくと思いますか。
三田 私の場合は、高校時代から小説を書いていましたから、文学者としての基礎的なデータベースをつくらなきゃいけない。まあ、そんなこと知らなくても小説は書けます。ただ、それだけじゃ一人の人間として寂しい。
私は、小エゴイストじゃなく、大きなエゴイストになりたいから、それのためには、世界を見渡してね、自分なりの見識を持ちたいと。そしてできれば、ただ見てるだけじゃなくて、つまりサッカー場で観客席にいるんじゃなくて、自分でグランドに飛び出して、ボールを蹴ってみたい。それは決して、お金のためじゃなくてね、楽しむためです。そうすると、場所が必要になる。
それには、基礎のステップから上がっていかないといけないんですよね。私は学生によく言うんですが、映画を見るんだったら、ただぼーっと見るんじゃなくて、どう作られているのかを見ろと。ファーストシーンがどうだとか、どんなカットで、音楽はどうで、ってことを意識しながら映画を見ると、小説を書くのに生かせるんですよね。
結局ね、楽しむ側にずーっと残ってる限りは、永遠にお客さんなんだよね。だからカフェバーに行っても、どうしてこの店ははやってるんだろうと考えてみると、いろいろわかってくると思うんです。絶えずそういう考える習慣をつけて、考える姿勢を身につけていると、ヒントがおのずと出てくるんですよね。
そういう楽しみ方、作る側にまわった楽しみ方をする。同じ楽しむのでもそういう楽しみ方をしていると、それがその人の財産になってくるんですね。
――そのへんが、まず最初に取り組みやすい、第一歩でしょうか。
三田 そうですね。次はそういう本を書かなくちゃいけないかな(笑)。