就職先として学生からいまだ高い人気を誇るメディア業界。一方で、デジタル化による紙メディアの衰退やSNS の普及により「斜陽産業」というイメージを持つ人もいる。変わりゆく社会の中で情報発信を続けてきた出版・新聞社は、事業に影響を与えた社会変化にどう対応してきたのか。今回は、朝日新聞社の伊藤大地さん(朝日新聞デジタル編集長/編集担当補佐役/編集局長室ゼネラルエディター補佐)に話を聞いた。(取材・松崎文香)
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誰もが発信する時代に
──主な事業内容を教えてください
紙やデジタル版の新聞の発行を中心としたコンテンツ事業、美術展や囲碁将棋のタイトル戦などの主催・スポンサードといった文化事業、コンテンツとは直接関係のない不動産事業。この三つが主です。
──新聞作りに影響を与えている社会の変化には何がありますか
一番はインターネットの普及です。かつては、大勢に向けて情報発信できるのは新聞社やテレビ局など、限られた組織だけでした。今はインターネット上で誰でも世界中に発信できますよね。情報発信をメディア業界が寡占していた状態が崩れました。
──誰でも発信が可能になったことは、旧来型のメディアにどのような影響を及ぼすのでしょうか
業界全体としてプロの記者や編集者、ディレクターなどの人数が減るでしょう。業界内のどこが潰れてどこが生き残るという話ではないです。
一般人が情報発信できるようになったのも原因ではありますが、大きな発信力を持つ企業が登場したことが大きいです。公式サイトやYouTubeなどのOwned Mediaを通じて、「メディア業界」に属さない企業が直接消費者に発信できるようになりました。以前と比べて、マスコミから他業種・他業界への転職が増えたのは、一般企業もメディアを持つようになったからです。広告の売上にも影響があります。他メディアに広告を出さなくても直接発信すれば良いからです。
紙面からデジタルへ情報伝達の構造変化
──紙の新聞の部数が年々減少していますね。朝日新聞の紙面購読者の年齢層も50代以上が6割を占めています
発行部数の落ち込みで経営的に難しいのは、部数が減ってもコンテンツを作る労力・コストは変わらない点です。印刷代や発送費といった部数に左右されるコストよりも、中身を作るための人件費といった固定費が大きい。このコスト構造に基づく合理化が求められます。
一方で、すぐに紙面をなくした方が良いかといえば、そうではない。若年層が紙の新聞を読んでいないのは事実ですが、日本の人口において50代以上が占める割合は大きいです。紙面で情報を得たい人も多く、収入面でもまだまだ欠かせない以上、すぐに紙面をなくすことはないでしょう。今後世代交代が進んだ時に、紙の新聞がどこまで残るかはまだ分かりません。
──全国の取材網を維持するコストも大きいと思います。地方局は今後どうなるのでしょう
拠点が集約されるなど規模は変わるかもしれませんが、その現場にいなければ報じられないことを伝えるという役割は変わりません。むしろ大事なのは報道で取り上げられない地域を生まないことです。資本主義の論理に報道を任せてしまうと、小さな町からニュースがなくなる。報道が存在しない地域をアメリカではnews desert、和訳すると「ニュース砂漠」と言い、問題になっています。日本でこの問題を拡大させないためには、たとえば系列のテレビ局と取材網をある程度共通にするなど、合理化が求められると思います。
──紙面とデジタル版ではどのような違いがありますか
情報が生産され、人に届くまでのプロセスが異なります。情報伝達には、コンテンツ・デリバリー・デバイスの三つの段階があると言われています。紙でもデジタルでも、記者が取材をして執筆するのは同じなので、コンテンツを作る部分の変化はあまりありません。デリバリー・デバイスに違いがあります。
紙の新聞の場合、自社所有の輪転機で印刷し、自社が持つ発送網を通じて各家庭に配送されます。また、紙面という情報を受け取るデバイスは共通かつ、新聞社が自分で決定できます。一方デジタル版では、自社のサイト上に記事を掲載しただけで読者に届くわけではありません。SNSや検索エンジン、アプリを経て、読者が記事にたどり着きます。「何で読むか」もスマホ・タブレットやパソコンなどさまざまなので、記事の表示のされ方は個人の持つ端末に左右されます。
つまり、紙の場合はコンテンツからデバイスまで、一貫して新聞社がコントロールできるのに対し、デジタルの場合は、デリバリー・デバイスに関して他からの影響を受ける。情報を届ける構造が異なります。
──紙面を購読する場合と比べて、デジタルの方がお金を払って記事を読むことへのハードルが高い気がします
そうですね。現状ネット上では無料で読めるニュースも多く、無料の情報と競合しなければいけません。これは新聞業界が、デジタル版を紙面の収入の足しにするものとみなし、将来紙と入れ替わる存在として作ってこなかったことが原因です。今、無料で情報が手に入るのはお金を払って記事を読んでいる人がいるからです。紙面の購読者も含め、有料購読者が支えることによって生産された情報があるから、他の人が無料で読めているわけです。受益者である読者全体に対価を求めるべきなのに、その構造が確立できていません。
また、新聞社は読者に無料で記事を提供し、広告収入で収益を上げるという「無料モデル」を取り得ません。例えば出版社は、社外のライター・作家と共にコンテンツを作るので、社員が少なく、人件費がかからない。そのため「無料モデル」でコンテンツを提供することも可能ですが、新聞社は全国に取材網を整備し、社員である記者がコンテンツをつくる以上、読者から料金を取る「サブスクモデル」しか選択肢がありません。広告だけでは立ちゆかない。無料で記事が読める時代は終わりが来るでしょう。
──コンテンツを作る上で、デジタル版ならではの難しさはありますか
紙面にのみ記事を載せる場合は、紙面を買った人しか読まないので、購読料の対価として届ける記事を作れば良かった。デジタル版では、読み手には無料会員も有料会員もいます。有料サービスとしてきちんと情報を提供しながら、無料で読んだ人が購読したくなるようなコンテンツも求められる。そのバランスが難しいです。
新聞社の役割は変わらない
──情報発信の中身も変わってきているのでしょうか
情報の量や網羅性、政権監視をするという視点からの政治報道などは変わりません。しかし、デジタル化によって「ミクロな報道」が増えました。これまでは、政局や金利・株価といったマクロな報道こそ多かったものの、そこに結び付いた個々の生活に注目することは少なかった。生活に結び付いた報道の不足に、デジタルに転換する中で気付きました。例えば金利が上がったら住宅ローンはどうなるのか、世界情勢から電気代が値上がりしたら個人の生活はどうなるのかといった、ミクロな報道に取り組み始めています。
──質を問わなければ無料で情報が手に入る時代に、新聞を選択してもらうために必要なことは
ネット上にあふれている他の情報と何が違うのかを示すには、コンテンツがつくられたプロセスを伝える必要があります。信頼を得る決め手はトレーサビリティーと透明性だと思います。どんな取材を基に記事が書かれたのか、一文を書くのにいかに確認しているかを見せることで、新聞の価値が伝わると思います。
また、情報の発信者が朝日新聞であると認識してもらうことも重要です。新聞の定期購読が主流の時代は、情報の発信者が誰かをわざわざ周知する必要はありませんでした。家で取っている新聞がどこか分からない人は少ないですよね。しかし、検索エンジンや社外のプラットフォームを介して記事に到達するデジタル版では、朝日の記事だとわからず読まれることも多いです。せっかく質の高い情報を提供しても、情報生産者の私たちではなく、プラットフォームを「信頼できる」と思われても仕方がない。広告の入っていないティッシュを無料で配っているのに近いです。
朝日新聞という発信者や情報の価値を知ってもらうには、コミュニケーションが重要だと考えています。ただ記事を読んでもらうだけでなく、SNSやポッドキャストを通じて、近い形で読者とつながろうと取り組んでいます。
──情報発信の寡占が解けたことで、情報の受け手も玉石混淆の中から質の高い情報を選別することが求められているように思います
朝日新聞は「情報健康」を提供する立場でありたいと考えています。「情報健康」とは、情報をどう受け取るべきかを食と健康に例えた概念です。ネット上では、AIにより自分に最適化された情報が永遠に出てきますよね。つい食べたくなるジャンクフードと同じで、そういう情報を頭ごなしに「受け取るな」といっても仕方がない。「たまには野菜も食べた方がいいよね」と、自分が受け取りたい内容だけに偏っていない、バランスの良い情報を提供するのが果たすべき役割だと思います。
一つ一つの情報が本当に正しいか、受け手が判断するのは大変です。朝日という発信者のブランドを信頼してもらうこと、質の高い情報が欲しいとき、一番に思い浮かぶような存在になることが求められていると思います。
──今後はどのような事業を担っていくのでしょう
一番大切なのは「今やっていることを変わらず維持する」ことだと思います。政治や経済をはじめとして、いろんな現場に記者がいて報道の役割を果たす、その「当たり前」が30年後も変わらないようにしなければならない。守るべきは「紙の新聞」ではなく、ジャーナリズムです。
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