東大経済学部3年次に休学し、和歌山県美浜町三尾に1年間滞在した岩永淳志さん(農学生命科学研究科・修士1年)。現在も三尾に通い活動を続ける岩永さんに同行し、共にまちをつくる地域の人々を三尾で取材した。(取材・松崎文香)
【前編はこちら 岩永さんインタビュー】
「アメリカ村」と呼ばれたまち
「このまちを再発見してくれた人です」。三尾に住む寺西和夫さんはそう話す……。
和歌山県美浜町三尾。南紀白浜空港から白浜駅に向かい、特急くろしおに乗れば40分で最寄りの御坊駅に着く。そこから車で30分、人口500人ほどの海沿いの小さなまちだ。
三尾はカナダへの移民を多く送り出してきた歴史を持つ。明治初期、漁業権争いに敗れ困窮した村を立て直すべく工野儀兵衛氏がアメリカ大陸へ渡ったことをきっかけに、少なくとも2000人以上の村人が出稼ぎのため移住し、三尾は「アメリカ村」と呼ばれるようになった。
岩永さんは東大学部3年次に休学し、1年間三尾のゲストハウス「Guest house & Bar ダイヤモンドヘッド」を手伝いながら居候した。その間、移住の記憶を持つ世代とその周囲の人々への聞き取りや、まちに残っていた資料の収集を行い、2年前「中津フデ展」を開催。フデさんは、カナダに移住した経験を持ち、英語混じりの日本語を話す「アメリカ村の看板婆さん」だった。現在はその後続である「村尾敏夫展」を開催中だ。
移民の記憶を伝える「カナダミュージアム」
両企画展の会場である「カナダミュージアム」にお邪魔した。迎えてくれたのは、自身もカナダ帰りの両親を持つ館長の三尾たかえさん。休学中の岩永さんを支えた人物でもある。
「岩永くんも大人になったよね。最初来た時は、東京の坊っちゃんがこんな田舎に大丈夫かと思ったけど」と話す三尾さん。「東大生って、アルバイトにしても家庭教師とか塾講師とか『先生』っていう恵まれた立場で、高時給で働いていることが多いじゃない。飲食店で叱られながら低賃金でバイトする普通の大学生とは少し違う。岩永くんも、慣れない生活をしながら田舎の濃密な人間関係に溶け込むのは大変だったと思う。それでも、岩永くんは自分からこのまちに参加しようとしていたからね。移住の話を聞いてくれると、やっぱりおじいちゃんおばあちゃんたちはうれしいのよ」
併設のカフェの奥に進むと、三尾の移民の歴史を解説する常設展と、岩永さんによる「村尾敏夫展」がある。村尾敏夫さんは、三尾出身の両親の元、1920年にブリティッシュコロンビア州リッチモンド市スティーブストンに生まれた。日本で教育を受けるため三尾で幼少期を過ごすが、16歳の頃スティーブストンに戻り、第二次世界大戦下では他の日系カナダ人2万2000人と共に強制収用も経験した。戦後は一度三尾に帰るが、生活難から再びカナダへ。展示では、カナダの村尾さん宅で食べられていた日本食や、正月を日本酒で祝う家族の姿が展示されている。岩永さんは「海外で働くということが注目される今、過去に日本から移民した人が行った先でどのようなことを経験したのかを伝えたい。また日本人の移民の歴史を知ることで、日本に来る外国人の方々との垣根を少しでもなくすことができたらなと」
日英両方で語り継ぐ「語り部ジュニア」
カナダミュージアムの次は「語り部ジュニア」の活動に同行させてもらった。語り部ジュニアは、地元の子どもたちが三尾の歴史や名所を、日英両方の言語で語り継ぐ取り組み。講師として運営に携わるのは、学校の教員や熊野古道のガイドなどさまざまだ。取材当日は、地方創生を専攻する大正大学の学生を案内中だった。
毎週日曜日、廃校になった小学校で行われている勉強会に、時折顔を出す岩永さん。2020年には、カナダミュージアムのバーチャルツアーや、語り部ジュニアと京都外国語大生、東大生で意見交換を行う、東大の体験活動プログラムを企画した。
地元の人々と共に、語り部ジュニアの立ち上げに尽力したのは、財務省出身の西山巨章教授(大正大学)。定年間際に内閣府から、地方創生の補助役として美浜町役場に派遣された。「赴任後、三尾を歩く中で『アメリカ村』というバス停を見つけ、中学の社会科の授業で習ったあのまちかと気が付いた」と話す。その後、帰国した移民が建てた、洋風の古民家を再利用する計画を立て「空き家になっていた2軒のうち、片方をカナダミュージアムとして、もう片方をゲストハウス『遊心庵』としてオープンする手伝いをしました」。その他、三尾の公民館の二階を利用しレストラン「すてぶすとん」を設置。見る場所、泊まる場所、食べる場所、という観光誘致に必要なハード整備に協力した。
「何度も訪問してもらうにはソフト面の整備も大事」と考える中、地元の英語教師の出石美佐さんと語り部ジュニアを思いついたという。「移民の記憶をもつ世代が次々と亡くなっていき、語り部の育成が急務だという問題意識がありました。どうせならとことん若くし、ふるさと教育も兼ねて小中学生はどうだろうと。またカナダからルーツ探しに来る人も多いので、英語で話せる語り部にしようと決まった」と話す。官庁にいた経験を生かし、法律面のサポートや補助金の獲得を通じて、これらのまちづくりに参画してきた。岩永さんからFacebookで連絡を受け、ゲストハウスのオーナーにつなげたのも西山教授だ。
「内側の視点」でまちづくりに取り組む
この日の最後、語り部ジュニアの講師や西山教授、大正大学の学生の前で、岩永さんは自身の移住の経験や三尾に対する思いを語った。
「地方創生においては外からの視点が重要だと言われる一方で、そこに住む人々が持つ内側の視点もやはり大事だと思います。よそものは気が付かずに通り過ぎてしまうような歴史や、場の使われ方があるからです。
道の駅をリノベーションして、その周りにシェアキッチンを作ってお店を誘致し……、という画一的な方程式で地方が『創生』されていく中、美浜町はまだ昔のままの風景が残っていると思います。その土地らしさや今の風景を残した上で、地域に産業や職があるような状態にしたい。でもそれは1年や2年といったスケールではなく、もっと時間がかかることだと思います。ここに来たばかりの時は『ああすればいいのに!』と焦ることもありましたが、語り部ジュニアをはじめ、活動に参加している人は、それぞれの本業があるなか少しずつ続けているんですね。
僕自身は、大学院を修了したら三尾に移住する計画を立てています。そして、三尾を100年先も500人くらいの人が暮らせるまちにするために、自分も地域側に立って、模索していきたいと考えています」
官庁に務めた経験を活かし、制度の活用や予算を集めて計画を実現につなげた西山教授。三尾に愛着を持ち、自分の時間を割いて活動を続ける地域の人々。「外」とのつながりを生かして外部の注目を集める一方、フィールドワークで三尾の歴史を再発見し、伝える岩永さん。小さな「官民学」の輪が、美浜町三尾に新たな波を起こしつつある。
【前編はこちら 岩永さんインタビュー】
【写真追加】2022年11月23日12時45分、最後の写真を追加しました。