文化

2021年9月12日

石戸諭『ニュースの未来』 気鋭のライターがメディアを論じる……だけではない 【100行で名著】

 

 ニュースとは何だろうか。本書では、こんな定義が試みられている。速報性があろうがなかろうが、読む人が「新しい」と思えば、それでニュースなのではないかと。

 

 書評である本記事も、広義にはニュースの一種と位置付けられる。従って本記事の果たすべき役目は、本書の何が「新しい」のかを説明することになるだろう。

 

 本書の著者である石戸氏は、毎日新聞やBuzzfeed Japanを経て、現在はフリーのライターとして活動している。本書は、そんな石戸氏が自らの過去の仕事を振り返りながら、ジャーナリズムの現状を整理した構成になっている。つまり本書は、主観的な自叙伝でもあり、客観的な教科書でもあるのだ──と結論付けたいところだが、実はそうとも言い切れないところに本書の本当の「新しさ」があるのではないか。

 

 本書の「新しさ」が凝縮されているのが冒頭、ノーベル文学賞を受賞したコロンビアの作家・ガルシア=マルケスと、ニュースとの関係性について語る箇所だ。確かに、この二つを結び付ける発想は興味深いし、導入としても有効に機能している。だがそれ以上に興味深いのは、わざわざ石戸氏がガルシア=マルケスとの出会いまで記している点だろう。ガルシア=マルケスの本は、石戸氏がライターとしてのキャリアをスタートさせるずっと前、高校時代の恩師から贈られたものだった(ただし、本格的に読み返したのは20代後半の頃だという)。

 

 なぜ石戸氏は、自らの過去を、書かなくても良さそうな細部に至るまで語ったのだろうか。もしかしたら、無味乾燥な記述になることを避けるために、ちょっとした雑談のつもりで書き加えたのかもしれない。いや、石戸氏ほどの優れたライターが、そのような小細工に走るだろうか。

 

 石戸氏によれば、ガルシア=マルケスの作品に見られる細部へのこだわりは、リアリティーを生み出す手法としてニュースにも応用できるという。そうだとすれば、ガルシア=マルケスとの出会いのエピソードは、石戸諭という人物にリアリティを与える要素としても、機能しているのではないか。過去の仕事とは直接関係しない、かといって全く無関係でもない、絶妙な要素を選び出すところは、石戸氏の面目躍如だ。

 

 この例から分かるように、本書の本当の「新しさ」は、ニュースの未来を論じるだけでなく、自らもニュースの未来を体現しようと試みている点にある。自叙伝とも教科書とも違う味わい深さは、恐らく「取材先」との適度な距離感に起因するものだろう。「取材先」? そう、本書は次のように評することもできるかもしれないのだ──石戸諭が石戸諭に、ニュースの未来について取材したノンフィクションであると。【無】

 

石戸諭『ニュースの未来』(光文社新書)

 

著者紹介

石戸諭(いしど・さとる)

 

1984年、東京都出身。毎日新聞社、Buzzfeed Japanを経て、現在はフリーのノンフィクションライター。代表作に『ルポ 百田尚樹現象 愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)など。

 

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