学術

2017年8月28日

絵本と芸術の関係とは 世界初の絵本美術館を作った松本猛さんが語る絵本の魅力

 「絵本は子ども向けのものに過ぎない」と考えていないだろうか。確かに、絵本の多くは子ども向けに書かれたものであり、子供用に買うという目的がなければあえて手に取ろうとする人は少ないだろう。しかし、絵本の芸術としての側面を知れば、その考えに変化が生じるかもしれない。今回は、世界初の絵本美術館を設立した松本猛さんに絵本美術館設立までの経緯と、その理念について話を聞いた。

(取材・石井達也)

 

「絵本は美術ではない」に反発

 

 「絵本は美術の最古の形の一つであり、単なる子ども向けの本だと考えるべきではありません」と話すのは、世界初の絵本美術館・いわさきちひろ絵本美術館(現ちひろ美術館)設立者の松本猛さん。教義や物語を基に描かれる宗教美術や神話美術をはじめ、元来人間は物語と絵の融合を楽しんでいたという。しかし教育と結び付けられてから、絵本は単なる子ども向けのジャンルとされ、美術だと見なされなくなっていた。

 

 松本さんは、母であり絵本作家のいわさきちひろさんに持ち掛けられ、東京藝術大学在学中に絵本の共同制作に取り組み始めた。1974年にいわさきちひろさんが亡くなった後、松本さんは卒業論文のテーマに絵本を設定した。当時、絵本は美術としてみなされておらず、論文執筆に当たって指導教員は付かなかったという。結果的に、松本さんの論文は絵本を美術として扱った世界初の論文となる。

 

絵本美術館設立への道

 

 卒業論文執筆と同時に、絵本美術館を作る活動を始めた。77年設立の絵本美術館には、いわさきちひろ作品の後世への伝承と、絵本原画の収集・保存・公開という大きな目的があった。美術と見なされてこなかった絵本は原画の散逸が激しく、「危機意識を持った人が始めなければ」と原画収集を開始。最初の作品は『はらぺこあおむし』で有名なエリック・カールさんによる原画だった。来日したエリック・カールさんに絵本美術館の理念を伝えると、共感を受ける。その場で絵本原画の提供を約束された松本さんに、絵本原画を適切に管理していかなければならないという責任感が芽生えた。

 

 絵本美術館の設立には、人々からの要望が大きかった。美術館の設立前に銀座の画廊でいわさきちひろ展を開催した際のことを、松本さんは「2階から1階、そして建物の外には100メートルの大行列でした」と振り返る。絵本美術館設立のために松本さんは新聞などでボランティアを募集。募集を見て興味を持った東大生3人が中核となって設立までの準備に当たったという。

 

 格式が高いと敬遠されがちな美術を、松本さんは生活の一部として捉えようと意識。現在のちひろ美術館には公園やショップやカフェなど、展示以外にも楽しむ場所が盛りだくさんだ。「絵本の展示ではなく、お土産や自然に囲まれた庭を楽しみたいという人もいます。楽しみ方は人それぞれで良いのではないでしょうか」。根底には、生活の喜びにつながる場所にしたいという思いがある。

 

 絵と文章で構成されるものを絵本とするならば、絵本の歴史は古代エジプトの死者の書までさかのぼると松本さんは指摘する。絵本にはそれぞれの国の歴史に根差した特徴が表れると松本さん。たとえば日本の作家だと、平安時代の絵巻物などに影響を受けた作品もあるという。さらに絵本美術館では死者の書に始まり写本の時代、版本の時代の絵本の実態を展示。世界中の絵本と各時代の絵本が展示されている絵本美術館は、「歴史の縦横」を一気に学べる空間になっているという。「大げさですが、目指すは絵本版ルーブル美術館です」

 

97年、いわさきちひろ美術館開館20周年を記念して、ちひろの両親ゆかりの地・安曇野(あずみの)に「安曇野ちひろ美術館」が建てられた(写真は松本さん提供)

 

絵本の視覚情報を読む

 

 松本さんによると、絵本は一つのメディア。映画というメディアが科学映画からポルノ映画まで扱うのと同じで、絵本の分野も幅広い。芸術的な絵本という分野があるわけではなく、優れた作品が芸術として見なされるようになるという。批評・研究される中で作品のレベルは高まっていくという考えの下、97年には絵本学会が発足した。

 

 絵本の魅力は「他のメディアと比較する中で特徴が見えてきます」と松本さん。例えば、アニメーションが飛行機だとすると、絵本は徒歩。物語全体を流れるように見終えることを目的とするアニメーションに対し、絵本ではページにとどまることや振り返ることができる。漫画では記号化された表情で心情を表すのに対し、絵本では時にカーペットの毛一本一本の線や色使いで心情を暗喩することもあるという。さらに、絵本では他の書物や映像作品とは違った独特の言葉のリズムで、心情を表すことが可能だ。

 

 絵本の読み方について「心情などが描かれた視覚情報を読めば、何倍も面白くなりますよ」。インターネットの普及などで反応の速さが求められる今日、一つの絵に向き合う機会が減少している。それは、人間が持つ豊かな感受性を劣化させる要因だと松本さんは指摘。芸術としての絵本に向き合うことが有効な解決策になり得るだろう。

 

松本 猛(まつもと・たけし)さん (美術評論家・作家・絵本学会会長・ちひろ美術館常任顧問)

 76年東京藝術大学卒業。在学中から、絵本制作・研究に関心を持つ。77年、世界初の絵本美術館であるいわさきちひろ絵本美術館(現ちひろ美術館・東京)を設立。

 

【関連記事】

絵本作家あいはらひろゆきさん 『くまのがっこう』で当たり前の幸せ伝えたい


この記事は、2017年8月1日号に掲載した記事の拡大版です。本紙では、他にもオリジナルの記事を掲載しています。

 

 

 

インタビュー:当たり前の幸せ伝えたい あいはらひろゆきさん(絵本作家)
ニュース:理Ⅲ面接 筆記高得点者の不合格も 学力試験翌日の27日に実施
ニュース:23年度まで共通試験存続 新テスト英語 民間試験と併用可
ニュース:医・野村助教ら健康指標を分析 都道府県間の健康格差が拡大
企画:東大生×絵本アンケート 一般との違いは?
企画:大人の知らない絵本の今 デジタル、美術 広がる魅力
企画:お店のプロが直伝! 絵本の読み方楽しみ方
推薦の素顔 小山雪乃丞さん(理Ⅰ・1年→理学部)
火ようミュージアム:ちひろ美術館・東京「高畑勲がつくるちひろ展 ようこそ!ちひろの絵のなかへ」
東大今昔物語:1986年8月26日発行号より 主管校なぜ強い
東大発ベンチャー:リディラバ
キャンパスガール:岡林紗世さん(文Ⅲ・1年)

※新聞の購読については、こちらのページへどうぞ。

koushi-thumb-300xauto-242

タグから記事を検索


東京大学新聞社からのお知らせ


recruit

   
           
                             
TOPに戻る