受験生に広く使われている英単語帳『改訂版 鉄緑会東大英単語熟語 鉄壁』(KADOKAWA)を執筆した東大受験指導専門塾「鉄緑会」の英語科主任の三木秀則さん。高校生の頃は塾に通わず東大に合格。自ら試行錯誤して勉強法を確立させた経験を生かし、受験指導に携わっている。大学受験に対する塾講師としての思い、受験生へのメッセージを聞いた。(取材・天川瑞月)
独学で悩んだ日々 自分を信じて勉強法を試行錯誤
──東大を志望した理由は
東大受験を決めたのは中3頃です。東大に入るというよりも東大の仏文(文学部人文学科フランス語フランス文学研究室)に行くことを決めました。国語の授業で配られた国語便覧の巻末に載っているいろいろな作家の紹介を読んだのがきっかけです。経歴を見ると、例えば太宰治(中退)や小林秀雄、大江健三郎などはみんな東大仏文卒と書いてあったんです。当時文学が大好きな少年で、読んでいた憧れの作家たちの出身場所だからすごい所なんじゃないかと思って、どんな場所かも調べることなく決めました。
──ご自身の受験生時代について教えてください
基本的に独学派でした。塾には中学生の頃に3カ月くらい通ったことはあったのですが、合わなかったです。それなら自分で勉強しようと思い、参考書を買ったり勉強法を研究したりしていましたね。高校3年間もずっと1人で勉強していましたが、自分のやっている勉強法が正しいのか、とか無駄なことをやっているんじゃないか、とか不安に駆られることは度々ありました。受験勉強ということに関しては頼れる人もおらず孤独でした。自分は自分の方法が一番良いと思ってやっているし、面白いとも思っていましたが、不安と戦いながらの受験勉強でしたね。不安なときは「自分は正しい」と信じ込んで、最後まで勉強していました。
──ご自身の大学生活について教えてください
1、2年生の頃は不真面目な学生で、あまり学校には行っていませんでした。その頃は演劇に興味があったので、学校に行っていないときは外部の劇団で活動していました。3年生になり仏文に進学してからはぼちぼち授業に出始めました。憧れていた仏文ですが、入ってみたらちょっと思っていたものと違ったんですよね。作家の視点で文学について考える雰囲気からアカデミックに文学を考えようという雰囲気に世代交代していた時期だったんです。加えて、3、4年生の間に、憧れていた先生がどんどん退官してしまいました。研究者として勉強する雰囲気は自分には合わないなと思ってしまいました。
そんな中でも、とあるフランス人の先生が印象に残っています。その先生は長く勤めていたので昔の仏文も知っていました。フランス語を学びたてで、話している内容は半分ぐらいしか分からなかったのですが、その人の教えている、文学の本質ってこういうものだよねという考え方は、異言語を通しても自分の心に響いた覚えがありますね。
──受験での学びが今の仕事に生きている場面は
これははっきりとしています。勉強というものは、学校や塾の先生に「最適な方法」や「一番効率の良い方法」を教わって、それを信じて学力を伸ばしていくものだと思うんです。僕の場合、塾に通った経験がほとんどなく、自分で試行錯誤しながら勉強していたので、悪い方法も良い方法も全て体験済みなんですよ。「良い方法」だけを教わってもそれが本当に良い方法なのかが分からなかったり、他にもっと良い方法があってもそれを知らないでいたりしたかもしれません。長い時間がかかりましたが、僕は全ての方法を自分で試してきました。悪い方法がなぜ悪いのかも実感として分かっているので、授業での教え方や教材作りに役立っています。
まずは生徒を尊重し、正しい方向に導く
──受験生時代には独学派だった一方で今の職業は塾講師です
学生時代から鉄緑会でアルバイトをしていましたが、当時はあくまでバイトの一つという感覚でした。また、演劇の他に映画も好きで映画監督をやりたいなと思っていて、塾でのアルバイトと同時並行で進めていました。鉄緑会でいろいろな仕事を任せられるようになって教材や試験を作るようになると、こういった業務が結構得意だなと感じました。例えば教材作りでは、どうやったら効率的に身に付くか、あるいはどうやったら生徒に考えさせられるかを考えたり、試験作りでは、生徒の達成度をどう測れるかを考えたりしていました。こういった面で、受験生のときに自分で勉強法を試行錯誤した経験があったからこそ向いてるかもしれないと感じ始め、30歳になってから塾講師を専門でやろうと決めました。『鉄壁』を書き始めたのもこの頃です。
──塾の授業で意識していることは
良くない言い方をしてしまうと、生徒の言う「分かった」を信用しないことです。「分かりました!」と言う生徒は9割方本当には分かっていないです。別の形で同じような問題を解けるか試すとできないんですよ。分かったつもりの状態と本当に分かっている状態の差はとても大きいです。世の中の受験生は、いろいろな授業を受けたり参考書を読んだりして分かったつもりになっていることがよくあると思っています。特に話が上手い先生の話を聞いたとき、すごい話を聞いたなと分かった気になることがありますよね。鉄緑会の場合はこの分かったつもりかどうかを試すためにテストや毎週のチェックシステムを使って、生徒をサポートしています。
──塾講師としてのやりがいとは
塾講師は教材を作る仕事と実際に教室で生徒に教える仕事の主に二つがあります。作った教材を生徒が使って学力を伸ばしていくことなど、自分が今までやってきたことが形になっていろいろな人に伝わっていくのを見るのは非常に楽しいです。特に『鉄壁』は日本中の人が使ってくれています。作っている時は、受験生時代と同じく自分が編み出した方法が正しいのかとても不安でしたが、全国の人の反応を見て役に立っているなと実感するとやりがいを感じます。
実際に教室で教えるときは生徒の成長が見えてくるのが楽しいです。毎年どんどん新しい生徒が来ますけど、1人1人が違うんです。鉄緑会はプライベートレッスンではないので、共通で教えることと個別で対応することを使い分けないといけないのは難しいですね。今でも毎週学びつつやっています。
──印象に残っている生徒は
授業中に全然ノートを取らないで、よく分からないメモ書きをしている生徒がいました。でもその生徒はとても優秀でした。自分が分かる形で頭に入れるために自分しか分からないメモで書いたんだと思うんですけど、そのまま卒業して大学も合格していきました。反対に僕がしゃべることを一字一句全部メモしている生徒も覚えています。最近では海外経験も無いのに本当に英語ができる生徒に出会って驚きました。どうやって勉強したのか聞いたら海外ドラマをずっと見ていたら分かるようになったと言っていました。本当にいろいろなタイプがいるので「絶対ノートを取りなさい」などとはあまり言わないようにしていて。クラスに30人いたら30人とも違う、その人に合った勉強法があるのが経験からも分かっているので、なるべく生徒の持ち味を尊重した上で間違っている部分があったら指摘するようにしています。
──著書『改訂版 鉄緑会東大英単語熟語 鉄壁』(KADOKAWA)について教えてください
アメリカ文学が大好きだったので学部時代から英文学科の授業に潜り込んで英語の研究や勉強を進めていましたが、単語には苦労していました。当時鉄緑会でアルバイトをしていても、学年が上がるにつれ生徒が一番苦労しているのは単語だったんですよね。なかなか覚えられないし、覚えたとしてもどんどん忘れてしまうのを目の当たりにして、こうやれば完全に身に付くよというのを一つの形として提供しないと駄目だと感じたのが『鉄壁』を書き始めたきっかけです。
単語帳を選ぶときはどんな単語が載っているのかというところに注目しがちですが、そもそも載っている単語を覚えられないと意味がないですよね。従来の単語集はどちらかというと覚えること自体は読者一人一人の工夫に委ねられている印象です。単語帳を5周しましたと言っている生徒でも問題を出してみると全然覚えていないんです。そういう生徒がたくさんいました。この状況の中で単語帳にただ単語を並べるだけだと無責任じゃないですか。それなら最初のページから勉強していけば確実に覚える体験ができる単語集を作りたいと思いました。
単語によって覚え方はそれぞれ違って良いはずなんです。何回やっても覚えられない単語もあればなぜか1回で覚えられている単語もある。この1回をどうやって作るのか、とにかく頭に残るにはどうしたら良いかということを考えてたくさん仕掛けを考えました。
──学問としての「英語」の魅力とは
僕は英語はあくまでもツールだと考えていて、英語を使っていろいろなことができるようになるのが楽しくて好きです。本や映画、ドラマでもより多くの作品に触れて世界を広げることができ、自分の可能性が広がっていく楽しさが英語の魅力だと思います。何かに興味がある人なら、英語を学ぶことを楽しめるきっかけを見つけられると思うんです。受験勉強が好きだったら良いのですが、そういう人ばかりではないと思うので、自分が英語を使って楽しめる分野を見つけることが英語学習を成功させる一つの鍵なんじゃないかなと思います。
ごまかしなく自分と向き合って最適解を見つける
──東大の英語の入試問題に対しての印象を教えてください
この東大受験専門塾でずっと仕事を続けられているのは、やはり東大の英語の問題は面白いからです。単純な英語の運用能力を測るのではなく、英語を使っていかに知的好奇心をくすぐるかというポリシーのもと作られているなと感じます。作っている人の表情が見えるんですよ。作り手に対してどうやって答えようかなと考えるときにコミュニケーションが成立するのが面白いなと思っています。これは知っている限り何十年も変わらないですね。英語そのものというよりも、英語を使ってこんなに面白いことができるんだよと試しているような印象を受けます。自分が英語を教え始めて、こんな工夫がされているんだと分かるようになりました。
最近では問題が明らかに難しくなっています。求められている読解力や作文力、リスニング力などのレベルが上がっているので、教材もどんどん高度にしていかなければいけないというのはありますね。分量もここ15年くらいで大幅に増えているのでスピード感や処理能力も大事になってきています。近年はネットを含め語学学習に有利な環境が整っていることでおそらく受験生の英語力が上がってきているんだと思います。東大もその受験者に対応しなければいけないから難易度を上げている。イタチごっこのような状況ですね。
──塾講師の視点から見える「東大」とは
東大受験専門塾の鉄緑会で、毎年400〜500人の生徒が受かっているのを見ていても、東大は他の大学とは一線を画すような特別な存在だと感じます。ある壁を越えないと入れないという印象自体は受験生時代とあまり変わっていません。東大に入るには、がむしゃらに勉強するだけでは駄目で、問題を見た時に、何を聞かれていて何をどう答えれば良いのかというレスポンスができることが必要です。客観的な第三者の目から見て、正しい受け答えをしているのかどうかをチェックできるような勉強法が必要になってくると思います。塾講師としては勉強法や勉強に対しての根本的な考え方が間違っていたら軌道修正してあげることが大事な仕事だと思います。
──三木さんにとって大学受験とは
通過儀礼という感じですかね。多くの人が超えなくてはならない、それまでの人生の中で最も高いハードルの一つだと思います。まだ子どもだと思っていた生徒が、受験に対するプレッシャーや不安、あとは単純に勉強だとかさまざまなものを全部受け止めなければいけない。こういったことは他人に任せられないじゃないですか。我々塾講師も結局はサポートするぐらいで、試験会場に入っていくときは結局は1人です。乗り越える最後の最後には自分と向き合わなければいけないというところで人間的に成長できるかなと思っています。
──東大合格を目指す中高生へのメッセージをお願いします
とにかく自分としっかり向き合おうということを言いたいです。最後の最後に大きく差が出るところだと感じています。自分を良く見るのでもなく悪く見るのでもなく、学力以外にも精神力や体力など全部を含めて自分をごまかすことなく真っ向から見ましょう。その上で最適な解決策が何かということを考えた人が受験で成功するというのを毎年見ています。例えば模試の結果が返ってきたときに言い訳をしてしまうのはよくあることだと思いますが、自分の今の能力はこれなんだとしっかり受け入れる。結果を分析して向き合って、その次にどうすればいいのかを考えるということです。自分にとっての最適解を見つけていくというのは大学受験後もずっと必要な能力で、その過程で培った能力やノウハウは一生役立つことだと思います。