例年、駒場祭で注目される出し物の一つとして東大広告研究会によるミス・ミスターコンを挙げる人も多いだろう。一般に「未婚女性の美人コンテスト」と定義されるミスコンと、その男性版であるミスターコン。大学におけるミス・ミスターコンのありようは、ルッキズムの助長・性の商品化であるといった批判意見を受け多様化しつつある。
法政大学が「『ミス/ミスターコンテスト』のように主観に基づいて人を順位付けする行為は、『多様な人格への敬意』と相反するものであり、 容認できるものではありません」として、大学としてコンテストを容認しない姿勢を示したのが2019年のこと。20年には、上智大学の従来のミス・ミスターコンが廃止され、ジェンダーなどを問わない出場者たちの社会問題に関する発信力や自己PR力を競う趣旨の「ソフィアンズコンテスト」が新設されて話題を呼んだ。さらに21年、立命館大学で顔を隠したコンテスト「ミラクルガール立命館」が開催されたり(従来の形式のミスコンも例年通り開催された)、22年東京女子大学でミスコンが廃止され、新たに発信力を競うコンテスト「VERA CONTEST」が創設されるなど、改革の動きは広がりつつあるといえるだろう。
では東大はどうか。本年のコンテストのテーマは「東大versity」だった。コンテストによって「リアルな東大生像を発信し、多様(diversity)な東大生の姿を世間に伝えていきたい」と公式サイトには記載されている。
東大のミス・ミスターコンは変わるのか。コンテストを通じて多様性を発信することは可能なのか。コンテストの目的は、持続可能な在り方は? 本企画では、コンテストや批判の内容・意義について検証していく。(全3回)
(取材・鈴木茉衣)
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ミスコンが受容される社会の構造に目を向けよ
エッセイスト、タレントで、東⼤⼤学院情報学環で客員研究員を務める小島慶子さん。元アナウンサーとしてミス・ミスターコンを考える上で、小島さんはまずミスコンが女子アナ志望の学生の「就活」の場になっている点に注目する。
大学ミスコンが「女子アナの登竜門」の側面を持ち始めたのは2000年代になってからだというが、テレビ局が女性のアナウンサーを採用する上で効率を重視し始めたことがその背景にある。「人件費をかけて女性アナウンサーを一から育てても、若いうちしか使えない。それならミスコン出場経験者などで既に人気のある人に若いときだけ出てもらい、どんどん入れ替える方が、コストがかからずに済むということでしょう」。しかもミスコン出場者であれば、テレビ局が応募者について知ることも容易だ。学生としても、華やかでタレントとしての成功も望めるアナウンサーになることはメリットがあり、両者の思惑が一致して「ミスコンが便利な就活の場に」なっていった。
このことは、芸能界やメディアにおける女性の用いられ方と、ミスコンの根強い人気には関係があることを意味する。「容姿を生かす仕事に就くこと自体は、問題ありません。でも日本のテレビ画面に登場する女性の年齢や容姿に偏りがあり、多様性に欠けていることは問題です」と小島さん。
テレビ出演者のジェンダー・年齢を見ると、20代までは女性が多く、30代以降は減ることがデータで明らかにされている(図1)。職業も、女性はモデルやキャスターが多く、男性は俳優や有識者としての出演が多い(図2)。中年以降の男性を若く美しい女性が補助するという構造や、女性の方がルッキズムやエイジズムにさらされ商品化されやすいことが浮き彫りになっている。ミスコンはこうした社会構造の再生産に加担してしまっている点で批判され得る。
こうした社会構造は、ミスターコンへの注目度は同時に開催されるミスコンよりも低いことがほとんどだという現象とも結び付けて考えられる。ミスコンだけでなくミスターコンもやっているからジェンダー平等の観点での問題はないという意見があるが、小島さんは「それは批判の根本が見えていない」という。「女性と同じように男性も若さと見た目で評価・消費するのは『良くない』ジェンダー平等でしかありません」
コンテスト擁護派の意見として「出場者は自分の意志で出ているのだから、開催することに問題はない」というものもある。小島さんは「出場者の意志と、コンテストが差別や偏見の助長になりかねないこととは別にして考えるべきです」と反論する。もちろん望んで出場した人を批判するべきではなく、コンテストを容認している社会構造自体に問題があるとする考え方だ。
東大生をPRするのに「容姿」は必要か?
コンテスト公式サイトによると、本年はコンテストのテーマとして「多様性」が意識されているという。
「東京大学の学生には『ガリ勉、内向的、プライドが高いetc.』というステレオタイプが昨今のメディアの影響で作られているように感じます。しかし東大にはいろんな性格を有した学生がいて、勉強に限らず、部活やサークル、社会活動など様々な活動をしています。そこで、私たちは今年のコンテストではリアルな東大生像を発信し、多様(diversity)な東大生の姿を世間に伝えていきたいと思います。」
公式サイトにはこのように記載されているが、競われる基準についてなど、コンテスト実施過程の具体的な見直しがなされているかについては説明がない。なお広告研究会は20年の東京大学新聞社の取材に対し「ファイナリストは容姿のみを競っているわけではありません」、「(ファイナリストの選考基準として)特に、コンテストに出たい理由と、ファイナリストとして責任を持って活動できるかは、重視します」と回答している。
こうした「多様性」というテーマを受けて小島さんは、メディアによって形成された東大生のイメージには「ガリ勉、内向的、プライドが高いといったイメージの他に『東大美女』というもう一つのステレオタイプがある」と話す。東大の学生で、かつ「美女」であることがテレビなどにおいて興味を引くキャッチフレーズとして使用されるのは「勉強ができる女性は容姿に気を遣わない」「容姿の良い女性は勉強をしない」という偏見が反映された結果だと指摘した。
よって、ミス・ミスターコンという、定義上容姿が評価基準に入って来ざるを得ない場において「東大生の多様性」を主張しようとしても、今既に存在している「東大生」ステレオタイプや「東大女子」ステレオタイプを強化してしまうだけに終わる危険がある。「結局、東大への偏ったイメージづくりに加担してしまうのではないでしょうか。東大や東大生についてPRしたいのであればコンテストではないイベントで広報に努めるなどの方法があるのに、容姿という要素に注目が集まる形式で行うのはなぜでしょうか」
小島さんは、コンテストが「東大」という名とともに現在もキャンパスで開催され続けていることも問題視する。「典型化した美醜の基準、つまり主に異性愛男性から見た性的魅力に照らして出場者を評価する要素が入り込むイベントを今の時代に行うことが、どのようなまなざしを受けるのか考える必要があります」。大学名を冠したイベントを容認することで、大学がそのイベントの価値に同意していると捉えられるのは避けられない。
東大は合格者に占める女性の割合が10年近く2割前後で推移していることを受け、女性受験生・学生へのさまざまな広報や支援を行っている。また今年6月には「東京大学ダイバーシティ&インクルージョン宣言」を制定するなど、学内の多様性を尊重する姿勢を積極的に打ち出している。「そのような立場を取る大学にとって、コンテストを容認したままでいることがプラスになるのかを真剣に考えるべきだと思います。開催をやめさせることが難しくても、どんな形でなら東大の価値をポジティブに示す広報になり得るのか、ダイバーシティ&インクルージョンを尊重するやり方を模索するべく、学生と大学が協議することも検討していいのではないでしょうか」
こうした建設的な議論の実現には、意見の対立した者同士が互いの考えを尊重しながら話し合うことが必要だが、そのために「イベント開催の目的を原点に戻って確認すると、互いに共有している問題意識が見えてくるかもしれません」とアドバイスを送る。
最後に「SNSなどでは、人を外見や性的な魅力で品定めするルッキズムがはびこっています。特に女性はそうしたまなざしにさらされやすい。ジェンダーを問わず、見た目をあれこれ言われる苦しさは、誰でも心当たりがあると思います」として、コンテストをめぐる問題はあらゆる人に関係があると指摘する。「若い世代のメンタルヘルスにSNSがネガティブな影響を与えていることが今問題になっています。東大生は知識があり、社会の動きにも敏感でしょうから、コンテストの影響について冷静に考えてみてほしいです」
いいねの数によって評価されることが日常化した時代で、自分をいたわるにはどうすればいいか。ミスコン・ミスターコンへのまなざしを考えることは、ジェンダーや見た目など関係なく全ての人にとって、健康的で幸せな社会の在り方を考えることにつながるかもしれない。
小島慶子(こじま・けいこ)さん 95年学習院大学卒、アナウンサーとしてTBSに入社。10年、独立。17年より東大大学院情報学環客員研究員。メディア表現とジェンダーに関する発信も多い。近著に対談集『おっさん社会が生きづらい』(PHP新書)
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