100万部を超えるベストセラーになった『向日葵の咲かない夏』、直木賞を受賞した『月と蟹』など、次々と話題作を生み出している作家の道尾秀介さん。作家といえば子供のころから読書に親しんでいると思われがちだが、道尾さんが初めて小説に触れたのは17歳のときだったという。作家になるまでの経緯や、特徴的な作品を生み出す秘訣に迫った。
(取材・竹内暉英、撮影・宮内理伽)
読みたいものを書く
――多くのヒット作を生み出している理由は
僕はメジャーなものはあまり好まない人間なんですよ。例えばテレビは3番組しか見ない。ですので、書いている小説も深夜番組みたいに大衆受けしないものだと思っていました。自分が読みたいと思うものを書いているだけなんです。それなのに読者が付いてくれたということは、僕と同じものを読みたいと思ってくれた人が世の中に意外といてくれたんですね。
いくつもの話をいっぺんに作りたくないので、そのときに一番読みたいものを書きます。1冊読み終えると、また違った本を読みたくなるからその繰り返しです。作風というものに縛られてずっと同じ系統の本を出すのではなく、いろんなテイストの作品を書いてきたおかげで、読者が増えてくれたんだと思います。
僕のやり方として、映像化できないものを書く、というのが絶対条件ですね。映画だったら2時間で済むのに、わざわざ時間と労力をかけて、得たものが同じボリュームだったら申し訳ないですから。
でも映像化が嫌いというわけではありません。『カラスの親指』など映像化された作品は、自分が作った小説とは違う「映像版」として楽しんでいます。
――叙述トリックが特徴的です
トリックは感情をぶつける方法だと思っています。「この小説のテーマは~です」と書いても誰も読んでくれない。相手の懐に飛び込んで直接感情を伝えるのに利用するのがトリックで、手段であり目的ではないんです。必要なら使うし、そうでないなら使わない。例えば同じ感情を伝えるのに『向日葵の咲かない夏』ではトリックを使い『月と蟹』ではトリックを使わずに表現しています。
――小説のアイデアを生み出す秘訣は
人と話をすることでしょうか。たくさんの生身の人と深く関わりあうことで感情が生まれ、そういった生きた感情をアイデアにします。人を好きになったことがない人に恋愛小説は書けませんよね。僕は人を殺したことはないけど、殺したいと思ったことはある。これを実体験でなく小説から学んだら、劣化コピーになるので気を付けていますね。
――執筆時に意識することは
作家になって11年目になりますが、初めの10年間はずっと読者を自分一人しか想定していませんでした。10周年記念で出した『透明カメレオン』は、自分のやりたいことを100%入れた上で、初めて自分以外の読者も意識して書きました。大変な仕事でしたが、反応が大きく、自分としても最高のものが書けたと思っています。そればっかりでも面白くないけど、たくさんの人に感動してもらえたらいいですね。
最初は失敗しても自分だけのせいだから気にしなかったんですが、応援してくれる人がいる今は裏切るわけにはいきません。作品のクオリティーを上げてたくさんの人に楽しんでもらいたいです。
小説に才能感じる
――作家を志した理由は
もともとものを作るのが好きでした。シャンパンのコルクとワイヤーで人形を作ったり、板切れやガラスに絵を描いたり。その中で唯一才能があると思えたのが小説だったんです。
17歳で初めて小説に触れ、こんな不思議なものがあったのかと驚きましたね。もし小中学生の時に読書を押し付けられていたら、性格からして絶対に嫌いになっていた。成長してから触れた分ショックが大きく、自分でもこんなものを作りたいと思いました。
そして19歳のとき、自分で書いた方が面白いと思って書いてみた小説が、実際面白かったんですよね。もちろん作者と読者の趣味が一致しているからというだけで、誰もがその作品よりプロの作品を面白いと思うだろうけど、自分だけは一番だと思い込みました。10代特有の勘違いですが、その勘違いが結局20年以上、続いているんです。そう思い続けられるからプロでいられるんでしょうね。
作家になると決めて、10年間頑張って駄目なら諦めようと考えました。どんな職業でも10年やって駄目なら向いていないと思ったので。結果、29歳でぎりぎり作家になれました。
――社会人になってからの執筆と仕事の両立は
食べていくために営業の仕事をやっていました。午後11時に帰宅し、午前6時半に家を出るまでの間に執筆する生活です。会社の行き帰りの電車で頭の中で構想を練って、夜中に一気にパソコンに落とし込むという感じでしたね。
会社勤めも嫌いではなかったし、家に帰って書けると思うと頑張れたから両立は苦痛ではありませんでした。デビューして兼業作家になった後は、締め切りがあるためゆっくり書くわけにはいかず、会社から帰って朝5時まで書いて1時間寝て家を出る、という生活を1年間続けました。体力的にはとてもつらかったはずですが、アドレナリンが出ていたんでしょうね。
――デビュー時と比べて変わったことは
『月と蟹』で直木賞を取った後、作家の北方謙三さんにお酒の席で「道尾、お前はこれからは小説のための小説を書け」と言われて、その言葉を意識しています。これまでは自分のために小説を書いていましたが小説界を盛り上げろ、という意味だと捉えています。
――大学生へのメッセージをお願いします
がん細胞っていうのは、遺伝子情報のコピーミスでできるんです。でも、コピーミスがなければ進化は起きない。若い人を見て思うのは、ミスやエラーを怖がっていても先には進めないということです。
自分の若い頃を振り返ってみても、大きく進化できたときはたくさんのエラーがありました。エラーの一つ一つが力になっています。失敗を恐れずにやってほしいですね。
後は、自分自身で行間を歩き回って能動的に読まないと楽しめない小説に手を出す人が減っていると感じます。僕の作品にその傾向は強いですが、そういったものに手を出す勇敢な読者になれば、大きなものに巡り合えるはずです。
道尾 秀介(みちお しゅうすけ)さん(作家)
04年、『背の眼』で第5回ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞してデビュー。09年から5回連続で直木賞候補に選ばれ、11年、『月と蟹』で直木賞受賞。他に『向日葵の咲かない夏』『透明カメレオン』など。
この記事は、2016年2月2日号(読書特集号)からの転載です。本紙では、他にもオリジナルの記事を掲載しています。