社会科学や人文科学を取り巻く環境が大きく変化している。文系学問の必要性に疑問が投げかけられている今、研究者が果たすべき役割とは何だろうか。
研究と実践との統合を強く打ち出している東京大学の「人間の安全保障」プログラムを取材し、研究者として社会の問題にたずさわる意義を聞いた。
第一弾の今回は、1,2年生向けの「経済Ⅱ」の授業も担当している丸山真人教授から、東日本大震災後の東北の復興から見えてくる、研究者の役割について伺った。
被災地を訪れた研究者たち
「人間の安全保障」実験実習という授業で、大学院生とともに東北の被災地を訪れ、現地の人々にインタビューをしてそれを報告書にまとめています。東日本大震災で被災された方々の多くが、現在も仮設住宅で暮らしていますが、登米市には南三陸町で被災した人たちがまとまって住んでいる仮設住宅があって、それを登米の地元の市民団体や行政が一体となっていろいろな形でサポートしています。
我々は、登米の人たちが、南三陸から避難してきた人たちをどう受け入れて、支援しているのかに着目しています。登米の人たちは内陸地だから津波の被害には合っていないけど、地震の被害にはあっている。自分たちが被災者でありながら、いち早く津波の被災者たちを支援して、後背地での復興活動を行なってきました。
当プログラムでは、一部の研究者や学生が中心となって「人間の安全保障」フォーラム(HSF)というNPOを作り、震災直後からウィークエンドボランティアで復興に関わってきました。
私自身は、HSFが被災した子どもを支援するプログラムを始めた12月頃になって初めて、被災地を訪れたのですが、それ以来、大学院生の皆さんにも、現地で起きていることを自分の目で見て、被災された方々と接点を持って欲しいと思うようになったんです。
研究者が東北の復興に対してできること
(撮影:丸山教授)
被災地をたずねる授業では、被災者に直接話を聞くのではなく、被災者をサポートしている周りの人に話を聞くことで、徐々に被災の実体に迫っていこうとしています。
登米は内陸で津波の被害を受けず、行政など社会の機能が生き残っていたから、ボランティアの基地としての機能を果たしていました。そんな登米で人と人をつなぐハブとしての機能を担っている人たちから話を聞いたんです。
私たちが研究している「人間の安全保障」とは、一人一人の命の安心・安全を守るために社会がどうあるのかを、様々な社会科学や人文科学の枠組みから考える学問です。
南三陸では今、高台の山を削ってそこに復興住宅を作っています。そして同時に、その土で海岸部を嵩上げして町を作り直して、海岸部の商店街を復興させようともしています。しかし、高台にある仮説の商店街が海側に戻っていくと、まだ仮設住宅に暮らしている人がいるのに高台から商店がなくなってしまう。それは困るからと言って高台のあたりにスーパーなどができると、今度はせっかく海側に商店街ができたのに、地元の人達が高台のスーパーばかり使ってその商店街に行かなくなってしまうかもしれない。
被災地の復興を考える上で、「町の復興を進めれば本当にその町が町として成り立つのか」という問題を考えなくてはならないのです。このような調査に研究者の知見は役立ちます。
登米の人たちが研究者や学生に求めること
最近、登米の人達と信頼関係が少しずつできてきて、「町づくりのアイデアを、研究者や学生たちに出してほしい、聞くだけじゃなくて反応を返して欲しい」と言われるようになりました。
今まで、登米の人たちと接する際は聞くことに徹してきましたが、来年からは、こちらも意見を言う双方向の関係に変わっていかなくてはならないと考えています。
「登米に来て人間の安全保障について教えて欲しい。人間の安全保障は一人一人の命の安心・安全を守ることでしょ?」と言われることがあり、登米の人々が「人間の安全保障」についてより深い知識を求めていることを感じました。
被災地の方々は、震災という体験を通して、「人間の安全保障」の重要性を肌で感じ取っています。私たちが行くことでそれが意識化されて「人間の安全保障」というものに対するイメージがはっきりしてきたのではないでしょうか。
登米に来て、人間の安全保障がどういうもので、学問的にどういう枠組みで成り立ってきていて、今後はどんな可能性があるのかなど、アカデミックな方向で話をして欲しいと言われるのです。そういう知識が求められています。
HSPが来ることがきっかけとなって、登米や南三陸を訪れる人が増えれば良いという声も聞きます。外部から来た人の目で、登米にある富を見出して欲しい。都会の人から見て何が魅力的なのか、自分たちが気づかない登米の魅力を、外部の人間の目で発掘して欲しいという思いです。
被災地と関わることで見えた経済の基礎
大学院生のときはマルクス経済学の信用論と経済人類学とを勉強しました。地域主義が語られ始めた頃で、日本のような東京一極化した経済をどうすれば分散化できるのかという課題に取り組んでいました。これは、市場任せでは難しく、地域社会が足腰を強くして自立することが重要です。
市場では効率が悪いと見捨てられてきた農林水産業なども、地域の中で資源を循環させれば、地域固有の価値が生まれてきます。地域金融機関の研究を通して、そのような考え方を理論的に裏付けようとしていました。今の里山資本主義につながるような考え方です。
ポランニーという経済人類学者の考え方ですが、人間の経済を持続させるためには、市場だけではなく、互酬とか再分配といった人間同士の関係性を強化・維持する仕組みが必要です。それがなければ信頼をもって取引ができず、社会のなかで経済が安定して機能しないのです。
あらゆる社会は、互酬とか再分配の組み合わせによって、人間の生活の安心・安全を保障するネットワークを確保する。このようなネットワークは、市場の外にあるものです。
それが脅かされると生活は脆弱になってしまう。今回の震災では、多くの方が被災され、コミュニティがばらばらになっています。外部の力によって壊されてしまった互酬と再分配の仕組みを、どうやって修復できるか。それが、社会が復興するために不可欠なのです。市場の効率だけを追求していてはそこが見落とされてしまう。
学問と現地での活動とが重なってきている
今まで日本では、途上国や破綻国家などの、根底から生活を脅かされている人々の支援という文脈で「人間の安全保障」が語られてきました。しかし実際には、日本の中で、自分たちの足元が崩されている。震災という危機に直面した後、復興に向かってうまく支援が機能していない。
登米・南三陸の現地では、被災者の方々はまだまだ困難な生活を続けています。社会が安定して機能するための、互酬や再分配といった仕組みを、これからどうやって組み立てていくか、それを現地で暮らしている人と一緒に考えていかなくてはいけないのです。
登米や南三陸と関わりを持つ中で、自分の学問的な実践と、現地に暮らしていて生活の安全を求めている人たちとの関心とが、重なってきているように感じました。東北の復興において市場だけではどうしようもない部分があるということを、実際にそこで暮らす人々から学んだのです。
研究者が社会と関わりを持つのはとても重要ですが、無理をしないことも大事です。時間をかけて身の丈にあった範囲で現地の人たちとつながっていったほうが、結果的には長続きする信頼関係が生まれる。そういった長いスパンで、相手の反応を研究にフィードバックしながら関わっていく必要があると思います。
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「人間の安全保障」プログラムは、今年で10週年を迎える。1月10日に行われる設立10周年記念シンポジウムでは、元国連難民高等弁務官・前JICA理事長の緒方貞子さんも挨拶を行う予定だ。
「人間の安全保障」をテーマに研究や実践活動を行って来た研究者が、「国家が人々の安全を守ることができない時、どう人々の命と尊厳を守っていくのか」について、活発な議論を行う。
(文責 須田英太郎)