インタビュー

2022年11月22日

和歌山の「アメリカ村」に「留学」した東大生【前編】

 

 東大経済学部3年次に休学し、和歌山県美浜町三尾に1年間滞在した岩永淳志さん(農学生命科学研究科・修士1年)。なぜ休学して日本の小さなまちに滞在したのか、経緯や三尾で行う活動について聞いた。(取材・松崎文香)

 

【後編はこちら 三尾を現地取材】

「よそもの」東大生による記憶の継承と地方創生【後編】

 

なぜ休学して和歌山に? 南京でのフィールドワークが転機

 

──三尾はどんなまちなのでしょうか

 

 三方を山に囲まれ、前面には海が広がる、人口500人ほどの漁村です。昔ながらの古民家が立ち並んでいますがその半数以上は空き家で、住民も大部分が高齢者のいわゆる限界集落です。10年、20年後にはどうなっているんだろうというまちですが、山の上から見る海と山々の景色がとてもきれいで、自然には恵まれています。また、アメリカ大陸への移民を多く送り出した歴史を持ち、独特の文化が根付いています。

 

三尾にある龍王神社のアコウの木。神社にはカナダからの寄進も多い

 

──東大の文Ⅱに入学した理由はなんですか

 

 東大を目指した理由は特にない、というのが本音です(笑)。日比谷高校時代に、ニューヨークに行く短期留学のプログラムに参加したことがきっかけかもしれません。現地の大学の教員に、食料問題の解決策について発表したのですが、全く歯が立たず……。もっと世界に出るべきだと考え、それなら日本最高峰の大学だと東大を意識し始めました。発表を聞いてフィードバックをくれたのが経済学の教授で、もっと経済学を学びたいと思ったことも文Ⅱを選んだ理由の一つです。

 

──入学前は海外志向だったんですね。なぜ日本のまちに休学して1年間滞在しようと思ったのですか

 

 1年次に参加した授業の「南京大学フィールドワーク研修」が大きな転機になりました。南京の郊外のまちを訪れ、東大生と南京大学の学生2人で興味を持った店や家庭にお邪魔し、ドキュメンタリーを作るプログラムです。南京の中心部は大きなビルが立ち並ぶ都会ですが、取材に行ったのはスラムのように寂れた商店街でした。押せば倒れそうな住居が並び、衛生的にも不安で「これはやばいんじゃないか」と思いました。

 

 しかし、いざ家庭にお邪魔してみると印象が変わりました。貧しく見えても日々の生活がすごく苦しいわけではなく、都会にはないご近所との助け合いがある。庭先にニワトリが干してあった時は驚きましたが、よく考えたら病気になるほど不衛生な環境ではないし、乾いているから匂いもせず「別に変なことじゃないな」と。むしろ東京のマンションでは、おいしい干し肉を作る機会を失っているのだと思いました。そもそも、日本は豊かなのに南京のまちは遅れていてかわいそう、という考え方が間違っていたわけです。自分の育ってきた環境や、ものの見方が偏っていたと気付かされました。

 

 南京のご家庭に入り一緒に生活する中で、自然と深い話を聞けたことも大きな気付きでした。食事中、何の気なしに「この料理はどこの料理なんですか」と尋ねると中国の内陸の料理だと言われました。聞けば、その方は内陸部出身で、中国国内の複雑な事情で故郷を離れざるを得ず、南京で働いているとのことでした。このことを最後の発表で話したら「なんでそんなに深いことを聞けたの」と他の参加者に驚かれたんですね。意図的に感動的なドキュメンタリーにしようとか、つらかったことを聞き出そうとしたのではないわけです。住んでいる人と同じ目線に立ってたくさん話を聞き、一緒に手を動かすことが大事なのだと思いました。

 

──なぜ和歌山県美浜町三尾を滞在場所に選んだのですか

 

 課題解決や文化交流ではなく、1人の人間として、一緒になって暮らしに向き合う。南京で行ったのは、まさに「参与観察」というフィールドワークの手法だと知りました。そういう活動を自分の感覚がもっと変わるくらいやらなければと思ったとき、海外である必要はないと。僕は東京で育ったので、駅から歩いて帰れるのが当たり前の、東京の感覚しか知らなかった。そうではない、日本の田舎を見なければと考えていました。

 

 そんな中、たまたま好きなアニメ「AIR」の聖地巡礼で三尾を訪れたんです。その旅行の中で三尾が「アメリカ村」と呼ばれ、アメリカ大陸に出稼ぎに行く移民を送り出していた土地だと知りました。高校卒業の際に司書の先生から貰った廃棄の本の中にそんな話があったなと、帰宅後その本を開いてみたんです。すると一行目に「和歌山県美浜町三尾」と書いてあって「こんな偶然あるのか!」と。三尾に運命を感じて、休学して行くことを決めました。

 

──決めたと言っても、知り合いがいるわけではないですよね

 

 そうなんです。インターネットで「美浜町 まちおこし」などと検索して出てきた人をFacebookで探し、ダイレクトメッセージを送るという手法を取りました。幸運なことに3人目に連絡した、美浜町の町おこしに関わった西山巨章教授(現・大正大学)から返事をもらい、三尾のゲストハウスのオーナーにつないでもらえました。

 

岩永さんが滞在した古民家ゲストハウス「ダイヤモンドヘッド」

 

三尾に行かなければ「残念な東大生」のままだった

 

──三尾ではどのように過ごしていたのですか

 

 そのゲストハウスのオーナーが「店を手伝ってくれたら住んで良いよ」と言ってくださったので、チェックインや掃除洗濯などをしながら居候していました。 

 

 滞在中はひたすら地元のおじいちゃん・おばあちゃんやお店の人に会いに行き、話を聞きました。農家の方と少し親しくなったら「一緒に稲刈りやらせてください」と頼んだり、裁縫が得意なおばあちゃんにやり方を教えてもらったり……。書道教室をやっている仏壇屋のおばちゃんに頼み、地元の小中学生に混ざって書道を習ったこともあります。「自分の名前くらいちゃんと書きなさい!」とか言われながら(笑)。地域の人と話し、その方が営むことを教えてもらいながら過ごしていました。

 

 三尾の人と話していると、移民の経験を持つ名物おばあちゃんの話がよく話題に上ったんです。パンのことを「ぶれど」と、相手や自分のことを「ゆー(you)ら」「みー(me)ら」と言っていたんだよ、と教えてくれる。次世代に伝えるためにもこの話を展示資料にまとめようと思い、休学期間の終わりに三尾にあるカナダミュージアムで「アメリカ村の看板婆さん 中津フデ展」を開催しました。

 

──1年間の滞在を終え東京に戻った後、大学生を地方に派遣する「青空留学」の運営に参加しました

 

 三尾にいた1年間は本当に衝撃的でした。東京で育ち、田植えなどの農作業はもちろん、自分1人で暮らすという経験をしたことがなかったんです。最初の頃は洗濯物はネットに入れ忘れるわ、洗い物は遅いし洗い残しはあるわで、いろいろな人に迷惑をかけました。もし三尾に行かなければ、僕は家事一つまともにできない残念な東大生のままだったわけです。田舎での生活はただ農作業を知る、田舎暮らしを知るだけではなく、生きる上での基本を学ぶ貴重な経験でした。だからこそ、同じような経験を同年代にしてほしいと考え、日本航空とポケットマルシェによる「青空留学」の運営に参加しました。

 

 青空留学は、日本の地方に大学生を派遣し、そこで生活を営む人々の姿を間近で見て、一次体験をしてもらう企画です。秋田の地引網の漁師さんの元や、熊本の川魚の養殖場に学生を送り出しました。そこで、夜中の1時に出港し夕方5時に帰港する漁師の生活を、同じように船に乗り、時には船酔いと闘いながら体感してもらうわけです。

 

──大学院での研究テーマはなんですか

 

 一つは三尾のカナダ移民の歴史を残すための研究です。特に、実際の移民した方の経験やその方たちが使う言葉を、動画や音声の形で残すことに注力しています。もう一つは、耕作放棄地についてです。三尾は耕作放棄地が多く、そこが今太陽光パネルに変わっていっています。豊かな里山の風景が青色のパネル一色に変わることに違和感を覚え、そもそも耕作放棄地がどのように発生したのかや、土地の活用について研究しています。

 

──現在は三尾で「日本とカナダで生き抜いた100年 村尾敏夫展」を開催中です

 

 村尾さんは、両親が三尾の出身で自身はカナダに生まれました。カナダと三尾を行き来しながら大人になり、最終的にはカナダで漁師をしていた方です。第二次世界大戦下のカナダでは日本にルーツのある人が「敵性外国人」とみなされ、全財産を没収・強制収容されましたが、村尾さんもその一人です。2020年に100歳でお亡くなりになったので、日本とカナダにいる関係者に取材して企画展を作りました。

 

 

 聞き取りをする中で面白かったのは食ですね。村尾さんはカナダで、毎週火曜に何十人もいる孫を家に集め、茶粥とお漬物、焼き魚を一緒に食べていたそうです。「Sakana Tuesday」と言っていたと、お孫さんたちが楽しそうに教えてくれました。他にも年末は家族で餅つきをし、新年は日本酒で乾杯していたそうで、お孫さんたちは国籍で見れば完全にカナダ人だけど、日本の文化に触れてきたわけです。村尾敏夫さんの100年を通じて、日本とカナダの二つのアイデンティティーを行ったり来たりしている人が、確かにいるんだと知ってもらいたいですね。

 

企画展:日本とカナダで生き抜いた100年 村尾敏夫展

 

場所:カナダミュージアム(和歌山県美浜町三尾482)

期間:2022年12月28日まで

営業時間:午前10時〜午後4時、火曜定休

 

【後編はこちら 三尾を現地取材】

「よそもの」東大生による記憶の継承と地方創生【後編】

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