文化

2024年1月11日

【100行で名著】絶え間なく壊される秩序としての生命 福岡伸一 『生物と無生物のあいだ』

 

 なぜ私たちは、生物と無生物を瞬時に見分けられるのか。私たちが生き物を見て感じることのできる「生命の律動」とは、一体何なのか。

 

 本書は、生物を定義するという難問に取り組むれっきとした生物学の新書でありながら、科学界のダークサイドを描く暴露本でもあり、科学者と共に真実を追求していくような気持ちになれる推理小説の要素も含んでいる。さらには、筆者の体験や生命の姿が美しい描写でつづられた随筆として読むこともできるだろう。

 

 研究者の厳しい生活、論文査読の罠、DNAのらせん構造を発見したとして有名なワトソンとクリックの研究の背後にあった「不正」。本書を読めば、生物学者の筆者だからこそわかる科学界の闇を垣間見ることができる。さらに後半では、実際に行った細胞膜の実験が2章にわたって紹介される。筆者らは地道に目的のタンパク質を探し当てながら、ライバルチームとのスピード競争にさらされていく。そんなスリリングな研究過程を、読者も一緒に味わうことが可能だ。

 

 本書の中盤には、「生命とは何か」という問いに対する筆者の答えとして「動的平衡」という概念が提示される。一見難しそうな言葉だが、筆者は生命を海辺にある砂の城やジクソーパズルと対比して、この「動的平衡」を分かりやすく説明してくれる。「絶え間なく壊される秩序」とはどういうことか、生命と機械の決定的な違いは何か。生物学を本格的に勉強したことがなくても理解できる内容になっているので、恐れずに手に取ってみてほしい。

 

 本書において、筆者の類いまれな文才を最もうかがい知ることができるのは後書きであろう。後書きは、筆者の少年時代の話で始まる。取り残された貯水池にひそやかに連鎖していた命、きれいなブルーの羽を保ったまま死んだ蝶、開発とともに破壊されていく自然の様子が鮮やかに描かれ、読者は筆者の過去を追体験する。

 

 最後に筆者が語るのは、トカゲの卵にまつわる、ささやかだが神秘的な思い出である。筆者にとっての「センス・オブ・ワンダー」でもあり、生物学者としての「諦観」にもなったこの体験が、今もなお筆者の全ての研究を貫き続けているのだろう。

 

 この本を読めばきっと、道の草木や空を飛ぶ鳥、そして私たち人間といった全ての生物が自然の流れの中で生き続けていることの不思議さや素晴らしさを実感できるだろう。筆者の巧みな文章を味わいながら、奇跡的で美しい生物たちの世界にぜひ触れてみてほしい。【杜】

 

福岡伸一『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書、税込968円
koushi-thumb-300xauto-242

タグから記事を検索


東京大学新聞社からのお知らせ


recruit

   
           
                             
TOPに戻る